病歴
.昨日携帯からペタ見ようとしたら、自分でペタつけてしまったw(☆o◎)w
携帯のマイページからペタ見る方法がわからんです。
さて病歴ですが、昭和56年5月初め頃。
高校3年、帰宅途中で大型スーパーの本屋さんで立ち読みをしていたとき、
突然のお腹の痛みに立っていられなくなりました。
トイレに駆け込みましたが、腹痛は治まりません。
何とか帰宅し、翌日から学校休んで自宅療養。
そういえば、ここ一年間ぐらいずっと下痢で、水様便だったのです。
おかしいナとは思っていましたが、
近所の医院では、膵炎かもしれないとかですい臓の薬を頂いていました。
良くなるわけもなく、それから、2週間片時も痛みは治まらず、
トイレに何度も何度も駆け込む日々。
数分ごとに襲ってくる、腸をえぐられるような痛みに耐えかねて、
転げまわっていました。
体重もどんどん減るばかり。
見かねた母が、知り合いが婦長をしている隣町の総合病院へ連れて行ってくれました。
入院の用意をしてて来てください、といわれました。
というわけで、とにかく入院。
5月15日だったと思います。
それから朝晩の栄養分の点滴。
当時は今のような中心静脈持続点滴は、大学病院ぐらいでしかできませんでしたから、ただの点滴です。
そして、病名も定まらないまま、とにかく様々な止血剤や抗生剤、痛み止めの点滴や注射をうちまくりました。
が、一向によくなりません。
便の回数も一日20回ぐらいです。
そしてそのとき初めて、血便に気がついたのです。
家はまだ水洗ではありませんでしたから、下血に気がつかなかったんですね。
で、入院してポータプルのトイレでベットサイドでするようになって、初めて下血が分かったんです。
でも、その病院では、診断が付きませんでした。
ただ、月に一回大学病院から内科の教授先生が診察に来られているから、診て頂くという事ができました。
胃腸かの部長先生が、その大学の出身だったんですよね。
そういうわけで、その教授先生は、お腹を触って、血液検査のデータをサッと見ただけで、
「私の病院に来なさい。すぐに良くなるから。安心して」
と力強く言ってくださいました。
後から分かったことなのですが、その教授先生は、潰瘍性大腸炎を研究されており、新しい治療方法を開発されて新聞に載ったりされている、有名な先生だったのです。
その先生との出会いがなかったら、今の私はいなかったといっても過言ではないです。
で、転院したのが5月28日だったかなぁ、入院して2週間後でした。
もうすでに体重は40Kgを切り、37Kgになっていました。
明日転院という日の晩、母が一端荷物を取りに家に帰っている間に、その日まで診て下さっていた胃腸かの部長先生が来てくださいました。
「力及ばず申し訳なかったが、大学病院ではきっと治るから。大丈夫ですよ。」
と言ってくださり、少し涙ぐんでおられました。
きっと、自分の力が及ばなかったことと、しんどそうにしている私を見たら泣けてきたのでしょうね。
私はこのとき、
「自分はもうだめかもしれない」と本気で思い、
薄暗い病室で、何も食べられない私に、いつも用意されていた牛乳の瓶を見つめながら、
17歳で人生を終えるなんて、なんてことだ。
私の周りにあるのは牛乳瓶だけ。
他に何もない病室で、同級生は青春を謳歌しているときに、
自分は誰にも知られないまま、散っていくのか。
次ぎ生まれ変わったら、きっときっとやりたいことを思い切りやって、好きなように生きてやる!
と、自分の宿命を恨んでいたのでした。
で、翌日。
朝からお尻にぶっとい痛み止めの注射を打たれ、ストレッチャーに乗ったまま救急車へ。
そして、ただでさえ速い救急車で高速に乗り、ぶんぶん飛ばして、
あっという間に、隣の県にある教授先生の大学病院へ到着したのでした。
着くと、すでに担当医も配置されていて、
すぐに検査の嵐。
6人部屋に入り、すぐにIVHの処置。
当時はIVHを入れられる先生も限られていて、実績のある講師先生がしてくださいました。
しかーし、これがあまかった!
IVHを入れたとたんに、水分が身体に入ったおかげか、気分的なものか、身体が楽になったのは良かったけれど、翌朝、息ができないのです。
どんなに吸っても、ちょびっとしか息が吸えない。
おかしいけど身体は楽になっているからこれでいいんだ、と言い聞かせるが、やっぱりおかしい。
心配した母が、看護婦さんに言うと、即レントゲン。
やっぱり!
IVHが血管に入っていず、肺と横隔膜の間に入っていたのです。
で、そこに点滴の液がたまり、一晩のうちに横隔膜がそれ以上広がらないくらいになっていたため、息ができなかったのです。
一つ間違えば医療事故で死亡です。
間一髪で分かり、一晩かけて入れた輸液を注射で2時間かけて抜いてくださいました。
後遺症で不整脈が残りました。
でも私は、この失敗をちっとも恨んでいません。
講師先生は一生懸命私の命を助けようと思い、行ってくださったことであり、先生に命を預けたのは自分ですから。しかもそのときその病院で最高の技術を持っておられた先生が施術してくださったのですからね。
今は、医療事故とか医療ミスとかで、訴える患者さんやご家族の方が多いですが、先生を信じて命を預けたのは自分ですから、一生懸命やってくださった結果だったら、納得していいと思うんです。
ご意見は多々あるでしょうが、私の考えです。
で、再度失敗の少ない腕のわきの下あたりの静脈からカテーテルを入れ、中心静脈まで通すという術式を、別の先生がしてくださいました。
というわけで、何とかIVHも入り、治療がはじまりました。
次は、病名確定と治療について書きます。
ではでは。
薬のこと
プレドニゾロン5mg
ペンタサ9錠
イムラン2錠(100mg)
タケプロン
ムコスタ
ラックビー
アドソルビン
乳酸カルシウム
アルファロール
カルシウムの薬(週一朝一に飲むやつ、名前忘れた(*_*))
二か月前にプレドニゾロン7.5から5mgに減ったです。
髪の毛洗う度にすごく抜けるんですけど、イムランのせいだと思う。
この前主治医に言ったら、イムランの血中濃度を計る検査が保険通るように九月からなる、と言ってた。
今度計ってもらおうっと。
あっ、駅に着いちゃいました。
明日は、わたくしの入院歴について書きますね~ヽ('ー`)ノ~
ではでは
仕事復帰
でも本格的復帰は九月から。
三日経ちました。
お尻の辺りの痛みは少しあるけど、しごちをけいげんしていただいているので、大丈夫そう。
復帰前に引っ越したので、学生時代以来の電車通勤です
で、帰りの車中でブログ書くことにしましたd(^-^)
退院して半年経ちました。
ステロイド5mgにまで減り、2ヵ月経ちましたが、まだまだ顔丸いです。ムーンフェイスです。
パンダ顔です
このブログは、パンダ顔がキツネ顔に戻って欲しいと思ってタイトル付けました。
ステロイドはとても良く効くすごい薬だと思いますが、ムーンフェイスが嫌です。ムーンフェイスにならないステロイドを開発してくれたらノーベル賞をあげたいです。
そろそろ降りる駅に近付いてきました。
あしたは、今飲んでいる薬について書きます。
ではでは〓
