子どものころ、近所に夜店が出ました。神社前の通りにずらっと屋台が並びました。いつも静かな暗い道がその日だけは周囲を圧倒する灯りで明るく輝いていました。娯楽が少なかった時代ですから、肩がぶつかるぐらい人でいっぱいでした。なつかしい。
私たち兄姉はお金がありませんから、見て歩くだけでした。夕涼みがてら、色とりどりの華やかなお店を見て歩くだけで十分でした。
金魚すくい、ヨーヨー釣り、輪投げは必ずありました。時々、射的屋さんも店を出していました。バナナチョコレートやりんご飴も売っていました。パイナップル屋さんもよくありました。
変わったところでは植木屋さん、蛍売り、居合抜きの達人、記憶術の学生、それから、棒から5円玉を産みだすおじさんの不思議な芸。夜店は何が出てくるかわからない夢のパラダイスでした。
私は子ども相手のおもちゃをいっぱい並べて、それをくじで当てるというお店が好きでした。店先にひもが垂れ下がっていて、その一本を選んで引きますと、するすると商品が上がってくるという仕組みです。目当てのものが当たれば大当たりです。大阪ではこれを「当てもん」と言っていました。私はお客さんが当てもんをするのを眺めているだけで、面白かったのです。
でも、一度だけ、私もやった記憶があります。あのひもを引っ張るときの興奮だけが残っています。当たって!と心で念じたことを。目当てのものが当たったかどうか記憶にありません。たぶんハズレでしょう。
当たってほしい、どうかうまくいきますようにと強く念じても、結果は、ほぼ外れます。当てがはずれると言いますもの。当ては外れるものと相場が決まっています。
人生もまたそうです。期待したことはことごとく裏切られます。悔んだり恨んだりしても仕方ありません。恨むほうが間違っています。思い通りにいかないのが人生ですから。
ある人から「当てもんは前から外れる」という言葉を聞きました。あまりいい響きの言葉ではありませんが、ほんとにそうです。外れることは前からです。
それはたぶん幸運も不幸も。幸運も不幸も大体思いがけなくやってきますから。