さっき、「深イイ話(日本テレビ系)」の中で、捨てられたペットについて放送されていましたね。

もしかしたら見た人もいるかも?

ペットブームの裏で、1日に約800匹の犬や猫がガス室で処分されているということ。
そして、ヨーロッパではペットショップが一般的ではないことも、あわせて紹介されていました。

保健所にペットを持ってきた女性の人が、
「大変なんですよね~、5匹もいると(笑)」と言っていたのが印象的でした。

ペットを飼っているうちに「家族」となって、かけがえのないパートナーになる場合もあると思います。
けど、もしかしたら飼っているうちに「物」になってしまうペットもいるのかな?
と思った。

つまり、ペットは「代替可能(代わりはいくらでもいる)」と思ってしまうのではないか。
保健所にペットを持って行って、その帰りにペットショップに寄って帰るんじゃないの?
(なんか、テレビに出ていた女性の言動はそんな軽い感じでした。)

すごく残念だと思います。
今日の番組を見ていた人がどんな印象を持ったのか、すごく気になります。
多くの人は「かわいそうだなぁ」と思ったのではないでしょうか。

そうであれば、この話題が取り上げられた効果は大いにあったんだろうと思います。


ところで、「ペット」と「動物実験」。
実は、この2つは深く関係しているんです。

なぜなら、少し前まで保健所に持ち込まれたペットを用いて動物実験が行われていた。

前にも書きましたが、「動物実験」は私たちの生活を支え、様々な恩恵をもたらしている。
この点は、すごく評価しています。

それをふまえて、「事実」のみを書きます。

「ペットだった動物が実験に使われている」
知らない人も多いんじゃないでしょうか?

例えば、平成2年に実験に使われたペットの数は、犬が約6万頭、猫が約1万頭。
保健所に持ち込まれたペットの、約13%は実験用に利用されていました。

これは国(当時の総理府)の公式発表ですので、実際はこれより多いかもしれません。

静岡県などでは、「保健所→実験動物を販売する企業→研究所・大学」
という経路をとっていたので、それも含めると大量のペットが使用されているのではないでしょうか。

また、「人になついているペット」ほど優先的に動物実験に使われていたということは、よく知られています。
扱いやすいので実験に適しているのだとか。


は?「動物実験用に育てられた動物」を使うことと何が違うの?
結局は一緒なんだからいいじゃんw
と言われるかもしれませんが、事情は少し違います。

それは、
「安楽死」と公表しておいて、「動物実験」に用いていたから。

色んな事情でペットを飼えなくなったとき。
「保健所なら安楽死させてくれる…」という理由で、保健所にペットを持ち込む人は大勢います。
けど安楽死どころか、感染症など医学研究のために様々な病気にさせられていたペットもいた。

その事実を知った飼い主は、ペットを取り戻す運動を起こしたのも有名ですね。

「シロ」という犬の飼い主は、取り戻すことに成功したことが今でも語られています。
ただし、神経系の研究に使用されていたために、脊髄の中枢神経は切断されてた。
(結局、その犬は2歳で死んでしまう。)

あっ、ちなみ保健所に持ちこまれたペットを実験に使うことは、一部で残っているようです。
近畿圏では、兵庫県・三重県が廃止していません。
(参照:http://www.prana-japan.com/d01.htm)
ヨーロッパでは1986年に、ペットだった動物を実験に使うことは禁止されている。


日本はなぜ今でも無くなっていないかというと、
研究者側が「研究に支障が出る」と行政に圧力をかけていると言われています。

たとえば、
九州大学医学部の半田助教授は読売新聞の中で、
「現代医学は保健所からの犬を使った実験で進歩してきた。今後の研究に支障が出る。」と語っている。

神戸大学医学部の塩見助教授は神戸新聞の中で、
「患者を救うには、保健所からのペットの供給はぜひとも必要」と語っている。


別にこの先生方を批判するつもりはありません。
が、「具体的に、どのくらいの役に立ってるの?」ということは聞きたい。

つまり、実際のところ動物実験の実態はまったく隠されている。
(前から書いている、日本の隠ぺい体質です。)

