ふせい白書 -4ページ目

ふせい白書

あらあらまたこんなことを?よろしくないわねえー。ちょっと成敗してあげましょうよ。

前回このブログに書いたように、次の日に長女の勉強をみて
みた。


長男と同じくチャレンジはやってはいるものの、しっかりと
親として、今まで把握していなかった。


たまにみると自分で○つけまでしているので、まあよし、と
していた。


長男の場合、1年生の3学期から毎日勉強をみてきた、という
こともあるのだろう、今では、学校の宿題、基礎的なチェッ
クはチャレンジで行い、先取りを塾でやっている、という流
れができあがってしまった。


長女は1年生の1学期は、長男の時のように妻が勉強をみる、
といっていたのだが、やはり途中で挫折し、今にいたる。

やはり私がみなければならないようだ。



さて、実際にみてみた。チャレンジではあてにならないと思
い、目の前で足し算引き算カードという、算数セットに入っ
ているものをさせてみた。


例えば表に3+5と書いてあり、裏に8と答えが書いてある
ものだ。


紙に書くのではなく、問題を声にだして、とにかく早く答え
を声でださせる、といったゲームみたいなものだ。


目の前にストップウォッチをおいてやってみた。


今2年生になったばかりだが、勉強をみていなかったせいか、
なかなかすぐにはでてこないのである。



以前に娘(長女)が、「友達が公文にいっているけど、私は
いきたくないんだよ」と言っていたことがあり、その理由が
計算に指を使えないからだと、大笑いをしていたことがあっ
ったが、言葉通り、2年生になった今も指を使って計算をす
る。


しかも、すごいなと思ったのは、例えば14-8みたいな繰
下がりや繰り上がりといった計算を、片手で解くのである。


10を超えるわけだから、指は10本使うはずだが、娘は
全て片手で計算できるのである。しかも、めちゃくちゃスピ
ードが早い。


その姿がかわいくも見えるから、自分ながらにどこまで親ば
かなのかと我に返った。


ただ、やはりどこかで指の単位を間違えるのだろうか、例え
ば15-7という問題を12と答えたりする。


なんとなくわからなくもない間違いだから笑える。



これはこれで、すごいと思ったが、やはりよくないと判断し
指は使わない、というルールでやってみた。


やはり、時間がかかる。



指を使わない理由は、昔からそうなのだが、10という単位
を頭の中で理解しないと、今後、もっと複雑な計算がでたと
きに理解できなくなるからだ。



小学校一年生のお子さんをお持ちの方は当然、ご存じだと思
うが。



例えばこうだ。14-8の場合、まず14を10と4ででき
ているとみる。そして10から8を引いて2、2と前にわけ
た4を足して6、という理解が必要なのである。
文章に書くと難しく見えるが、実際にはこのほうが、計算ス
ピードも早い。



そこができていないと思い、娘がやっているときに横からす
ばやくヒントを声に出して言ってみた。



前述の14-8であれば、「14は10と4だから、10ひ
く8は?それと4で」と私がいうのである。娘はカードを見
ながら私の質問に答えていけば、答えまで導き出せる。


我ながら、素晴らしいやり方だと思った。



しかし、思いがけないところに落とし穴があった。



14は10と4だから、10から8引いたら?といったとこ
ろで詰まってしまうのである。


10がなんとなにでできているかを、空で言えないのであっ
た。



これは困った。



長い旅は始まったばかりである。かわいい娘のためだ、どこ
までも付き合ってあげるぞ。



しっかりと決断できた日であった。

僕は塾にはいかないといってどれくらいになるのだろうか。
およそ一年くらいか、4年生になった時に会話したのだから。
今では塾の宿題とテストの見直しと学校の勉強と進研ゼミに
追われているわが子である。


気になるのは長女で今年2年生になった妹だ。
長男のときは、1年生の3学期の正月から勉強をみていたが
妹の勉強は今のところ手つかずでいる。


一応、今夜は算数をしようね、というと「いいよ」と返事を
くれるのだが、風呂上りにテレビを見ていたりしていっこう
に幻の勉強は始まらないのである。


かといって、余裕のある日曜日などに「今日は算数しようか」
と言おうものなら、「今日はしないよ」といわれてしまい、
妹には何も言えずに終わってしまう、気合いの足りない父親
となってしまっている。


