宇那賀氣理弖(うながけりて)は、師の説に、互いに項にてを懸けて、親しく並んで居るのを言うとある。信(まこと)にしかるべ
し。但し、項に手を掛け居るのは言の本の意で、必ずしもそうはしないのだが、親しく並んで居るのを言う。
万葉十八に、多豆佐波利(たづさはり)、宇奈我既利爲弖(うながけりゐて)、於母保斯吉(おもほしき)、許登母加多良比(こともか
たらひ)とある。上下の語でその意が知られる。
或人が、この言を天翔けると一つに意を得たるのは甚くひが事である。
鎮まり坐す。鎮を、師は、志豆母理(しづもり)と訓まれたが、そう訓むべき證をいまだ見ないので、𦾔き訓の如くに志豆麻理(し
づまり)と訓むべきだ。
これを常に、某(その)神某處(底)に鎮座と言い馴れて、ただ其処に坐すこととのみ心得るのは、細(くわ)しからず。
鎮(しづ)まるとは、他處に(ことところ)に遷往坐(うつりいでまさ)ずに、そこに留まり給うのを言う言である。
志豆麻理(しづまり)と登木に予麻理(とどまり)と通っている。
その例は、神祇官坐す八神の中の玉留魂(たまつめむすび)は、玉積産産霊(たまつみむすび)とも作(か)いて、魂(たま)を鎮める意
の御名であれば、共に多麻都米牟須毘(たまつめむすび)と訓むべきである。(留の字。積とも書くのを以て、ルと訓むのは非である
ことを知るべきである)、又祝詞に、高天原に神留座(かむつまります)とあるのをも、續紀の詔には神積坐(かむつまりま)すと作
(あ)れば、相照らしてこの留も積も共に都麻理(つまり)と訓むべし。
さて、都麻理(つまり)は留住(とどま)る意であるから、留の字を書くのだ。(積は皆、借字である。積の字で訓を知るべきで、留
の字で義を知るべきだ)
これは、御孫の命がこの国に降り給うのに對えて、天の神が降らずに天に留まり坐す由であるから、鎮坐(しづまります)と通
っている。
万葉五に、海原の邊(へ)にも奥(おき)にも神豆麻理(かむづまり)うしはき(領き、主人として土地などを持っている。領
していること)います諸(もろもろ)の大御神(おほみかみ)たち云々、この神豆麻利(かむづまり)も、鎮坐(しづまります)を言う。こ
れで上の義を悟るべきだ。
しかるを、かの祝詞にある神留(かむづまり)を、師が集會(あつま)る意に解かれたのは適わないことで、この万葉五の神づまり
と相照らして知るべきだ。
海の奥邊(おきへ)は神が集まり坐すべき所ではない。これは海辺、或いは奥にある嶋などに鎮坐神たちと言う事であろうに。
されば今、この大神は倭に往坐(いでまさ)むとしたのを、思(おぼ)し止まって何処にも往(いで)まさずに、永く出雲の国に留まり
住み賜うを言うのだ。
師の説に、倭の国は鎮坐と言われたのは、違っている。
出雲風土記に、所造天下大神大穴持命、詔八雲立出雲國者、我静坐國(あがしづまりまさむくに)とあり、中巻に、倭建命崩(かむ
さり)坐て、伊勢の能煩野(のぼの)に葬(かく)し奉りしを、八尋白智鳥に化(なっ)て飛び翔けり行きて、河内の志幾(式)に留まり賜
う。故於其地作御陵、鎮坐也とあるのも、留め奉(まつ)りし意である。
遷却崇神(たたるかみをうつしやる)祝詞に、山川乃廣久清地爾遷出坐弖(やまかはのひろくきよきところにいでまして)、神奈我
良鎮坐世止(かむながらしづまりませと)、稱辭竟奉(たたへことをへまつる)とあるのも、永くそこに留まって他には出で還りなさる
なの意である。
出雲國造神賀詞に、大穴持命乃申給久、皇御孫命乃静坐牟大倭國申天云々、万葉二、高市皇子命を葬り奉りしことを、朝毛吉木
上宮乎常宮等定奉而(あさもよしきのべのみやをとこみやとさだめたてまつりて)、神随安定座奴(かむながらさだまりましぬ)、(書
紀崇神の巻に、爰以忌瓮鎮坐於和珥武スキ坂上ともある)
神語(かむこと)、書紀神功の巻に、得神語随教而祭、欽明の巻に、託神語などあるのは、神が詔う御言を言うのだ。
又、皇極紀に、國内巫覡等(くぬちのかむのこども)、折取枝葉懸掛木緜(しばをおりとりてゆふをとりしでて)、伺大臣度橋時爭
陳神語入微之説(おほおみのはしをわたるのをうかがひきそいてかむことのたへなることをまをす)、天智紀に、中臣の金連命宣神
事、(これも神語の意である)、續紀二十八に、出雲國造出雲臣益方奏神事、(これはかの神賀詞を言っている。これも神語の意であ
る。又)二十九の詔に、因神語有言大中臣云々、(これは大祓詞をさして言っている)續後紀十九、興福寺大法師等が天皇四十賀
の御齢を賀奉う長歌に、神語爾傳來禮留(かむことにつたへきたる)、大嘗祭式に、雑(草草)の器者、神語曰由加物、又、神語所謂
八開手是也、万葉十九に、住吉爾伊都久祝之神言等(すみのえにいつくはふりがかみことと)、行得毛來等毛舶波早家牟(ゆくともく
ともふねははやけむ)。
これらは、これらは必ずしも神が詔える語と言うのではない。ただ、神の御言を言う詞、又は神事の詞を言っている。さればこ
れも神がよみたまえる歌と言う意味で言っているのではない。
さて、これは上の沼河比賣を婚(よば)いたまえる御うたからこれまで、五首を総て言うのだ。
かくて上に意なら、神代の事を言うのは、皆、神語であるが、此処に限ってこう言うのは夷振思國歌(くにしぬびうた)などと名
付けこし類であり、上の五種をば殊に神事と古えより言い伝えたのであろう。
下巻、朝倉宮の段に、天語歌と言うのもある。