今日午後

歴史講座戦国島津「義久十義弘」第102回を受講した。

 

慶長の役の終盤です。

 

慶長3年(1598)年8月18日、秀吉が亡くなり

日本軍は撤退する。

 

9月28日、しせん(ハングルでサチヨン)の戦いがあった。

 

この戦いで、島津軍が打ち取った数には2種類が伝わっている。

 

38717人と30817人の2つの数字がある。

〈7900人の差がある〉本日配布資料p6

 

旧記雑録後編3の489と503

 

 

新名「不屈の両殿」(角川新書、2021)では、

「過大に申告されたと指摘されるが、大勝利であったことは間違いない」p258

 

「政権側はこの戦いが朝鮮在番衆撤退の好機を作ったと認識したようだ」p261

 

 

山本「島津義弘の賭け」(中公文庫、2001)は、

38717人をとっている。(p213)

島津軍の軍勢は五千に満たないと思われる。p212