私は風邪が長引いてまだ咳と扁桃腺炎があり、父のところに行けずにいる
元気で何ともないが、抵抗力の弱まった方々がいるところに行くわけにはいかないし…
父のところに行ってきたよという
今日から流動食になったから
思わず「本当に⁈」と喜びの声を上げてしまった
しかし母からは
違うのよ、やっぱり食べさせると熱が出るので無理で、今日行ったら鼻からチューブで流動食を入れられていたの
と言われた
両腕も足の甲も点滴を打てるところが無くなり、栄養も足りなくなってきたからだそうだ
これで益々、嚥下機能の回復は難しくなるだろう
鼻のチューブが苦しそうで、外そうとするのを防ぐためかお腹も手も足もベルトで固定されていたそうだ
弟には言ってないから教えないでくれと言われた
知ったらまた、連れて帰るとか言い出すからと
返事が出来なかった
入院したあの日の事が思い出されてならない
施設のソファーでウトウトしていた父
見送ってくれた施設の方々と笑いながら話す父
車の中で話した父
カステラを食べ、ペットボトルのお茶を飲んだ父
待合室にいた猫のことで知らない人と話す父
診察室で先生や看護婦さんに話す父
あの日、注射されてから…
ベットに縛られ、歩けなくなった父
いつも朦朧とし、会話できなくなった父
食べることもできなくなった父
あそこに連れて行ったのは私だ
あそこを探したのも予約したのも私だ
あの日、私が父をあの場所に行く事にしたのだ
「おまえもあっち側の人間になっちゃったんだな…」
パパ
ゴメンね
私
ゴメン
あの日から鏡に映る自分の顔が、父に益々似て来て、父の言葉がこだまする
最後に父に会いに行った日、歯磨きで覚醒した父が呼んでいた〇〇さんが父を見舞ってくれたそうだ
古い精神病院の隔離病棟だ
そんなところに行き、変わり果てた父に会うのはショックだったろうに
母から先日の話を聞いて会いに行きたいと言ってくれたのだそうだ
彼女の親も同じような状況になった過去があり、通っていたから私は慣れてるし大丈夫よ、と
家族以外が来るのは珍しく、看護師たちにこの人何かえらい人だったの?なんて聞かれたから
何言ってるのよ
この人は〇〇(ある公的施設)の理事長を30年も勤め上げて守り抜いた人なんだから!って言ってやったわよ!
と話していたそうだ
嬉しくて、こみ上げる涙を堪えられず、母の前で初めて泣いてしまった
やっとの思いで、よくお礼を言っておいてと言い、じゃあねと電話を切った
電話の向こうで、やだ、泣かないでよ、と母の戸惑う声が聞こえていた
父を覚えていて、慈しんでくれる人がまだいる事に、ココロから感謝したかった
病院で人として扱われていない事が全てになっていた
せめて私は、父を父として接してあげようと
でも他人でも、こうして父を想ってくれる人はいる
ありがたい
ありがとう