最近、就活なんかでも「安定化指向」と言われているみたいです。
無難に生きたい、過ごしたいと思う人が多いと思います。

ある程度まではいいと思うけど、行き過ぎな部分もあると思う。

対人関係にしてもそう。
とりあえず、直截な言葉を避けて、なんでもオブラートに包んだような表現をする。

日本人は「議論が嫌い」だとよく言われるらしい。
言いたいことを言って、傷つけるのが恐い。
本質を突かれて、傷つくのが恐い。
(議論は「言い争い」ではないのに。)

まさに「無難」な生き方だと思います。

俺は必要な議論は好きだし、言いたいことは言う(もちろん、言葉は選ぶけれど)。
だから、たとえ失礼なことでも言ってくれた方がありがたく感じる。

少し前に食肉処理場のことについて書いた。
食肉処理場は、肉を出荷するために牛や豚を殺している施設。

昔は、牛や豚を殺すことを「屠殺(とさつ)」と言った。
「屠殺」という言葉は、マスコミなどでは自主規制用語となっていて、使用が控えられている。
アホすぎ。
なんで規制用語になっているのか、まったく理解できない。

こうして何でも隠ぺいすることは、「屠殺」という営みが一層、後ろめたいものになりかねない。
というか、後ろめたいから自主規制しているのかもしれないけど。
ほんとに「無難」という言葉がぴったりだと思う。

動物実験にしてもそう。
大学でもしたし、大学院でもたくさんするだろう。
俺にとっては身近な問題。

動物実験による恩恵は本当に素晴らしい。
まさしく、我々の生活を支えてきたし、今の生活には必要不可欠だと思う。

ただ、非公開な部分が多すぎる。
動物実験についてはどんどん情報公開すべきなのに、日本はとにかく隠し続けてきた。
それは、日本人や研究者自身が動物実験に問題を感じているということを顕著に表しているんだろうけど…

別に動物実験について公開されていなくても不自由はしないだろうし、我々にとっては公開されていないほうが都合がいい。

「なんだか後ろめたい問題だし、屠殺や動物実験なんて自分ではしたくない。でも、その結末は享受したい。だから、発端や問題点は見えないようにしておく。」

だから、マスコミでは自主規制用語になってしまう。

これは「偽善」以外の何物でもないだろう。

研究や肉食が素晴らしいものならば、その制作過程(動物実験や屠殺)も好ましいものではないのか?
そうならないのは、まさしくここに「道徳的問題」が絡んでいるからだというのは言うまでもない。
誰もがそれに気づいているけど、目をつむって素通りしている。

俺も肉を食べるわけだから、その偽善や欺瞞に加担しているということになる。

だから、俺はどうにか「動物実験を正当化する」必要性を感じている。
動物実験が正当化されたとき、はじめてその研究は素晴らしいものになると信じている。

でも、その方法や理論の構築は、まだまだこれから。
それでも考える人が増えてきたことで、少しずつ問題点が明らかになってきているし、解決策も見えてきた。(本当に少しずつだけど…)
俺が生きている間(あと60年くらい?)は何も変わらないかもしれない。

けれど、いつかは変わるだろう。

動物実験や屠殺について考え、議論することは大切なこと。
その恩恵を受け続けているのだから。

けれど、議論しようなんて場もなければ、そういう人も少ない。
まるで「腫れ物」に触るかのように、みんな避けたがる。
いいかげんそういう態度を何とかして欲しい。

だから、俺は大学院でマウスを何百匹も使っても、倫理について考えていく義務があるだろうし、考えていくつもり。

「無難」のスタンスはほどほどにして、難に対して向かっていく姿勢を持ち続けるべきだろうし、そういう人が増えればいいなと思います。
今日はI先生の(東大)論文を読む予定だったのに、まだ読み終わっていない。
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頑張って読み終えてから寝よう…。
(大学は10時からなので、大丈夫なはず。)

ONE PIECEの61巻が売っていて、買ってしまった。
もう読んでしまったけど、俺はとにかく漫画を読むのが遅い。

1字1句じっくり読み、あれこれと考えながら読んでしまう。
だから普通の本も読むのが遅い。
(けど、1回読んだら忘れない。)

ONE PIECEは2億冊売れているらしい。
1冊あたり、定価の10分の1(40円)が作者に入っているとしても、80億円になる。
多くが税金に消えているとしてもすごい額。
漫画家の中でもほんとに一握りなんだろうな。
けど、自分の好きなことを仕事にして、それで生きているだけで十分すごい。


「研究者」という職業がなぜ厳しいのか。

研究者は会社に雇用されているわけではないから、業績次第ではすぐに淘汰されてしまう。
まぁ、今は普通の会社でも、「お荷物さん」は淘汰されるだろうけど…

ただ、研究者には平等にチャンスがある(らしい)。
これが普通の仕事と違ったところ。

年功序列ではなく、業績次第で若くてもトップに立てる世界。

トップに立つ気もなく、「そこそこ」でやっていける世界ではないだろう。
だから「研究者は厳しい」なんて言われるんだろうな…。

俺は研究者になる(なりたい)と完全に決めたわけではないけど、大学院へ進学した。
色々と理由があるけど、第1には「生物学(生命科学)が好きだから」ということ。
まぁ、これは当然。

大学卒業後、一般企業に就職するという選択肢もあるんだろうが(というか、それが普通)、それでは将来きっと後悔すると思った。

「やりたいことを、もう少し頑張ってみたい」それが理由。

それと、「大学院へ行けば、自分自身が成長できる」という確信があった。

学部ではあまり経験できない、学会発表、より専門的な授業内容、科学雑誌への論文投稿、語学教育などを通して成長できると思った。
これは、大学院(奈良先端大)の説明会や個人面接を通して感じたこと。

実際に大学院を卒業したときに成長しているかは分からないけど、楽しみ。

与えられたことをやるのは当然だけど、自分で考えてやるべきことを開拓していきたい。
その訓練は大学でもしてきたつもりだけど、まだまだ全然ダメだと思う。

だから、今日も論文を読み終えていないんだろう…。

「ダイエットする!」と言って全然できないように、
成長すると言いながら、努力を怠る人間にならないように気をつけたいです。