fusaeです

今日は久しぶりに娘たち(20歳と17歳)の声を聞きました。
起きていた長女の声を聞いて一安心
(次女は睡眠中
)繋がらなかった長女の携帯は壊れていたのだと分かりました。
娘たちは、隅田川の花火大会で父や姪っ子、甥っ子たちと、楽しい時間も過ごしたのだとか

今日はフリースクールなどを経営されている所へ視察にお邪魔したのですが、娘たちの様子が気になって早朝から☎をしてみました。
「とにかく、そっちは暑いだろうからしっかり食べるんだよ。頑張ってね」と言うと
「ママも頑張ってね」と長女。
電話を切って、お気に入りの電車からの風景を母の気分でじっくり味わいました。

本日のテーマは〈fusae家の家訓〉その⑤。
1、10歳にして一切の家事を始めるべし
私はわが子がそれぞれ10歳を迎えた時
「おめでとう
今日からは人のためにもなれる人を目指そう
」と唱えてきました。(下の娘は先取りで姉のマネをしたがります
)そして炊事、洗濯、掃除などの家事を小学生のうちに身につけられるよう伝えてきました

食事の支度は「炊飯」「味噌汁」「野菜炒め」「カレー」「肉じゃが」の5つ。
わが家はこの頃から鍋でご飯を炊いているので、火加減なども心得ています。
洗濯は主に干しかた。シワなく、早く乾き、人と会ったときに洗濯バサミの痕がつかない干しかた。
身長の足りない子たちが、台を使って、背伸びをして干している姿は、それはそれは可愛いのです

掃除は、掃除機、箒、雑巾の扱い方と極意。
大きな掃除機や箒を身体いっぱいに使って、、、抱きしめたくなります

そしていちいち、「これはね、これこれこうだから、こうするといいんだよ」と説明付

毎回、です

意味まで分からないと、なぜそうするのか?腑に落ちないでしょ!?
わが子は二人とも娘だったので、随分口うるさく躾けてきました。
それでも、今、役立っているのか?
ちゃんとやれているのか?
分かりませんし、
私のやり方が良かったのかも、
日本の伝統を重んじていたかも
キチンとは分からないのですが、、、
そこは私流ということで

男の子が産まれていたら、また違ったアプローチをしていたかも知れません。
もっと楽しかったかも

近い将来にファミリーホームを始めて、男の子を育てることになったら、また一緒に楽しみたいです

(今の所、次の妊娠は望んでいないので。50歳近くで産んだら超高齢出産!次は自然分娩にしたいから体力的にも無理だと思う
あ、ひとりではこどもは産まれないんだった~
)そうして小学校3年生になると娘たちがつくる「モモちゃんカレーの日」「愛ちゃんカレーの日」などがわが家の定番になり、ジャガイモがガジガジだったりしながらも「ありがとー」「おいしいね」「ガジガジだけどね
」と言いながら、ちいさなマンションで笑い合っていました
(元夫はいつも不在)
確かその日は水曜日。
私の仕事が遅くまであり、こどもたちに随分と助けてもらいました

煮えていない肉じゃがも、カレーも、帰ったらすぐに食べられるって幸せでした

お風呂も湧いていたし

そして、毎日の家事や育児はオリジナルソングを歌いながら乗り越えてきました

このオリジナルソングも、その内に育児・保育のうたとしてまとめたいと長年思っております。
こうして、一切の家事を小学校のうちに体得しておけば
中学に上がり、部活動や遊びで忙しくなって、
お手伝いが一時中断しても、やらなくてはいけない時はまた来る。
親子関係も難しくなってきますし。。。
小学生の内になるべく、生きる術を伝えておきたい

そう思って、自分がやったほうが早くてキレイにできても、やらせてきました。
そして、こどもというものは上達が早いです

それから、姉妹でそれぞれの性格が家事にも表れます。
面白いですよ~~~

やってくれたら
「ありがとう
」「助かったわ~」
「えらい
」「この前より美味しくできてる~~
」「え~っお風呂も出来てるの~~すごい
」「え~~~っ!?そんなお料理も開発したの~スゴイじゃん!!」
と、たくさん褒めてあげることが出来ます

離婚して、私がまたステージに戻った頃、
次女は小学校3年生の頃だったでしょうか?
ステージで深夜の帰りになる私の携帯に留守電が入っていました。
たった29秒の娘からママへのメッセージ。
「ママ~
餃子をね、
作ってみたらね、
餃子のスープみたいのできちゃった
でもね、
餃子スープなのに美味しいんだよ
ヒヒっ
バイバ~イ」
ただ単に、焼き餃子のはずが餃子スープになったことを伝えたかったのか?
ママが夜にいなくて淋しかったのか?
次女のホントの気もちは分かりませんが、
自立の道を生きている娘を頼もしく思ったり、
もう手のかからなくなってしまったことを、せつなく感じたり、
「今日は話を聞いてあげられなくてごめんね!と心で呟いたり、
複雑な気もちを急いで消化しながら、
ひととき、歌手に変身していた私は、
駅から自転車をこぎながら、またママに変身するのでした。
私にとって、こどもたちの幼い頃の写真や声は、思春期の面倒くさい時期を母が乗り越えるための精神安定剤です。
そうして、10歳からは他人のためにも時間を使えるように、と躾てきた娘たちは
母が夢の実現のため、単身で遠く離れても逞しく、
人様のこどもよりすこし早く、自立の道を歩くのでした。
親としての不安や心配事は尽きませんが、
あの子たちはきっと今日も笑ってる

あの子たちの恥ずかしくない親でいよう

今では、私のほうが励まされています
