即ち、書紀には、八重蒼柴籬(やへのあをしばがき)とあるのを思え。

 

 又、思うに、代(しろ)は領(しろ)の意でもあろうか。

 

 さて、上のしんにゅう加毛大御神を挙げた例に依らば、この神が鎮まり座す社は、殊に殊に挙げるべきであるのに、挙げていな

 

いのはどうしてか。それを今挙げれば、先ず出雲國造神賀の詞、(上のしんにゅう加毛大神の所に引いた連・つづきの文」に、事

 

代主命能御魂乎(みたまを)、宇奈提爾坐(うなでにまさせ)云々とあるのは、和名抄に、大和國高市郡雲梯(宇奈天)郷がある。(今時

 

も雲梯・うなて村がある)

 

 万葉七に、眞鳥住卯名手之神社之(まとりすむうなでのもりの)云々、十二に、不想乎想常云者、眞鳥住卯名手乃社之神思将御

 

知、(この卯名手社を美作國とするのは由なし)などとよめる神社の御事と聞こえる。

 

 然るに式にこの社が載っていないのは、いといと不審なわざではないか。ここ事は師も疑い疑い置かれた。又、かの神賀文の連

 

きに、賀夜奈流美・かやなるみ命能御魂乎、飛鳥乃神奈備爾坐天(あすかのかむなびにまさせて)とあるのも、式に高市郡加夜奈留

 

美命神社は、別に有って飛鳥神社とは異なるので、これもまた訝しいことである。

 

 それで、つらつら思うに彼の文には、事代主命能御魂乎、飛鳥乃神奈備爾坐(まさせ)、賀夜奈流美命能御魂乎、宇奈提(うなで)

 

爾坐天(まさせて)とあるべきが紛がいて誤れるものなのであろう。

 

 その故は、飛鳥神社こそ事代主命であり、加夜奈流美神社は雲梯(うなで)村にあると今も国人も言う。

 

 弘仁十三年四月の官符に、賀屋鳴比女(かやなるめの)社とあこれはるのは、きわめてこの神社と聞こえるが、これを飛鳥神社の

 

裔神の由が有る。

 

 然るを彼の神賀の文のごとくであれば、賀屋奈留美命即ち飛鳥の神であるから、裔神であるのは違っている。

 

 或る書に、式の加夜奈流美命神社を今、木に百森(かやのもり)村にあると言うのは定かなる證はない。これはかの村が飛鳥に近

 

く、又名が似ているのでかの神賀文に合わせて、押し当てに定めたのだろう。

 

 さて、式に、同郡飛鳥坐神社四社、(並名神大、月次相嘗新嘗)これは事代主神を宗と祭っている。

 

 書紀雄略巻に、天皇詔少子部連虫に果嬴(すがる)曰、朕欲見三緒岳神之形、或云此山之神爲大物代主神也云々、この故事は霊異

 

記にも詳しく見えて、三諸岳はすなわち飛鳥の神名備山と言う所である。

 

 三輪山をも三諸山と言うが、これはそれではない。紛うべからず。

 

 万葉三、山部の赤人登神岳作る歌、又十三の長歌などに、三諸乃神名備山(かむなびやま)とも、神名備乃三諸山ともよめる。こ

 

れはみなこの飛鳥の神名備である。

 

 この山を神岳とも、雷の岳とも言って、今も即ち雷土(いかづち)村と言う所、飛鳥川に沿いたる里で、小山があり、飛鳥の社は

 

もとここに坐しけるなり。

 

 然るを日本紀略に、天長六年三月己丑、大和國高市郡賀美(かむの)郷甘南備(かむなび)山飛鳥の社を、遷同郡同郷鳥形山、依神

 

託宣也、と見えているので今のこの地はこの鳥形山である。

 

 又、高市郡高市御縣坐鴨事代主神社(大月次新嘗)がある。これは今、高殿村と言う所にあり、大宮と称する。天の香山の少し

 

西の方である。

 

 貞観元年正月に、従一位を授け奉り賜う事は三代実録二に見える。

 

 書紀天武巻に、高市懸主許梅(こめ)に著(かか)りて、吾者高市社居名事代主神と詔ったのはこの神である。又、葛上郡鴨都波八

 

重事代主命神社二座(名神大月次相嘗新嘗)ある。

 

 これは今御所村にある。

 

 書紀神功巻の始めに、請云(こひもうさく)、先日救天皇者誰神(いづれのかみ)ぞ、願欲知其名云々、問亦有耶(またいますやとと

 

へば)、答曰、於天事代於虚事代、玉籤入彦巌事代神有之也云々とあって、後に韓国を事向けて還坐(かえりま)しての所に、云々卜

 

之於是云々、亦事代主尊之曰詞吾于御心長田國、則以葉山媛之弟長媛令祭とある、この神か。

 

 長田の国は和名抄に、摂津の国八部郡長田とある所で、式に長田神社、名神大月次相嘗新嘗とあるのはこの神社である。

 

 かくの如く、この神を祭れる御社は所々に名高くて多い。

 

 上の外にも式に、阿波國阿波郡、又、勝浦郡にも、事代神社がある。

 

 播磨國宍粟郡にも、大倭物代主神社がある。物の字は、許登(こと)と訓むべき由がないわけではないが、やはり疑わしいので、

 

これは大物主神の事かも知れず、上に引いた雄略紀のも同じである。

 

 又、神祇官坐、御巫祭神八座の中に大穴牟遅神は坐さずに、この事代主神が坐すのは、師の祝詞考に、この八神の事を説いてい

 

る中に曰く、この神は初國所知し磐村彦天皇の后、五十鈴媛命の御父である。その妃が生みなされた皇子が天津日嗣知(しろ)しめ

 

しき。