昨日9月2日18時からNHKBSで「篤姫」(再放送)第37回をみた。

文久2年〈1862年〉、島津久光が勅使大原重徳に随行して江戸へ「下向」した。

薩摩の軍勢を伴っていた。

 

6月26日、伝奏屋敷での折衝の場面。

対応した2人の老中がついに勅書を受け入れたいきさつ。

 

 

幕末史の研究書。佐々木克(吉川弘文館、2004)p89。

 

「その際大久保利通は大原に、もし老中があくまで拒否するようなら、自分たちは

『閣老を返し申しまじく決心(大久保利通日記)である』と告げた・・

大原も大久保の言葉をにおわしながら奮起して閣老に迫ったところ、

脇坂と板倉の顔色が変わった」

 

 

瀧井一博による大久保伝(新潮選書、2022)p50

 

彼ら(老中)の顔色を一変させる(顔色一変)との一幕があった

 

 

アメリカの歴史作家ヒルスブローによれば、

(TUTTLE,2014) p164

 

If they continued to refuse, they might lose their heads.

 

ドラマで、篤姫が久光にこのことを問うたところ

「うわさにすぎませぬ」と答えていた。