いつもこのブログを見てくれている皆さん、ありがとうございます!
そして24時間テレビの放送を観て、初めてこのブログを見てくれた皆さん初めまして!
放送を観てそれぞれに色んな感想を持ったんじゃないかと思います。
それを踏まえて改めて・・・。
オレはこれからも復帰を目指して頑張っていきます!
これだけ理解しておいていただければ十分です(^^)
10カウントという形でしたが、あくまでオレにとって新しいスタートのゴングです(^^)
ということで、今まで以上にリハビリとトレーニングに励みながら、プロレスからもらった夢とあきらめない心をつなげていきたいと思います!
お近くのイベントや時間があるときには、是非とも会場に足をはこんでください(^^)
明日はFMW新宿フェイス大会の会場にいます!
大仁田厚デビュー40周年大会!
19時からです!
8/29(土)の高松大会では、会場でミニライブもおこないます♪
サンポート高松展示場18時から!
最後に、天龍さん、藤波さん、武藤さん、小橋さん、雁之助、人生、丸藤くん、ドラゴンキッド、マンモス、そして大吉くん、石井さん・・・他、撮影に参加してくれた皆さんに心から感謝です。
【回顧録0001】
=================================
【今日から回顧録を第1話から改訂版で再スタートします!
ケガのこと、入院生活のこと、プロレスのこと・・・体験に基づいて綴っているので、初めての方もそうでない方も、じっくり読んでみてください(*^^*)
お楽しみはこれからだ!】
2001年10月21日深夜。
「ん~、風邪引いたな…」
バスは京都KBSホールでの試合終了後、そのまま翌日の後楽園ホール大会のため東京に向かっていた。
首、膝、肩、肘のケガの痛み、連戦の疲れに加えて連日の接待疲れで体調はすこぶる良くない。
体温計の数字は38.7度・・・予想通りの数字だった。
だからといって 薬を飲むほどの熱でもない。
「ま、明日にゃ下がってんだろ」
自分に言い聞かせるように呟いて、狭いシートで丸くなった。
当時オレが所属していた団体はFMW。
"インディペンデント"と呼ばれる団体の中では最大の勢力を誇っていた。
とはいっても地上波のテレビ放送もなく、実際のところ経営は火の車。
そんな状況の団体では、ポスターに一番大きく載っている自分が休む訳にはいかない。
営業スタッフは"ハヤブサ"をメインの商品としてチケットを売ってくれているし、お客さんも"ハヤブサ"を楽しみにしてくれているのだ。
実際これまでも40度を越えるような状態で試合をした事は一度や二度じゃなかったし
「とにかく 明日が終われば休みだ!」
それだけを心の支えに気持ちの張りを保っていた。
数時間後、バスは東京に到着。
オレは一旦蒲田の自宅に戻って仮眠を取り、身支度を整えて後楽園ホールに向かった。
残念ながら熱は下がっていないようだった。
「上がってないだけマシか…大丈夫!!」
自らを鼓舞するように、運転しながら大きな声で叫んだ。
この日のカードは後輩のマンモス佐々木とのシングルのタイトルマッチ。
マンモスは187cm、125kgの恵まれた体格と相撲仕込みの突進力で、メキメキ頭角を表してきた期待の若手だ。
メインイベンターとしてパワーを売りにしているマンモスの良さを最大限に引き出さないとならないし、ハヤブサらしい"受け"と"華"も観せなければならない。
そもそも後輩の良さを引き出してこその先輩なのだ。
そんな事を考えながら控え室に入った。
少なくともこの時は、この後自分に悲劇が襲いかかろうなどとは想像すらしていなかったが・・・。
=================================
◇イベント、ライブ出演情報◇
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
●8月19日(水)赤坂[ふらっとんcantina]
●8月24日(月)新宿[FMW]
●8月29日(日)高松[FMW]
●9月6日(日)熊本[be9]
●9月7日(月)野毛[サムズバー]
●9月13日(日)渋谷[ TINUN's bar HEADROCK CAFE ]
●9月14日(月)蒲田[ハヤブサと呑む]
●9月18日(金)水道橋[EBRIETAS]
●9月23日(水・祝)梅屋敷[ハヤブサとUOYA]
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予約、講演&ライブ依頼のお問い合わせはproject@hayabusa.good.scまで!
