久しぶりのブログ。
というか、実はもう一つのブログには毎日日記つけているんだけどね。
こっちに書くのが久しぶり。

ちょっとブログを使い分けています。
もう一つの方はあまり考えず、日々起こったことなんかを書いているだけ。
記録のようなもの。

こっちはもう少し考えを書いてみようと思っています。
エッセイみたいなもんだね。

そんなわけで久しぶりに書くエッセイ。

今日はアモイから。
出張中です。

昨日、ツイッターに何気なく尾崎豊の卒業のワンフレーズをつぶやいた。
つぶやいたフレーズは
生きるために計算高くなれと言うが、人を愛すまっすぐさを強く信じた
大切なのは何、愛することと生きるためにすることの区別迷った」

何となくそんな雰囲気だったから。
最近こんな気分になることが多い。
要するに、本当にやりたいことと今やらなければならないこととのギャップに
少し悩んでいるってところ。

誰しも多かれ少なかれそういう点はあるんだろうけど、今年のオレは特にその思いが強いようだ。
これは悪いことではないと思う。
何と言っても、やりたいことが明確になってきているってことだから。
去年までの自分にはちょっとなかった部分だ。

悪いことではないんだけれども、じゃ、どうするか、ってことで悩んでいるわけだ。
10年前のオレだったら間違いなく、今やっている仕事を辞めて、自分がやりたいことに就いただろう。

今それができずに悩んでいるのは何か。
今の楽な暮らしを棄てるのが怖いのだ。

何としてでも食べていけると思っていたあの頃に比べ、勇気がなくなってしまっている自分がいる。

何かを棄てなければ次のものは手に入らないのは分かっている。
思いきるべきか、計画的に行くべきか。

計算高くなるのであれば、じっくり計画を立てて、やりたいことを実現するのがいいだろう。
自分の思いを強く信じて思いっ切ってやってみるっていうのは、
おそらく世間一般から考えたらへたくそな生き方になるだろう。


最近はこんなことを悶々と考えて過ごす毎日だ。
ただ、立ち止まっているわけではない。
できることから少しずつ手をつけて、やりたいことを行っている。

ま、もう少しタイミングを見てみるかな。
常に考えていると、ある時その絡まり合った糸が、パーっとほぐれて一つになる時があるんだよね。

これは大学時代の恩師が、やっぱり当時悩んでいた私にかけてくれた言葉。
彼のおかげで今の私があると言っても過言ではない。
あれは1996年だから、15年前か。

この言葉を信じて、もう少し我慢してみるかな。

うん、なんかこうやって文字にしてアウトプットすると気分が落ち着くな。
がんばろう。