こんにちは。
スピリチュアル心理セラピスト
城田幸林です。
セラピストになるまでの軌跡を
シリーズできままにお伝えしていきます。
爆笑女王と言われる
陽気なワタシの暗い暗い別の顔。
つまり裏幸林。
今日は幼児期編②です。
生まれ、育ち、、、
そんな風に人は軽く言います。
ジャングルで育っていればジャングルが当たり前、
北極で育っていれば北極が当たり前となるのです。
セラピスト城田幸林の原点は
押入れの天袋
そう、まさにここにあります。
3歳の頃の記憶は鮮明にあります。
母はとても恐い人で、
キレると怒鳴り散らしながら
激しく暴力をふるうのが日課でした。
すごく怖かった。
鬼にしか見えなかった。
恐くて私が泣き叫ぶと、
「泣き声がうるさい!」と
今度は父が暴力をふるう。
父は力が強いし、
顔を殴るから嫌だった。
泣き声がおさまらないと、
決まって押入れの天袋に閉じ込められました。
高いし、
暗いし、
恐いし、
たいてい泣いているのではなく
ひきつけをおこしていました。
苦しくて
息ができなくて
「助けて、助けて」
って叫んで入るだけなのに
「まだ泣いているのか!」
って怒鳴り声しか聞こえてこない。
「助けて、苦しい
助けて、死んじゃうよ」
一番苦しい時に助けてもらった事はなく、
いつもそのまま気を失う。
そんな事の繰り返しでした。
私は
高いところ
暗いところ
閉め切ったところ
こんなところが嫌いになります。
そして、人間の大人も。
幼児の時のこの記憶は
私にとって都合が悪かったようです。
日々成長する過程で、無意識に、
ゆっくりと記憶を消していったんです。
そしてこの記憶を抹殺した。
このまま、一生思い出さないはずでした。
そう、26歳のあの事件の日までは。
~次回へ続く~
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