ブルガリアにはヨーグルトはあまり無かった。そこらじゅうヨーグルト屋があるのかと思ったが、確かに雑貨やみたいなところにヨーグルトが売っているのは特徴的だったが、ヨーグルトの国ではない。MEIJIの戦略恐るべし。
翌朝ソフィアに着いて、ブルガリアのお目当て、リラの修道院というところに向かった。
ブルガリアの首都ソフィアからまた電車で2、3時間くらい行ったブラゴエフグラッドからさらにバスに乗ってそのリラの修道院はあった。
ソフィアからブラゴエフグラッドへ向かう数時間、二人きりで一緒のコンパートメントだったじいちゃんがやたら話しかけてきた。
まったく何を言っているか分からなかったが、どうやら僕が日本人だというのを聞いてえらく喜んだらしい。僕もニコニコしながらうなずいていると、おっちゃんは鞄からパンフレットを出した。クボタの農機具のパンフレットだった。どうやらじいちゃんは農家でクボタの農機具を使っていて、日本の農機具はサイコーだと言いたいようだった。
じいちゃんは気をよくして、家に泊まりに来ないか、みたいな事を言っていた。メモ帳に住所を書いてくれたのだが、地図で調べると、どうやらブルガリアとマケドニアの国境、さらにギリシャにも近い辺境中の辺境だった。
こんなところに住んでいるじいちゃんが日本の農機具を褒め称える。ジャパンアズナンバーワンは本当だったんだ。と、誇らしくなった。
ブルガリアとマケドニアとギリシャの国境に住むじいちゃん
リラの修道院はちょっとした山の上にあり、見事な壁画を持つ寺院だった。ブルガリアの歴史を伝える重要な寺院として、かなり早い時期にユネスコの世界遺産にもなった所だ。
バスで向かう時も、今まで見たこともないような台地のような高原のようなところだった。草が違うのか、山の形が違うのか、なぜ日本で見たこともないような風景と思うのだろうか。そんなことを考えながらヨーロッパの最果ての道をぐんぐん進んだ。
リラの修道院の壁画は見事だった。ずーっと上を見ていても頭が痛くなるのでそんなに長いこと見ているわけにも行かず、その日はリラの修道院に泊まる予定だったので、部屋を求めた。
部屋はほとんど空いていて、僕以外に泊まっている人がいるのかも分からなかった。
リラの修道院壁画
番人が言うには、飯を食えるところはこの辺で修道院の裏の食堂一箇所だから終わらないうちにちゃんと食いに行けよ、7時くらいには閉まっちまうぜ、ということだった。
修道院を一周した後特にやることもなく、6時にはその当該食堂で夕食を食べた。これと言って特徴のあるものではなかったが、ほとんど人のいない山の上の修道院でその食堂は唯一の救いだった。
やはり予想通り7時には食べ終わり、追い出され、特にやることも無いので部屋に戻る。無、だった。だだっ広い部屋にはベッド一つがぽつんと置かれ、それ以外何もない部屋だった。
ナディアに会えなかったことを思い出した。
彼女は今頃サウジアラビアでどんな暮らしをしているのだろうか。ルーマニアというヨーロッパの東から日本に来て、追い出されたと思ったらすぐに灼熱のアラブへ向かうというのはどんな心境なんだろうか。そんなことを考えていたと思う。
ナディアがまた日本に行くために日本語を勉強したいと言っていたので、小学生向けのひらがなとかの日本語の勉強本を持ってきていた。この本を彼女に渡すことはもう無いだろうな、と。
翌朝、特に意味は無いが、そのさびしい山の上の修道院の部屋にその本をそっと置いてチェックアウトした。
修道院の宿泊施設部屋
もう二度と来るかも分からない修道院の壁画を帰る前にまた見ようと思った。
すると、いかにも日本人らしいお婆ちゃんがいた。
「おはようございます」、と声をかけるとニコッと『おはようございます』、と返ってきた。
お婆ちゃんも昨晩は修道院に泊まったとのことだった。
こんな所で会うのも奇遇だなと思ったが、お婆ちゃんは世界中を旅していると言っていた。行ってない国はないくらいだと。60くらいに見えたが、この歳で若い頃から世界中を旅しているというのは只者ではないなと思った。
