コロナ騒ぎも少し落ち着いてきたのか、マジックを依頼されることがあります。自主的に、赤ちゃんのためのマジックショーとデイサービス「つくい」のマジックがありますので、実践練習が月に4回、できるようになりました。マジックをする機会があるというのはありがたいことです。
また、毎年うかがっている幼稚園、保育園からも来年度のお楽しみ会でのマジックショーの依頼がありました。あと何年できるかわかりませんが、精進します。小さな子どもたちのために。
さて、マジックは短歌であるというこじつけ論を展開します。逆もまた真で、短歌はマジックなのであります。
二つに共通する最大のものは、意外性です。マジックは、あっと驚くトリックの意外性で成り立っています。そんな馬鹿なというような現象が次々に現れます。そんな馬鹿なと言いつつ、観客は、だまされること、その意外性を楽しみます。
短歌もまた同じです。そんなものの見方があったのか、という意外性に気づかされます。気づきは快いものです。うーむ、うまいもんだ、表現も見事と納得します。
そこにはストーリがあります。マジックはステージであれ、クロスアップであれ、ストーリーがあります。Aから始まりBに移りCに至ります。Cの結末に意外性があったり、どんでん返しがあったりします。そして、そのどんでん返しに、えらく納得したりします。
わたしは4本のリングをつないだりはずしたりするマジックをしますが、これなど、起承転結を考えて演じています。ここにも私はストーリーがあると思っています。短歌は上五七五が七七につながって、意味を深めます。七七に時々アッという意外性があるものです。
もう一つ、マジックも短歌も創作という点が共通しています。創作とはコピーではないということです。人と同じこと、まして、人の持ちネタを無断でやるなんて、アマチュアだってやってはいけないでしょう。とはいえ、マジックは、道具が商品化されていて、それらは私たちアマチュアにとって、マジックの世界に入る入り口になります。商品化されたマジック道具をうまく使うこと、工夫することは、創作に近づきます。
短歌は完全に創作であらねばなりません。マジック以上にコピーは厳しく罰せられます。時々、類似の歌ということで選を外されるのを見かけますが、どうなんでしょうね。
意外性、コピー、ストーリー。以上、こじつけのマジック短歌論でした。
幼子は倒れそうでも倒れない風が運んでくれる足取り 神田民司
これはコピーではありません。私の創作です。
4月2日付中日新聞島田修三さん選。