光格天皇(第119代)

在位 1779-1817

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今日5日BS6

12時から13時まで

関口宏の「一番新しい江戸時代」を聞いていた。

 

 

そこで

第118代後桃園天皇(在位1770-1779)

が22歳で崩御されたとき、天皇には男子がなく、やむなく閑院宮家から迎えた。

113代東山天皇の皇孫。

現在の皇室につながる。

 

今日の解説で、この閑院宮から選ぶという選択に新井白石が寄与した云々

との解説があった。

 

 

手元の天皇関連の本には、白石の名は無かったが、

ウキィペディアには、以下のように明記されていた。

 

宮家の創設

閑院宮は、皇統の断絶を危惧した白石の建言で創設された。東山天皇の第6皇子直仁親王が、幕府から1000石の所領を献上され、享保3年(1718年)祖父の霊元法皇から「閑院宮」の宮号を賜った。白石の危惧は現実のものとなり、第2代典仁親王第六王子祐宮は後嗣なく崩御した後桃園天皇の跡を継ぎ、安永8年(1779年光格天皇となった。なお、先帝の傍系にあたる宮家から皇位を継承したのは光格天皇が最後であり、以後は皇太子が次代天皇に即位することで、皇統は現在の皇室に連なっている。