長男が勉強を始めたころは、半分強制的な面もあったかな?
と感じている。


ただ、長男はできなくて泣くことはあっても、嫌がりはしな
かったと思っている。


毎日、学校の宿題以外に、市販のドリルを算数と国語を2種
類買い与え毎日計画をたててやっていた。
私も毎日ドリルの○つけをしていたので大変だったが、1年生
で毎日2時間近くは勉強を続けた長男も大変だったと思う。


国語は漢字ドリルと長文読解といった組み合わせで、算数は
計算ドリルと文章代といった組み合わせであった。
ドリルはその時の判断で買ってきていた。


長女には何もしてあげていない。この違いは何なのだろう。


勉強がどうのこうの、というより、長男と長女、と父親との
関わり合いがなにか影響しているのではないかと思うが、と
いうより、きちんと勉強を見てあげなければな、と長男の
塾のことを考えるときにいつも思い出すのである。


とにかく明日は長女の勉強を見てあげよう。


ちなみに長女のお母さん(私の妻)は健在です。

原発事故についての政府に対する批判が取りざたされている。
歴史上最悪の地震が発生し、原発事故が起き、当初の発表とは
違う、深刻な事態になってしまったことに対する批判である。


このような批判を聞くと、私であれば、ではご自分でどうぞ、
と思ってしまうのだが、責任ある立場のパーソンズはそうはいか
ない。


ただ、自民党が政権を握っていたとしても変わらない結果だった
であろう。


むしろ、あの体質のことを考えるともっと最悪な事態を招いたか
もしれない。


批判は批判で受け止めなければならないが、批判にはルールが存
在するのを多くの人は分かっていない。


今回の件だけではない、色々なことで、ごもっともなご意見を批
判という形で発信する場合のルールがなさすぎる、と感じる。


批判するのであれば、じゃあ自分はどこでどうしたのか、今なら
自分はどうするのか、という具体論までいうべきである。
前代未聞の事件などに対応する場合はなおさら、そのようなスタ
イルが必要なはずである。


それが、ニュース等をみると、テレビのアナウンサーも偉くなっ
たらしく、政治家をスタジオに呼びつけ、意地の悪い質問を(
それがアホな国民にはおもしろいのだろうが)するのが最近の流
れになってきている。


こういった批判を日ごろから書いている私ではあるが、最低限、
そこのルールはきっちり守っているつもりだ。


必ず批判する時は、自分はこう思う、と意見を持っている。


むしろ、反論する自分の行動起源がなければ批判はしない。


なぜなら、じゃあ自分ならどうするか、と考えるからである。


話を戻すと、今回の地震で、原発の問題の初動に問題がある、と
主張するのであれば、ではどうすればよかったかまでコメントす
べきであるし、できなければ任せるしかないのだ。


更に、どうすればよかったと言えるなら、その時に言っておくべ
きである。


それができないから、後付けと思わざるを得ないし、それなら信
用できない。


そろそろ自分の保守だけではなく、本当に国民の事を考えた政治
をするべきだと実感してほしい。

つたない詩ですが、被災地の方へ届けたいと思い書きま

した。今、現地で大事なことは希望を失わず強い心をい

かに持続できるかだと思います。


とても大事な方を亡くされた方、たくさんの知り合いを亡

くされた方、家族全員を亡くされた方、いらっしゃると思

います。

でも今は一人でも多くの方が、生きる、ということに全力

を尽くさなければならないと思います。

生きる、という心を持ち続けることは、現地では大変な

ことだとは思いますが、再度挑戦してください。


遠くから勝手な意見ですが、そう強く思ったので書きま

した。


  生(せい)


