これは、元暦2年〈1185年〉に源頼朝より島津氏初代(惟宗忠久)にあてた辞令です。

国宝に指定されており、現物は東大史料編纂所にあります。

鹿児島県歴史・美術センター黎明館に展示されている(写真)のはその複製です。

 

以下は、本件の黎明館のネットによる解説:

 

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のちに島津氏初代となる惟宗忠久は,元暦2(1185)年8月17日付で源頼朝より摂関家の一つ近衛家の所領で薩摩・大隅・日向に広大な面積をもつ島津荘の下司職(げししき)に補任された。
下司職は,荘園の年貢の徴収,荘園内の治安維持など基本的には荘官と同じ職務を持つものだが,鎌倉幕府から任じられ,荘園領主から任じられる私的な荘園管理人とは本質的に意味合いが違う。
下文中に,島津荘の荘官は忠久の命令に従うように強調されていることからみると,島津荘内における総地頭職を意味する下司職補任であったことがわかる。当時は,同年3月の平氏滅亡後,九州地方における戦後処理と治安維持が政治課題となっていた。

 

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この文書を含む膨大な古文書は、アメリカのエール大学朝河貫一博士により、

大正14年〈1925年〉日本語で活字化され、昭和4年〈1929年〉英語で刊行された。

 

 

日本語版の表紙

 

 

そのp234に活字化したもの。p234.

 

 

 

 

英語版の表紙

 

 

 

該当部分の英訳。6A p100

 

 

 

上から、

鹿児島県の歴史(山川出版社、1999年)このp117に「入来文書」の解説がある。

中段は、日本語版と英語版の合本。昭和30年〈1955年〉に日本で刊行された。

下段は、黎明館の常設展示案内〈2012年〉。p30に解説がある。

 

※本ブログ1379(2023年8月31日)でも簡単に触れています。