今日2日の朝は、もうお雑煮ではなく、外注のおせちでもない。

ライムギパン・自家製ヨーグルト・野菜サラダという普段のメニューに戻っています。

 

テレビで、

尼寺での生活や、奄美の自然を見て、大都会でのナウい日々とは違う

古来の暮らしに美しさと力強さを見ます。

 

この春に84歳を迎えますが、来し方を振り返っています。

「政治」「文化」「介護」の3つのキーワードで回顧します。

 

20代に行政の第一線にいて印象深かったのは、政治家の日常への尊敬です。

例えば、当時の日本社会党の代議士に大原亨先生がいた。医療費問題の政治的な

コントロールは当時から大きな政策課題でした。まだ見習い程度の私が議員会館に呼ばれてあらかじめ説明していた。委員会当日、「医療における薬剤」問題の経済的な側面への掘り下げた質問があった。風呂敷に資料を入れて、局長の後ろに控えてメモを出したりしていた。政策決定の現場にある政治家同士の論議の重さを感じていた。

 

30代に、出向して石川県庁に勤務した。東京で政策決定の様子を見ていただけですが

「東京が物事を決める」社会を体現していた。宝生流の能をみたり、大樋焼の茶碗を見たり、東京では身近に接しなかった日本文化の底力を感じた日々でした。3年の勤務を終える頃には、真剣に「地方での仕事と暮らし」をイメージしていた。当時の中西陽一知事に専門職での県庁残留を直訴したりもした。

 

40代。いくつかの仕事を経て、当時の「老人福祉」を担当する部署に任じられた。

そこで遭遇した介護の現場の皆さんから刺激と励ましを受けた。ホームヘルパーの全国組織を率いていた井上千津子さんからも沢山のことを教わり、43歳の時に「介護専門職の教育」という分野への転身を図った。

 

その後、40年経って、現在では、自分自身が「当事者」となる。

「政治(政策)」・文化(生活)・介護というテーマが重なり合うところにいるのか? と問われれば、

そのいずれからも遠く離れてしまった自分がいます。

 

冒頭写真は、農学部の田んぼで桜島を望む。昨日午後。