感動・・・。 | HIRO'S DIARY vo3

HIRO'S DIARY vo3

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


今日は姉の子供 (甥っ子) の野球の試合の応援に行ってきました。

小学2年生の時に野球を始めて、毎週の様に試合を見に行って





試合のない日は練習が終わってからキャッチボールをして
その後はバッティングセンターに行ってたくさん練習して
帰ってきてからは一緒にお風呂に入って一緒に御飯を食べて。

試合も練習も無い日は甲子園に行って阪神戦を見に行ったりして


ずっと自分の子供の様に一緒に過ごしてきました。


そんな甥っ子も高校2年生になりました。

そして新チームの4番を任されるまでに成長しました。

その高校は野球の名門校で、プロの選手を何人も輩出していて
去年のドラフトでも1人が指名されてプロに入りました。

OBには先日の北京五輪で日本代表に選ばれて行った
誰でも知っている球界を代表するピッチャーもいます。

監督は、某プロ野球チームの現監督の1年後輩で
当事親子鷹で甲子園を沸かしたチームのメンバーでした。

最近では珍しく、部員も1、2年生合わせて80人以上いて
来春に新1年生が入ってきたら100人を軽く越える大所帯になります。

今年の夏の予選は北大阪大会でベスト4まで勝ち上がり
去年の秋季大会では3位になって近畿大会に出場して
春のセンバツ大会に選ばれるまでもう一息でした。

そんなチームのメンバーは、ほとんどがリトル、シニア、ボーイズ上がりの
野球エリートばかりですが、本人は小学校は普通の軟式チームで、
中学はこの高校の中等部で準硬式の野球部でした。

今まで中等部上がりでレギュラーはおろか背番号さえ貰った選手はいなく
本人は何としてもレギュラーに入る事を目指して、朝早くから夜遅くまで
暑い日も寒い日も毎日毎日猛練習に明け暮れていました。

選手は100近くいて、上からAA(10人)、AB(10人)、BA(10人)、BB(10人)、その他に
分かれていて、AAとABを行ったり来たりしていましたが
先週レギュラー番号の 「8番」 を貰って帰って来ました。

そして今日は新チームで初の公式戦である 「大阪府秋季大会」 がありました。




練習試合ではずっと3番で最近は4番を打っていたのですが
公式戦ではどうなるかと思っていたら、先発メンバーで4番を任されました。



親とは違い、今までずっと冷静に実力を判断して見続けていましたし
いくら身内の欲目で見たとしても名門校の4番を任されるほどの実力があるとは
思いませんでしたが、今日少しだけその理由が分かった気がします。

試合は3点を先制されてスグに2点を返したけどまたスグに2点を入れられて
そのあと2度の満塁のチャンスを生かせずに5対2で最終回に入りました。

そして先頭の2番打者が凡退して3番がヒットで出塁して4番にまわってきました。

ここまでファーストゴロ、ファーストゴロ、センター前ヒット、ファーボールの後の5打席目。

その打席でツーワンからの4球目に、打った瞬間にそれと分かる当たりで
右中間に特大の2ランホームランを打ちました。

しかしその後の5番6番が凡退して結局試合には負けてしまい
センバツ出場の夢はアッサリと絶たれました。

でも球場全体が敗戦ムードに包まれる中で最後まで諦めずに打った一発は
チームにとっても本人にとっても次に繋がるとても大きなホームランだったと思います。

もし最後の一発が無ければ単なる惨敗の試合で終わっていたと思います。

それに再三のチャンスを何度もつぶして沈んでいたチームや
何度もタメ息をついて 「今年のチームは全然アカンなあ」 って雰囲気になっていた
後援会やOBや、応援していた父兄や一般の生徒たちも含めたみんなに
今後のチームの可能性を期待させるホームランだったと思います。

だから試合には負けてしまったけど、応援していたみんなはモヤモヤしていた気持ちが
少しだけ晴れて、悔しい中にも笑顔がたくさん見受けられました。

本人は4番を任されるようになってから周りの期待に応えなければいけないと
プレッシャーもあって少し悩んでいましたが、少しだけ4番らしい役目は
果たせたんじゃないかと思います。

それでも本人はスゴク悔しがっていましたが、早速明日から夏に向けて
猛練習に励むと、スグに前向きに気持ちを切り替えていました。

キャッチボールもままならなかった昔の事を思い出し
スゴク成長した姿に本当に感動しました。

2003年の日本シリーズの阪神対ダイエー戦でライトスタンドで応援していて
10回の裏に金本が打ったサヨナラホームランが目の前に飛んできたけど
その時より100倍感動しました。


まあそんな感動をもらった甥っ子の今後の成長を見守りながら
楽しみは来年の夏まで取っておこうと思います。


ちなみに父親は試合開始からちゃんとビデオを撮っていたのに
最後の一番いいシーンの前にテープが終わってしまって
家族と父兄から大ブーイングでした。