葉室麟が晩年に京都にあって書いたエッセイ「古都再見」(新潮文庫、2020)のことは、

787話(73日)で書いたのでしたが、メインテーマの沖縄に触れるスペースは無かった。

 

沖縄で思い出すのは、私が大学1年の秋、駒場祭(学園祭)で天井に米軍基地を書いた地図を張って

「基地撤退」とか主張したことです。これは、画像検索です。

 

 

このことを、4年の秋、某政府系銀行の面接のときに話したら、

面接官の表情に妙な笑いがでたのを見逃さなかった。

「これはダメだな」と分かったので自説を述べて退室した。

もちろん本土復帰の随分前のことです。

 

「古都再見」に戻って、「ぶぶづけ」p103(お茶づけ)という章では、

京都人が本音をなかなかよそ者には言わないという流れで、

「礼儀を武器とした婉曲話法での支配者へのレジスタンスが存在した」という。

沖縄の米軍基地問題に悩まされる現代の私たちににも通ずる・・という。

(一回ぐらいは、米軍に、「そろそろ帰って欲しいなぁ」と本音を言ってみては?)

 

 

次は、沖縄戦で犠牲になった京都人を慰霊する「京都の塔」(画像検索)のことです。P221

沖縄戦では18万人が死んだ。うち沖縄人は12万人。一般住民は9万人。

県外出身の日本兵の死者は65908人だった。

京都出身兵士の戦死は2536人。京都部隊は、嘉数高地の主力だった。

p224で「戦後もアメリカによる統治が27年も続いた沖縄では・・」から冒頭のタイトルに続く。

 

p316では、京都にある身余堂という保田与重郎(文芸評論家。画像検索)の山荘を訪ねながら沖縄に触れています。「沖縄の住民の戦いはアメリカの郡支配へのレジスタンスだと考えることも出来よう」p319

 

 

私は、本土復帰前に当時の厚生省沖縄復帰対策室次長として琉球政府と単身交渉した。

復帰後、沖縄で開かれた全国老人福祉施設協議会の総会に厚生大臣挨拶を代読した(老人福祉課長だったから)。