マジックより短歌に比重がかかってきています。去年2月から始めた短歌、もうすぐ1000首になります。五七五七七と言葉を並べるだけですから、誰でもできます。並べ終わると何となく心地よい。それにはまってしまいました。

 

いったいに、私は短歌や俳句に向いていません。なぜなら、花や木にとんと興味がないからです。名前が全然出てきません。覚える気がありません。梅と桜と見分けられません。桃になるとさっぱりです。オタマジャクシが蛙になるのはわかりますが、なぜこの草が成長するとこうなるかわかりません。歌を詠む資格はありません。

 

でも歌は自然を詠むだけではないようです。生活詠というのがあるそうです。日々の生活を詠んでいいそうです。それならできそうです。散歩している時、浮かんだ言葉をメモして歌にします。だから言葉遊びの域を出ません。

 

この頃、一日50首読み、5首詠むことを課しています。短歌を50読みます。他人の歌を学びます。50首味わって読むと結構体力を使います。それから、5首歌を作る。これはまた違う体力がいります。創作というのはスポーツかもしれません。

 

たくさん読みたくさん詠う。上達の道はこれしかないようです。どんな道にも通じます。練習しないでうまくなるものはありません。今は練習の時期です。短歌作品をたくさん読んで学びます。うまい作品に心躍ることがあります。これは才能です。マジックも同じです。

 

才能のない私はどうすればいいのでしょうか。才能がないのも才能と慰めて、31音を体裁よく並べていきます。下手な鉄砲も何とかで、一つか二つ、輝くのにもあたるかもしれません。当たらなくてもいい、作っている過程を楽しんだのですから。この辺り、私のマジックと一緒です。

 

マジックより短歌に比重と言いましたが、身の回りには、マジック道具を置いています。トランプ、リング、ゾンビ、4つ玉、ロープ。5点セットです。短歌作りの合間に、音楽をかけて毎日何かしら練習をしています。一日、マジックに触れないことはありません。マジック愛は変わりません。

 

私の歌は生活の歌です。身近な生活の一端を切り取ります。人が読んでも面白くないでしょう。自分のための自分の生活の歌。この頃マジックの歌がよくできます。園児さんやお年寄りとの交流のマジック。うまくできたときは喝さいです。短歌に比重はかかっていますが、ちゃんとマジック、やっています。