高山町(こうやま)は、2005年旧内之浦町と合併して「肝付町」となった。

大隅半島の中央部鹿屋市の南に位置している。

旧高山町の歴史については、「高山郷土誌」が一番まとまった資料です。

 

左が新版で、平成9年〈1997〉刊行

右が旧版で,昭和41年〈1966〉刊行。古本屋で買った。

 

 

分厚いもので日本史を一つの地域に限って詳しく知ることができます。

 

旧版の末尾に江戸時代後期にまとめられた「高山名勝誌」(文政7年,1824)が収録されています。そのp938-939から。

 

 

慶長19年(1614)、薩摩藩の家老3名の連署で日高休左衛門当ての知行目録が収録されている。400石は、当時大隅地方の石高としては破格に高い。

この日高休左衛門が、私の妻の実家の先祖です。

 

新版のp884-885には、町内の主要な記念碑類を挙げていますが、

平田靭負と調所広郷という薩摩藩の家老として有名な2つの家に関連する墓地がこの高山地域にあることが書かれています。

 

 

以後「旧高山町の歴史」というカテゴリを起こします。

より広く大隅半島の歴史について触れたものは「大隅半島」に、

高山城を拠点とした肝付氏の歴史につぃては「肝付氏の興亡」に分類します。