思えば長く生きました。太く短くでなく細く長くですね。いい人生かというとそうではない、悔いること、反省することがいっぱいです。でも、また助けられたりすることもいっぱいありました。だから、前を向いてこれからも生きていきます。不器用だから、つまずいたりすると思いますが。

 

緊急事態宣がようやく解除になってマジックの依頼が入りました。さしあたり、来月、一畑山薬師寺の特別会場で演技することが決まりました。今までほとんど練習していなかったので、これからは毎日、1,2回練習します。演目は、球体の浮く「ゾンビボールと」と4本のリングのつなぎ合わせ「リンキングリング」です。

 

皆さんに見てもらうことがメインですので、感染対策で、演技が終わればすぐ退出しようと思います。そこまでしてと思われますが、マジシャンは見てもらいたいのです。20分間を、燃焼するものがあるということは幸せです。

 

リンキングリングは、マジックを習って2年目、豊田の床屋さんの「リング持ってるもので集まって研究しよう」という呼びかけに私も参加しました。リングの手順の基礎はこのときのものです。学校の仕事が終わって家で食事をしてから豊田市の床屋さん宅まで車で行きました。8時に集まって10時まで、2階の一室に集まってひそひそ、がやがや、マジックの会合でした。やはりマジックは怪しい雰囲気を醸し出すものです。

 

そのころ、私は仕事がうまくいかず、マジックに逃げていたと思います。寝ていても仕事のことよりマジックでしたから。マジックの手順を頭に浮かべて寝てました。

 

床屋さんは夜8時を過ぎてもお客さんがいて、遅れて2階にやってこられます。いつも笑顔で、何でもこなせるマジシャンでした。最初に出会った人の影響は大きいですね。今もマジックを続けられているのは床屋さんのお陰です。

 

リングの基礎を学んでから、人前でやるようになりました。いろんな人のマジックを見ているうちに、考えられないような技を持った青年(あの頃は若々しかった)に出会いました。マジックのタネを知っているのに私は感動します。それで彼からそのテクニックを教わりました。さらに、名古屋の尊敬する師からワンポイントのアドバイスを、そして岡崎のベテランマジシャンからハンドリングの指摘を受けました。私の4本リングはもう完成です。これ以上手を加えないほうがいいでしょう。

 

ゾンビボールもやりたくてしようがないマジックでした。当時、この道具は15000円でした。マジックの道具は総じて高価なのですが、妻はマジックのことならお金を使うことに何も言いませんでした。当時は今よりもっとマジックが盛んで、イベントが毎週あったほどで、仕事よりマジックですのに、妻は出かけることを許してくれました。ゾンビはリングよりはるかにむずかしい。

 

ゾンビボールもリングの技の青年の演技を見て始めました。彼の技はそのパントマイムにあったように思います。うまかったですねえ。でも、リングのようにゾンビはものになりません。あるとき、またすごい青年に出会いました。彼のゾンビのすごさは半端でありません。目の前で何度見ても感動します。彼からレクチャービデオをもらい、それで学びました。ビデオがなければものにならなかったでしょう。それから練習と、何人かの人のアドバイスをもらいながら、何とか舞台で見てもらえるようになりました。ちょっとした感想、ちょっとしたアドバイスがとても有効です。私は何気ない感想を聞き漏らしません。それは常に核心をついていますから。

 

というわけで、自分一人でやっているようで、何と多くの人から助けられているかというお話です。ゆめゆめ、自分一人がえらいなんて思わないようにすること。

生かされているのです、私たちは。

 

ギリシャに行ったわけではありません。知立市の博物館前の広場です。