どのくらいの動物が使われて…
どんな研究に使われて・役立って…
どのくらいの医薬品に利用されて…
どのくらいの経済効果があって…

それが分からないと私自身、判断のしようがない。
でも実際は、ペットを用いた実験に関しては「実験施設」も「実験内容」も非公開ときたもんだ。

俺が思うところでは「非公開」じゃなくて、「不明」なんだと思う。
実験は必ず成功するとは限らない。
失敗して論文にもならなかった実験は、当然ながら世の中に出ることもない。
ゆえに、「追跡不能」な状態なんだろう。

この腐った日本の体制を、「研究者の側から」何とかしたいと思っている。
いわゆる「動物愛護」の団体がいくら働きかけても仕方ないし、限界がある。
だって、その団体の多くの人は「科学」の現場を理解していない。
シーシェパードみたいな強引なやり方は止めて欲しい。

俺は、科学も医学も、使い道によっては素晴らしいと思っている。
とともに、その問題点にも目を向けたいと思っている。

「動物実験」を正当化した上で、科学・医学の発展を目指す。
俺が一生をかけて出来ることは大したことないけど、挑戦してみる価値はあると思っている。
そうした積み重ねが、「科学の発展」「倫理の発展」に繋がると考えています。
「愛情」とは何なのか。
今日はこれを書かせて下さい。

みなさん、
最近ニュースになった、「タイガーマスク現象(伊達直人現象)」をご存知でしょうか?

「伊達直人(だてなおと)」と名乗る匿名の人が、ランドセルなどを児童養護施設に寄付する活動。

さて、これは「真のボランティア」なのだろうか??
素晴らしい「愛」による行動??

このことについて、ある環境団体の代表とメールのやりとりをした。

私の意見。
結論から言えば、伊達直人の行動は完全に「利己的」だと思っている。
つまり、自分のためであると。

えっ?なんで?
と言われるだろうから、簡単に書かせて下さい。

私は、「本当に他人のため」という概念は絶対に存在しないと思っている。
これは、生物学的・進化学的に考えてそうなのだと。

もちろん、施設に寄付すること、それ自体は非常に素晴らしいと思う。
それは、お年寄りに席を譲ってあげたり、献血に協力したり、被災者に寄付をすることに似ている。

要するに、寄付をしたところで自分に「利益」が返ってくることはないだろう。

でも、だからといって伊達直人はお金を失っただけで、「得た物」は何もないのか?
というと、実はそうではない。

寄付をすることで「快」を得た。
つまり、「満足感や充実感」と呼ばれるものである。

美しい自然を見て「綺麗だなあ」と思う。
綺麗な絵を見て「素晴らしいなあ」と思う。

それと同じように、寄付をすること自体に伊達直人は「満足」していたのだろうと考えている。
これだけニュースになっていれば、「満足感・達成感・充実感」は、さぞ大きかったのではないだろうか。

私も、この前イズミヤで募金をした。
たった100円なんだけど、お姉さんに「ご協力、ありがとうございます!」と言われる。
「良いことをしたなあ」と心が温かくなる。満足感がこみ上げる。
「また機会があれば募金してもいいかな」と思う。
この「満足感」が重要なのだ。

また、「伊達直人」は匿名であると言われているが、本当に匿名にしたいのであれば「伊達直人」とも名乗らないだろう。
つまり、ここに本人の「自己顕示欲」が見て取れるのである。
「私がやったのだ!」という潜在的意識が表れている。

本人は、「利己的」に、つまり、自分の「満足感」のために行動していると解釈できる。
ただし、本人は「満足感」という「利益」のために行動していることに自分自身で気づいていない。

私はこれを「無意識の利益」と呼んでいる。


さて、タイトルの「愛情」について。
進化学者の中には「愛情」でさえ、自分のためだという人もいる。

たとえば、「愛」という概念。
恋人に優しくしてあげること、気をつかってあげることは、恋人からの信頼を獲得することに繋がる。

「私の彼氏の○○、本当に優しいの。一緒にいると楽しいし。彼となら結婚してもいいかも。」
そして、配偶者選択の末に結婚。

妻になっても、(程度は違っても)優しく接する。
夫は頑張って仕事に行き、一生懸命に妻を養う。
家族サービスもする。

結婚できない人や離婚する人は、子孫(遺伝子)を残せないので終了。

ということで、
事実、妻からの信頼は夫婦関係の維持に重要である。

なぜならそれは、自分の子ども(遺伝子)を残すために有利に作用するから。


このようにして「愛情」という感情は進化の中で残り、我々の心に根付いている。

もちろん、日常生活の中でそんなことをいちいち考える人はいない。
だから、「無意識の利益」と呼ぶ。

恋人に優しくしてあげる、愛を注いであげる。
これは、恋人のためだろうか?

