明治初年の「廃仏毀釈」の実情は、鹿児島県を見ることで理解できます。

 

鹿児島では、明治初年の「廃仏毀釈」の際に、ことごとく寺院を破壊した。

 

本書「仏教抹殺」(文春新書、2018)の著者は、研究者ではないが現役の僧侶です。

本書では、各地を取材していますが、「第2章 維新リーダー藩の明暗ー薩摩、長州」

には、徹底的な寺院破壊が行われた鹿児島の実情と原因を考察している。

 

 

薩摩では、僧侶は社会的に尊敬されなかったが、長州では尊敬されていた。

薩摩では寺小屋教育は少なく(代わりに「郷中教育」が行われた)、長州では寺小屋と私塾が盛んだった。

 

鹿児島では「外城」制度によって各地域の統制がとれていた。他の藩では、寺院が戸籍制度を代替していた。鹿児島では、いわゆる「檀家」制度は機能していない。

 

住民の統治、宗教、教育、文化の各側面にわたる江戸時代の鹿児島の特異性に気づかされる。

 

鹿児島では一部の新しい寺院を除き、寺院は生活の中に位置づけがない。

他の地域では、寺院による儀式類は簡略化されてきたが、日常生活での寺院の意義は大きい。