1.僕の見ていた川は
  こんな川じゃなかったと思う


  僕の見ていた花は
  こんな花じゃなかったと思う


  天をみよ 空をみよ

  そしてここに僕は生れた

  花をみよ 蝶をみよ

  そして僕は飛び立つだろう


2.僕の生まれた町は
  こんな街じゃなかったと思う


  僕の聞いていた音は
  こんな音じゃなかったと思う


  明日をみよ 今をみよ

  やがてその手は差し伸べられる

  生をみよ 鼓動をみよ

  明日から続いていく道を


3.僕の知っている道は
  こんな道ではなかったと思う


  僕の知っている人は
  みんないなくなってしまった


  その手をみよ 足をみよ

  生きていくことだけが今のすべて

  父をみよ 母をみよ

  ちからある限り 光を追って


  明日をみよ 今をみよ
  やがてその手は差し伸べられる

  生をみよ 鼓動をみよ

  明日から続いていく道を


  その手をみよ 足をみよ

  生きていくことだけが今のすべて

  父をみよ 母をみよ

  ちからある限り 光を追って


今回切なさを提供してくれるのは


   「縞模様のパジャマの少年」


2008年
主演:エイサ・バターフィールド、ジャック・スキャンロン


今回紹介するのは、夜寝ようかなと思って、眺めたひかりテレビで
偶然流れていた映画です。


子供の友情を訴えている映画なのかな、と思っていたら、あーらビ
ックリの展開で思わず最後まで見てしまいました。


最後まで目が離せない映画ですよ。


「縞模様のパジャマの少年」


あらすじ


ナチスドイツ終盤の時代。ナチス将校の父の仕事の都合で、ベルリ
ンの郊外に引っ越してきた8歳の少年ブルーノ(エイサ・バターフ
ィールド)は、友達もいず退屈をしていた。


ある日、家の裏側を散策しているときに、裏山の少し行ったところ
で巨大な金網越しに、パジャマを着た少年と出会う。


少年はユダヤ人のシュムール(ジャック・スキャンロン)だった。


友達のいないブルーノはそこに通いシュムールと話すのが日課にな
ってくが、実はシュムールのいる金網の中はユダヤ人の収容所であ
った。


収容所では定期的に多くのユダヤ人がまとめて虐殺されていたが、
皮肉にも、それを仕切っていたのはブルーノの父であった。
幼いブルーノは事態を把握できないまま、シュムールとの間に友情
が芽生える。


お互いに友情を確かめ合ったある日、ブルーノは収容所の中に紛れ
込むが、そこである事態に巻き込まれる。


子供二人の会話が物語を進めていきますが、その子供の演技力が抜
群で、その演技力がしっかりストーリーにリアリティを持たせています。


改めて、ナチスの収容所ではこのようなことが行われていたんだ、
と発見できたことが、一つの収穫になるかもしれません。


ネタばれになるので結末は書きません。


なかなか重たい映画です。後悔はしませんので気になる方はぜひご
覧ください。

今回切なさを提供してくれるのは


   「タイムリミット」


2004年


主演:デンゼル・ワシントン


今回紹介するのは、昼過ぎにたまたまつけたひかりテレビで流れて
いた映画です。


サスペンスなのですが、事件が起きるまでと、起きてからのスピー
ド感が全く違います。


とてもうまく作られています。


とくに設定が素晴らしい、思わず引き込まれ、仕事が手につきませ
んでした。思わず最後まで見てしまいました。


面白いので見てほしいです。


「タイムリミット」


あらすじ


フロリダ州の小島で警察署長を務めるマット・リー・ウィトロック
(デンゼル・ワシントン)。


真面目で敏腕であるが、妻と離婚調停のさなかに、なかなかうまく
いかない趣の中で、高校時代の彼女と遭遇し親密な関係になってし
まう。


彼女は夫とうまくいっておらず、離婚するつもりだとマットに告げ
る。


心が揺れる中、体調が悪いので付き添ってほしいと言われた病院で、
彼女は余命6ヶ月の癌に冒されていると医師から告げられる。


目の当たりにしたマットは傷心の中、高額の医療費に充てようと、
麻薬捜査中に預けられた証拠金を横領し、彼女に渡し、一緒に街を
出ようとする。


しかし、約束の時間になっても現れない彼女。


約束の翌朝早くマットは彼女の家を訪れるが、いきなり家ごと爆発
し、そこで発見される2体の遺体。
家は放火されたと判明し、殺人事件として殺人課の刑事が派遣され
るが、その刑事はマットの調停中の妻、アレックス(エヴァ・メン
デス)であった。