そうではない。
それは、まさしく「利己的(自分のため)」なのだ。
そうすることが子孫の繁栄に直結することを、ヒトは進化の中で無意識に学んだ。

そして、「恋人に優しくしてあげるという行動」を引き起こす感情である「愛」が生き残ったのだ。

「友情」に関しても同じことが言えるが、これと似ているので省略。

こう考えると興味深いとともに、なんだか「冷たい」感じがする。

だから、私は生物学的な概念など口に出さない。
異性に一瞬で嫌われると思う(笑)

「恋人といれば楽しい!好き!」
その感情で十分なのである。

でも、
その感情の裏には、進化に裏付けされた理由があることは紛れもない事実なのである。

「愛情」も「ボランティア」も、本人も自覚していない「利益」に基づく行動なのだ。
前に、ペットについて書きました。
ペットを飼うことは楽しいし癒される。ペットは「家族」のような存在。

でも、肝心のペットにとってはどうなんだ?という問題提起をしました。

これについての解答は自分自身でもまだ出ていません。

確かに、ペットが可愛いというのがすごく分かるから。
だから、「ペットを飼っている人が悪い」とか、そういうことを言う気は全くない。
私自身、ペットを飼いたい気持ちが理解できる。


そこで、
今回はペットが売られているペットショップについて少しだけ考えたい。

その話の前提として、毎年30万頭の犬・猫が保健所で処分されているという事実がある。
昔は120万匹だったので、これでもだいぶ減ったがまだまだ多い。

ペットを飼いたい人はペットショップに行く前に、(可能なら)保健所に行ってみてはどうかと思う。
(もちろん、ペットを捨てないことは当然ですけど…。)
実際に、保健所からペットの譲渡を行っている施設・イベントもあるようです。

だが、それではダメらしい。
やっぱり、トイプードルやマルチーズがいいらしい。

じゃあ、両生類・爬虫類・昆虫類ではだめなのか?
犬や猫など、大脳の発達した哺乳類は「快・不快・喜怒哀楽」を感じると考えられる。
それよりは、倫理的問題は少ないと言えるだろう。

だが、これもダメらしい。
やっぱり、犬猫が圧倒的人気。

さて、
ペットショップに行けば、ガラスのショーケースに入った犬がたくさんいる。
ピッカピカに手入れされていてすごい。
だけど、これが犬の負担になっていないわけがない。

この影響として、「早期離乳・隔離飼育による情緒不安定・攻撃性の増加」が、研究によって報告されている。
(論文:Shimozuru et al.2007;Wongwitdecha et al.1996)

論文の内容を簡単に紹介すると、
「幼い頃に、母親や仲間と会う機会が減ると、社会的な学習の機会が失われて問題行動を起こします。」ということ。
(まぁ、普通に考えて当たり前か。)

また、いくつかのペットショップでは、より低コストで犬を飼育し繁殖させるために、食事面でのコスト削減を行っていることが指摘されている。

母体や胎児が十分で適切な栄養を摂取できなければ、生まれてくる子供の発育にも大きく影響してくる。

事実、妊娠中や授乳中に母親の健康状態が悪くなることがあり(ショーケースのストレスもあって)、
子犬に問題行動が見られるという報告もある。
(論文:Boesch et al.2007)
(論文:Takeuchi et al.2002)

当然、犬は自分の環境を変えるすべを持っていない。
だから、人が犬のためにより良い環境を整えてやる必要がある。

ペットショップそれ自体どうかと思うが、まずはそこから始めればどうだろうか。

ペットに関しては我々の生活に深く浸透していることもあって、段階的により良い方向へ進めていくしかない。