和歌山県の山奥にコミュニティを創ることで成功した山奥ニートの集団が一時期、話題になりました。

彼らは限界集落に自分たちの居場所を作り、そこで集団生活を送っておられるそうですが、素晴らしい試みだと思います。

遥か太古の時代から集団社会に居場所を見出だせなかった人々は一定数おられたのではないでしょうか。

社会が規則や法律、納税といったものに縛られるようになった現代では更にそんな社会に生きづらさを感じる人々がおられるのではないかと思います。

我々のような精神障害を抱える者達も、旧くは「怠け病」などと揶揄され職業社会から排除されたこともありましたが、現代医学において、それが立派な病気であることが証明されて今日があります。

旧い精神薬は服用するとかなりの眠気を伴いましたので、平成の始めのころなどは上司に「お前はアクビばかりだ!やる気がないならいますぐ辞めろ!働きたいならアクビを止めろ!」などと理不尽にドヤされたものですが、最近の職場は精神疾患にも一定の配慮が為されると聴いて時代の変化に驚いたものです。

我々、障害者が社会の側に合わせるのではなく、ハンディキャップのある人々の側に社会が合わせる時代が来たのだということに光明を見る思いがします。

山奥ニートのみなさんも正にニートが社会に合わせるのではなく、ニート自身が自分たちの社会を自ら創ることに成功されておられるのではないでしょうか。

私もいま通っているクリニックの院長に、「山奥ニートを(デイケア寮生で)やりませんか」と提案したことがあります。

結果は「予算の都合で尚早」でしたが、ナイストライだったと思っています。

「ワラジ(社会生活)に自分の足を合わせるのではなく、自分の足に合うワラジを編む。共生舎とはそんなところ(略文)」

共生舎代表の 石井 新さんの言葉でした。

「山奥ニートやってます。」石井 あらた(光文社)

そっと、病院待合室の本棚に入れておきました(笑)