茂木誠と宇山卓栄の対談「世界史の原理」
(ビジネス社、2024年3月)については、本ブログですでに
2271(2024年3月)など3回紹介しています。
現在、再読中ですが、
今朝読んだ第7節
「ウクライナ戦争の淵源」p99-p115
の最後の項目
ソ連時代、辛酸をなめたウクライナ人
p112-p115から重要な個所を摘記します。
1917年―1922年 ウクライナ・ソヴィエト戦争
(ウクライナは負けてソヴィエト連邦に編入された。
第2次世界大戦中、ドイツが侵攻し、ウクライナは独ソ戦の舞台となった。
(ウクライナ人の死者は800万人~1400万人と推定される:
ウクライナ人の5人に1人が死んだ。ドイツ約500万人、日本約300万人
と対比せよ)
1971年ソ連はチエルノブイリに原子力発電所を建設、1986年原発事故が起こる
(弱い立場のウクライナ人が原発の負の側面を引き受けさせられた)
1991年ソ連崩壊でウクライナは独立した。
しかし、ウクライナ東部とクリミアには、歴史的にロシア系が多数を占める地域があり
大統領選のたびに西部の親欧米派と東部の親ロシア派が争っていた。
2014年に親欧米派が親ロシア派政権を倒した(マイダン革命)。
アメリカのオバマ・バイデン民主党政権がこの親欧米政権をバックアップした。
それが、2022年のプーチンの軍事行動を招いた。(以下、省略)