昨日、鹿児島中央駅東口の紀伊国屋書店で買った。

5月25日発行です。840円+税。

 

実は、このエッセイは、読売新聞に月1回連載されていて、もう20年続いているという。

これまで中公新書に3冊の「老いの」シリーズがでている。

そのうちの1冊を買ったが、手元にはない。

70歳後半から、この手の「老いの」シリーズを良く買うようになったが

結論は、「自分とは違うな」につきます。

 

この作者の小説を読んだ記憶はない。というか、基本的に小説という虚構への疑問がある。

それでいて、一流企業での勤務経験がある。私は、ビジネスの世界には疎い。

1932年生まれだから、9年先輩ですね。これは重い事実です。

 

ともかく、ざっとめくってみた。

 

 

私は、ごく最近、居眠りをするようになった。短い時間ですが、それでも「寝た」感が残ります。この項目での著者の観察には「なるほど」と思った。

「つい眠ってしまう」のが居眠りの在り方だ・・という。p46以降。

 

 

P120

曜日の確認をゴミ収集でするという。

私はプロ野球には関心がないし、テレビも見ない。

 

 

机の左手に、今月のゴミ収集表を張ってあり、毎日、確認しています。

 

 

P182

日記帳は隙間だらけという。

この項では、筆者は「とりあえず、日記はつけぬほうがよい」と言い切っています。

 

 

私は、今年の正月から、「10年日記」をつけ始めて、これまでのところ、5か月続いてはいる。3300円した。

 

血圧や体重を測って記帳する用の小さい手帳で良いような気もしていたが、こう言い切られると気持ちが良い。

 

せっかく買ったこの本も、手元には残さないでしょう。

 

最後の「西日に感じた宇宙」を読むと、確かに文章はうまいなと思います。

私には,いまさら「うまい文章」はいらない。