そして24時間テレビの放送を観て、初めてこのブログを見てくれた皆さん初めまして!
放送を観てそれぞれに色んな感想を持ったんじゃないかと思います。
それを踏まえて改めて・・・。
オレはこれからも復帰を目指して頑張っていきます!
これだけ理解しておいていただければ十分です(^^)
10カウントという形でしたが、あくまでオレにとって新しいスタートのゴングです(^^)
ということで、今まで以上にリハビリとトレーニングに励みながら、プロレスからもらった夢とあきらめない心をつなげていきたいと思います!
お近くのイベントや時間があるときには、是非とも会場に足をはこんでください(^^)
明日はFMW新宿フェイス大会の会場にいます!
大仁田厚デビュー40周年大会!
19時からです!
8/29(土)の高松大会では、会場でミニライブもおこないます♪
サンポート高松展示場18時から!
最後に、天龍さん、藤波さん、武藤さん、小橋さん、雁之助、人生、丸藤くん、ドラゴンキッド、マンモス、そして大吉くん、石井さん・・・他、撮影に参加してくれた皆さんに心から感謝です。
【回顧録0001】
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【今日から回顧録を第1話から改訂版で再スタートします!
ケガのこと、入院生活のこと、プロレスのこと・・・体験に基づいて綴っているので、初めての方もそうでない方も、じっくり読んでみてください(*^^*)
お楽しみはこれからだ!】
2001年10月21日深夜。
「ん~、風邪引いたな…」
バスは京都KBSホールでの試合終了後、そのまま翌日の後楽園ホール大会のため東京に向かっていた。
首、膝、肩、肘のケガの痛み、連戦の疲れに加えて連日の接待疲れで体調はすこぶる良くない。
体温計の数字は38.7度・・・予想通りの数字だった。
だからといって 薬を飲むほどの熱でもない。
「ま、明日にゃ下がってんだろ」
自分に言い聞かせるように呟いて、狭いシートで丸くなった。
当時オレが所属していた団体はFMW。
"インディペンデント"と呼ばれる団体の中では最大の勢力を誇っていた。
とはいっても地上波のテレビ放送もなく、実際のところ経営は火の車。
そんな状況の団体では、ポスターに一番大きく載っている自分が休む訳にはいかない。
営業スタッフは"ハヤブサ"をメインの商品としてチケットを売ってくれているし、お客さんも"ハヤブサ"を楽しみにしてくれているのだ。
実際これまでも40度を越えるような状態で試合をした事は一度や二度じゃなかったし
「とにかく 明日が終われば休みだ!」
それだけを心の支えに気持ちの張りを保っていた。
数時間後、バスは東京に到着。
オレは一旦蒲田の自宅に戻って仮眠を取り、身支度を整えて後楽園ホールに向かった。
残念ながら熱は下がっていないようだった。
「上がってないだけマシか…大丈夫!!」
自らを鼓舞するように、運転しながら大きな声で叫んだ。
この日のカードは後輩のマンモス佐々木とのシングルのタイトルマッチ。
マンモスは187cm、125kgの恵まれた体格と相撲仕込みの突進力で、メキメキ頭角を表してきた期待の若手だ。
メインイベンターとしてパワーを売りにしているマンモスの良さを最大限に引き出さないとならないし、ハヤブサらしい"受け"と"華"も観せなければならない。
そもそも後輩の良さを引き出してこその先輩なのだ。
そんな事を考えながら控え室に入った。
少なくともこの時は、この後自分に悲劇が襲いかかろうなどとは想像すらしていなかったが・・・。
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◇イベント、ライブ出演情報◇
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●8月19日(水)赤坂[ふらっとんcantina]
●8月24日(月)新宿[FMW]
●8月29日(日)高松[FMW]
●9月6日(日)熊本[be9]
●9月7日(月)野毛[サムズバー]
●9月13日(日)渋谷[ TINUN's bar HEADROCK CAFE ]
●9月14日(月)蒲田[ハヤブサと呑む]
●9月18日(金)水道橋[EBRIETAS]
●9月23日(水・祝)梅屋敷[ハヤブサとUOYA]
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予約、講演&ライブ依頼のお問い合わせはproject@hayabusa.good.scまで!