マットを目撃したものが現れたり、死んだ彼女の携帯履歴に自分の
携帯電話の番号が残っていたりするが、先回りをしてマットは自分
の証拠を消し始める。


圧倒的に不利な立場から真犯人を割り出そうとするマットと、次々
に出てくる証拠から犯人を捕まえようとする、妻、アレックスとの
時間の勝負が始まる。


自分の落ち度で殺人事件に巻き込まれるマット、それをヘルプをし
に来たのが、離婚調停中の妻アレックス。
マットは離婚はしたくない、と考えていたがゆえに、絶対にバレた
くない、彼女との関係。


参りましたと思わず言ってしまいそうな設定と、スピード感ある展
開がまるでサスペンスと感じさせない作りとなっています。

そのスピード感には誰でも引き込まれるでしょう。

面白いです。

昨日懸念していた、余震の範囲が新しいプレートに
移行してきているのではないか、ということを先ほど
フジテレビのとくダネ!でとりあげていた。


メインキャスターの小倉さんはこのことを先に放送
するつもりであったようだが、昨日の原子炉の爆発
騒ぎを先に放送した。


要約すると以下のようなことを専門家が言っていた。


少しずつ震源地が南に移動して生きているのは、少
なからずとも今回のプレートの地震の影響が、となり
あうプレートに影響はしているかもしれない。


ただ今の段階では余震があっても新しいプレートで
の大地震が心配されるわけではない。
様子をみたほうがいい、という内容だと思った。


わかったようなわからなかったような、というコメ
ントであったが、自分が考えているほど、事態が深
刻ではないという印象を受けた。


色々と”とくダネ!”のネタはブログに活用させて
もらっているが本当に”とく”だ。


これは小倉キャスターの気配りによるところが大き
い。
これ聞いてくれないかな、ということを聞いてくれ
る。


よく見るのは中野アナの発言のフォローである。


特に大事には至らないミスなのだが、あっ、違うぞ、
と思うと、たいてい小倉キャスターがフォローする。


また、他のフジテレビのキャスターが別の番組でコ
メントしたこととは正反対のコメントをはっきりコ
メントしたりする。


これは自分もそう感じている時が多いので、あっぱ
れ、だと思うことが多い。


自分たちの場所からは発言できない分、してくれ

るような気がする。


見ていて気持ちのいいキャスターである。

今後とも細かいフォロー期待しております。

昨日から今日にかけて気になる余震があった。


テレビでは余計なことだろうから言わないのだろ
う。


今回の大地震は宮城県沖を縦に走っている太平洋
プレートに反発したために起きた、プレート境界
地震というもので、阪神大震災とはメカニズムが
違う。


太平洋プレートは東北地方の東側を日本に沿って
縦に走っているプレートだ。


破壊されたプレートの規模が大きかったために今
回のような大地震となった。


私が気になったのは、フィリピン海プレートのこ
とである。


ニュースでは触れられていないが、関東大震災は
太平洋プレートではなくフィリピン海プレートに
よる地震だ。

だから、横浜、東京に住む人にとってはそちらの

地震の方が気になる。


フィリピン海プレートは太平洋プレートからVの字
に千葉の沖から静岡に食い込み、そこから逆Vの字
で東海沖から四国沖さらに九州沖に走っているプ
レートである。


プレートがいくつか交差しているために分かりに
くい。

東京や静岡などに地震が起こるとすれば、フィリ
ピン海プレートによる地震だと想定されている。


今回は太平洋プレートが原因のため、余震は宮城
県沖、東北地方がほとんどだ。


ただ昨日から、今日未明にかけ、太平洋プレートで
はないのではないか、と思われるような場所で余震
が起きている。


以下に記載する。


昨日の20時41分に微弱ではあるが、静岡県の
ど真ん中を震源地とする余震があった。


さらに本日1時41分には東京湾でM3.9の余震
があった。


5時2分に東京湾でM4.1の余震。


5時9分に東京湾でM4.1の余震。


6時14分に静岡県沖でM2.9の余震。


9時55分に東京湾でM2.8の余震である。


関東エリアも余震が収まるまでは予断の許されない
状況だということを頭にいれて行動すべきである。




今もなお、悲惨な状況がテレビでは流れている。