若い頃はスチュワーデスをしていたんだとか。それで世界の主要都市は周ったし、結婚してからも子育てがひと段落すると、折を見て世界中を一人旅しているとのことだった。
「旦那さんはなんておっしゃるんですか?」と聞くと、『私は結婚する時に条件を言ったの。彼が結婚して欲しいと言うから、私の好きな時に好きなところへ行けるようにしてくれなきゃ結婚しません、といって、彼はそれで良いと言ったの。だから好きな時に世界中を旅したわ』
なるほど、そういうわけか。世の中にはいろんな人がいるもんだ。こんな人とブルガリアの山の上、リラの修道院からバスでソフィアまで向かうことになった。旅は面白い。
車窓は相変わらず見事だった。途中の休憩所でヨーグルトを探すんだがなかなか見つからなかった。お婆ちゃんはブルガリアのヨーグルトは最高よ、と言っていた。なんでもデザート的なものではなく料理にいろいろ使うらしい。
ソフィアに着くとお婆ちゃんはホテルを泊ってるから、と言ってサッサと行ってしまった。僕はその日の夜行でイスタンブールに向かうつもりだったから、その時間までソフィアの街をうろつくことにした。
アレキサンダーネフスキー寺院というのがあって、そこも寂しいけれども綺麗なロシア正教の教会だった。ココで一つクロス(十字架)のネックレスを買った。一目ぼれしたネックレスだった。3回値段を聞いてディスカウントしてもらって、止めて、もう一回聞いて、それ以上下がらなくて止めて、それでもう一回戻って買いに行ったくらいだ。
旅に出る前、大学時代のバイトの女の子と何回かデートをしていた。サバサバした娘で付き合ってるとか、好きとかそんなんじゃなかったが、キリっとした顔の子で心がときめいていた。ディズニーシーのチケットを3枚もらってて、友達と行くんだけどお前も行かないか、と誘われて、大学院の修論発表のあと、まさにその足で、奇妙な3人デートをしたのは卒業旅行出発の直前だった。ちなみに、ディズニーシーにはそれ以降行っていない。
アレキサンダーネフスキー寺院のクロスのネックレスは彼女にあげるお土産にするつもりだった。
ソフィアは所謂トラムという路面電車が町中を走っているところだった。僕も数時間滞在のソフィアではあったが、いろいろ周る時には、ルールがよく分からないなりにもトラムを使った。
そろそろソフィア駅に帰ろうか、ということでトラムで駅に向かっていると、ある時車両が俄かに混んだ。なんか日本みたいに混むときがあるんだな、なんて思った。
近くに寄っていたおばさんは、『スチューデント?』と聞いてきて僕の顔を見てニコっと笑った。なんだ、ブルガリアではもてるのかな?なんて思っていたが、それでも、なんか僕の周りだけやたら混んでるなぁと一瞬思った刹那、後方で何やら若者が叫んだ。
『?????(何を言っているか分からず)』
するとその僕の傍らにいたおばさんが『?????(何言ってるか分からず)』と言い返して言い合いになった。
何がなんだか分からない状況だったが、その次の停留所でそのおばさんは憤慨した顔で降りていった。するとどうだろう、僕の周りが混んでると思っていたのがあっという間に空いて普段通りの混み具合になったのだ。
近くにいたちょっと英語のわかるおじさんが『ポケットを確認しろ』と僕に言った。彼が教えてくれたのが、その若者が叫んだのはおばさんが僕のポケットに手を入れているのを見た、と。つまりスリ集団だったのだ。
幸い僕の財布は鍵のかかったウエストポーチに閉まってあり、ポケットには何も入っていなかった。ポケットに手が入っていたことも全く気づかなかった。
血の気の引いた顔だったろうが、英語の話せないその若者に「サンキューサンキュー」と伝えてソフィア駅で降りた。ブルガリア。。。恐るべし。
駅のベンチでポツンとイスタンブール行きの列車を待つことにした。
アレキサンダーネフスキー寺院をバックに



