妻の母は92歳で、名古屋に一人で住んでいます。とても元気です。長女の妻はもちろんですが、弟、妹もよくお母さんの様子を見にマンションを訪れます。事情があって一人住まいですが、お母さん自身、気ままに生活できるので、元気なうちはこの状態が続くでしょう。妻はたびたび電話をし、買い物を届けます。そして、お母さんの長話に付き合っています。私は年に数回、あいさつ程度にうかがうだけで、妻に言わせれば、冷たい人間です。
5月24日、新婚の息子夫婦も行くというので、久しぶりに妻と一緒に名古屋のお母さんを訪ねました。お母さんはすっかり背が曲がり、おばあさんになっています。でも、すこぶるお元気です。お昼のご飯をおいしいと言ってよく食べますし、よくしゃべります。人にしゃべらせません。
行けば必ず九十二年の女の一生を逐一細かに語ります。両親が幼いころに亡くなったこと、ひもじい思いと防空壕の話、お父さんのよもやま話、私たちの結婚のこと、時にはご近所のうわさ話。
実は、私はこのおばあさんの止まらないお話が苦手です。ずっと一人だから、こんな時はしゃべらせてあげてと妻は言います。わかりますが、黙って聞いているのもつらいですねえ。
そこへいくと、娘である妻も、孫になる息子もお嫁さんも忍耐強いというか、いや、実に心優しいと思います。しっかりとお母さんの話に耳を傾けています。妻も、黙って聞いています。お母さんは上機嫌です。
お母さんのお付き合いは皆に任せて、私は近くの池のある公園まで散策に出かけました。
公園は家族連れでいっぱいでした。テントを張って、家族団らんです。蓮の池では親子がザリガニ釣りをしています。公園の丘で女の子が芝生スキーをしています。遠出が自粛されているからでしょう、この公園にこんなに家族が集まっているとは驚きです。
でも、おかげで家族の触れ合いが深まったら災いも福です。小さな子供がお父さんお母さんに見守られながら嬉々として動き回り遊んでいる姿、美しいとさえ思います。
池には何人かお年寄りが浮きを浮かばせている姿も見受けられました。さわやかな風を受けて池を一周してマンションに戻りました。
お母さんの女の一代記はまだ続いていました。息子たちは本当にやさしい。相槌を打ちながら話を聞いています。話は書道家の父が晩年たくさんの作品を仕上げた場面でした。お母さんはお父さんのことを話すのが自慢です。お父さんの自慢話が大体、話の終わりです。
3時過ぎ、マンションを出ました。背を丸くしたお母さんが、玄関まで見送ってくれました。
帰り、私は妻に「お母さん、元気でよかった。でも、みんないなくなって、さみしいだろうなあ」と言いましたが、妻はそれに何も答えず、しっかり前を向いてハンドルを握っていました。
緑の奥に湖のような池
ザリガニの子どもが釣りあげられていました
池に向かいて微動だにせず