島津貴久1514-1571は、島津義久・義弘・歳久・家久のいわゆる「島津4兄弟」の父親と言った方がわかりやすい。

 

 

新名一仁「島津貴久/中世武士選書37」(戎光祥出版、2017)は、貴久に関するまとまった著作です。

その第4章 島津貴久と対外関係 p149-179

が私の関心テーマです。

 

 

「島津貴久が薩摩半島を制し、大隅へと進出していった時期は、まさに海外の諸勢力が九州沿岸部へと積極的に進出してきた時期と重なる」p150

 

10代後半まで一乗院(南さつま市坊津町)で学びつつ、眼下の港を出入りするジャンク船や賑わう港町の様子を見ていた。P155

 

 

徳永和喜「海洋国家薩摩」(南方新社、2011)は、海に開けた薩摩の歴史を描いていますが、その冒頭部分で、貴久の貿易史観に触れている。

第1章           島津氏の中世外交 第1節 薩摩の海域 p17-21

   南蛮僧のために鹿児島城下に仮屋(教会)を与え、居住を許可してはいるが、

   布教については、貴久以来禁止であった。P19

 

この点に関しては、「上井覚兼日記」に関連の記述がある。

 

 

新名一仁訳「上井覚兼日記」(ヒムカ出版、2020)

 天正10年(1583)3月日 p97 及び3月8日 p99