みなさま、おはようございます。
ワケアッテ。昨日の夜は、3時間睡眠です。
あれから、「コンクールの際は結果は問わず
頑張ったと認められたのに、なぜ、今回は
こんなに腹を立てるのだろう」と考えておりまして。
本人に、やりきった感がないからだ。
という結論に達しました。
やったことの結果は、
素直に受け止めればそれでいい。
自分の中でやりきったと納得がいく時は、
人のせいにしないで結果を受け止められるのだ
と思いました。
納得がいっていないのは、自分がきちんと
その課題と向き合わなかったから。
なのに、ついやりきっていない自分を認めずに
何かのせいにして逃げようとする。
そういうのがきっと嫌なんだな。
しごともそうで。
納得のいかない結果をもらっていろいろ考えるときは
自分がちゃんとそのしごとに向き合ってこなかった時。
どんなに言い訳しても、どんなに人のせいにしても。
自分がやるべきことをやらなかった、
そのことを自分自身が知っていて、だから、
それを指摘されたような気がしてしまう。
そういう時って、自分ができていなかった、と認める前に
つい、言い訳したり、人のせいにしてみたり、したくなる。
だって、人は弱いから。
でも、それは決して、そのしごとや人間関係の問題ではなく。
自分の中の問題。
どんなに課題の多いしごとでも
その中で精いっぱい、自分にやれることをやれば
しごとを終えて、結果が出た時には納得できる。
やりきった、精一杯やった、と思っている時は
指摘や評価も素直に受け止められる気がします。
昨夜、手つかずの英検の問題集を今さら1ページ目からやろうとし
「今すぐ寝ろ。寝て起きて、模擬試験やって、
苦手なところから追え、できてるところは捨てろ」と
鬼指導を受けた娘ちゃんは、早朝から起き出し、勉強をして
ふらふらと出かけて行きました。
「今の自分の中でやりきった、と自分で納得できてる時に
マミィが結果についてとやかく言ったことがあったか?」
というと、にやり。として。
寝ないで必死にやるから「やりきった」と感じるのではなく
自分の中で手ごたえや成長を感じることが
やりきったということ。
それが少しでも伝われば、いいなぁ。
今の自分の精一杯というのは
むやみに頑張ることではなく。
限られた時間の中で、やるべきことを見極めて、
コントロールしながら結果を出すための方法を
見つけ出すことだと、今は思います。
それは、しゃにむに生きる毎日を
越えていくからこそ、分かることなんだなぁ。
最初から、スマートになんて、いかないよね。どんなことも。
腹立たしいこともあるけれど。
子どもに学ぶことって、たくさんありますね。
今日も良い一日を。
