スーダン紛争 | fusanのブログ

    今朝は朝日新聞の一面記事を見たら「スーダン」紛争のニュースが、

    前々から気になっていたことで急遽ブログ内容を↓に変更した。

       

     スーダン入国は↑エジプトからスーダン・ハルツームへ、スーダンに日本大使館がなかったが、

     エジプト大使館から領事が同行してくれて入国。↑のfusanは一か月後真っ黒になったfusan。

    

    一部は以前にも掲載、fusanが訪ねた56年前は南北分離してない一国だった。

    当時のfusanは20代後半で、日中50℃の砂漠をテント生活で一か月かけて巡り、

    貧困調査が目的だった。何故fusanが行けたか?当時の業務内容とは違ったが、

    九州の田舎生まれのfusanは何でも食べれて、どんな環境でも眠れたからだ。

    ↑南スーダンは(キリスト教で英語)北のスーダンは(イスラム教でアラビア語)

    そんな違いから2011年に南スーダンが独立分離した。

    状況は分からないが50年以上前に実態を見てきたfusanには気になって仕方ない。

   ↑ 当時は南北統一の国でアフリカ50カ国で一番大きな国だったが砂漠に貧困集落が点在していた。

       

    ↑ 砂漠で荷物を運ぶ基地にいたラクダ      ↑ 後方の張りぼての家に住む子供たち

          ↓ 酋長から比較的裕福な集落に招かれた時のfusanと集落の人々

            ↓入国して直ぐのfusan、一番上右が一か月後のfusan日焼け具合の比較を・・

 当時はデジタルカメラがなく、調査報告用に大きな重い8ミリカメラとフイルムカメラ持参