ネットでは義援金や災害情報、あげくにはチェーンメール

まででまわっている。


地震当日私は自宅で仕事をしていたのだが、地震直後

携帯電話はストップ、固定電話も通じなかった。


私は、直後、何も連絡がないまま、子供を迎えに走って

いた。


もし、帰宅途中だとすれ違わないように、近道もせず、通

学路をたどった。


その間電話は通じない。

学校とも話をしていない。


だが、学校につくと子供は待っていた。やっと子供と会え、

その後家族に連絡しようにも携帯電話が通じないので、近

くの公衆電話を使ったが、結構な行列でしばらくまって、

電話をした。

が、後ろがつかえているため端的に話をして、切った。


その後、帰りに雨がぱらつきだし、下の子供が寒くて震え

ていたのでタクシーに乗ろうとしたが、通りゆくタクシーは

全て乗車中で、我慢をさせ、仕方なく数十分歩き帰宅した。


帰宅したが家族(妻)とその下の子供、に連絡がとれない

まま、帰りを待つことになった。


まるで昭和だ。インターネットが通じるといえど、それはパ

ソコンの前でじっとしていられる人の話で、本当にそのよう

な時に通信を必要としている人はパソコンの前にはいない。


現地の恐怖は尋常ではないだろう。


巷のブログなどでは、171の紹介や、ネットが通じたなど

と掲載しているが、現地の人をはじめとして、本当に動か

なければならない人はそんなものは見れない。見るところ

にいない。


171のことはどのテレビチャンネルでもやっていたし、

現地の人はテレビもネットも使えないのだ。


地震の恐怖に震えながら、子供や家族の心配をして歩き

まわっている。


また、義援金の募集などもでているが、本当に義援金を

だすのであればだまって払えばいいし、集金などはもっ

てのほかだ。


そもそもそのようなことは本人の気持ちでするものである

から人から言われたり、人に言ってするものではない。


また、まだまだ現地では、お金ではなく兄弟や家族に会い

たい、と思っている人の方が多い。


お金がだめだと言っているわけではない、どうせするなら

ユニクロのように14億円寄付するようなときに公表すれ

ばいい。


私の住んでいる地域もかなり揺れ、家族がそろうのに時

間がかかったが、何もごともなく前のままの家族がいる。


しかし、軽い気持ちでネットがあるからいいだろう、とは言

えない現実を目の当たりにし、今もなお家族にあえない

人のことを思うと励ます言葉も簡単にはでてはこない。


救済案をひとつ


大地震が起きた、かつて経験した事のない大地震だ。


関東大震災より大きい地震である。


東京もかなり揺れた。駅前には多くの人だかりができ、電車は
前線ストップ、まるで映画のワンシーンであった。


歩く先々では、オフィスビルから会社員が飛び出てごった返し
ていた。


大手の会社では避難訓練が行き届いているらしく、100人く
らいの社員が白いヘルメットをかぶって避難していた。


会社の帰宅時間となる5時頃には、JRの線路の上を多くの人が
歩いていた。


東北地方の現地では避難する暇もなかったのだろう、多くの方
が命を落としてしまった。

被害者の方ののご訃報に接し,心から哀悼の意を表します。


ここで、一つ案がある。


現地では一つのビル屋上から少しずつヘリで救出されるシーン
が流れている。


ヘリの数に比例して、助かる人数も増えるし、他の建物の救助
も可能になるだろう。


そこで、日本全国の自衛隊のヘリを現地に送る、というのはど
うだろう。

と、先程、民主党には提案してみた。


空いた自衛隊基地が気になるが、まずこの状況では戦争をしな
い国に戦争を仕掛けてくる国は北朝鮮くらいで、ほとんど可能
性はない。


ただ、心配なので、沖縄にいるアメリカ軍のヘリや、ジェット
機を空いた自衛隊の空港に配置するのだ。
あくまで、今後の余震被害に備えてという大義面分である

これなら、アメリカ軍を沖縄に置く理由もできる。


これくらいして、早く現地の人を助けるべきである。


ただ順番を間違ってはだめだ、アメリカ軍を現地に送っても、日
本語で苦労するからだ。


災害で言葉が分からないほど、悲惨なことはないだろうから。


あくまで自衛隊を現地に送り、空いた所にアメリカ軍を配置す
ること、これを間違ってはもともこもない。