2025年2月にJATSUMAの「楽市結座」で、30分ほどのプレゼンをします。

詳細は、近づいたら改めてお知らせします。

場所は鹿児島中央口東口近くの一番街です。入場無料。

「越中屋風太」の芸名?で

2020年1月に、大隅半島の肝付町にある歴史

2024年2月に、私のドイツ赴任時代の思い出

を紙芝居方式で話しました。

いわば、そのシリーズの3回目です。

 

日本の経済力の低下が指摘されて久しい。

明治維新以降、経済力・軍事力で世界に臨んできたが、大国としての行動に不可欠な強力な政治的リーダーシップを望めない。

これからは、文化や環境保護の視点で世界に貢献する道を選ぶべきでしょう。

その際のヒントは、東京にではなく、地方都市にあります。

2006年から約20年、鹿児島に住んでいます。

「鹿児島から世界へ」という視点で、4つの事例を紹介します。

(いずれも、これまでこのブログで紹介済みですが、そのまとめの一つです)

 

 

鹿児島県上野原遺跡には9500年前の土器が出土している。世界遺産となった青森の三内丸山遺跡〈5000年前〉よりかなり古い。

 

 

大隅半島には、塚崎・大塚・横瀬の前方後円墳がある。3世紀末から5世紀までのものと推定されています。古墳時代、海岸沿いに巨大な建築物が建てられていた。最近では、古墳が貿易・観光センターであったという見方も出ていて楽しい。

 

 

16世紀、種子島に鉄砲が伝えられ、信長の時代には実戦で大きな役割を果たした。

鉄砲が最初に実践で使用されたのは、肝付軍と島津軍の戦いだったと伝わります。

徳川時代の「鎖国」が可能だったのは、日本の持つ武力でもあった。

オーストラリアの歴史家による世界史では当時の日本の戦力について触れている。

p387

 

 

アジアにあって、最初に帝國的な海外進出をはかったのは日本であり、それは明治維新による政治的な革新があったからです。アメリカの文明史家ダイヤモンドの近著では、明治維新とその担い手の薩摩について触れています。p111

 

こうして世界史的に見ても鹿児島の地政学的な位置から注目すべき役割を果たしてきたが、これからは、軍事力や経済力ではなく、伝統的な工芸や自然環境を守るような方法によって世界に提案する道を探っていくべきでしょう。

 

 

冒頭写真は、上荒田の杜公園、最後の写真は教育学部前の並木です。

いずれも、昨日撮りました。