明治の初めに西郷隆盛は、「外国を学ぶのは大事だが、日本のことを踏まえて慎重に取り入れなさい」(遺訓第10条)と警告していました。

 

実態は「鹿鳴館時代」が示すように、生活文化の基礎的なことまで「西洋に従う」風習がはびこりました。

 

そして1945年。これは、日本社会の敗北ではなく「日本の基本を忘れて前進してきた」ツケがきたというべきです。ところが、それ以降2019年まで、生活文化の面ではひたすら「外国がいいのだ」という姿勢で来たように思います。

テレビのコマーシャルを見ていると、日本を代表するような企業・組織が英語で、時にはフランス語なども動員して絶叫しています。

 

私が、多少身近に見てきた医療や福祉・介護の分野でもその傾向が強いです。

16世紀に長く日本に住んだポルトガル人のルイス・フロイスは、「人がものを食べられなくなったらヨーロッパ人は無理にでも食べさせるが、日本人はそれを残酷に考え食欲のない病人は死ぬに任せる」と観察しています。(岩波文庫「ヨーロッパ文化と日本文化」p135)

ところが、現在の日本の医療や介護の現場では、現場の専門職の技術と思想が優先してしまい、悲惨な状態が続いています。

 

昨日鹿児島市内で行われたスピリチュアルな事例研究の場で聞いた事例。

ガン患者の二期(十分回復の見込みがある)の人がなかなか回復しない。

その患者は母親が「がん治療のためにお金がいる」という心配から落ち込んでいるのでは?

と感じたAさんは、そのお母さんに「お金は心配ないんだよ。といいハグしてあげなさい」と話したそうです。一転、治療の効果が上がり回復したという。

 

このAさんは、がんの4期から回復した。落ち込む気持ちを笑いに変えて過ごした自分の体験から思いついたのでした。

 

日本の現場で行われているこのような貴重な対応からこそ学びたいです。

海外の思想や政策や技術体系を学ぶだけの専門家の対応では不十分だと反省させられた。