阿理登岐加志弖(ありときかして)、有(あり)と聞而(ききて)を延(の)べた例の古言である。

 

 久波志賣(くはしめ)は、麗しい女と言うようなことである。

 

 師の説に、宇流波志は宇良久波志の約まった言であるとある。

 

 万葉十三に、鮎牟令咋麗妹爾(あゆをくはしめいもに)とも続けて詠んでいる。

 

 又、古書どもに、細の字をも久波志と訓む。

 

 水垣の宮の段に、目微比賣(めくはしひめ)と言う人名も有る。

 

 伎許志弖(きこして)も上の岐加志弖(きかして)と同じである。契沖云う、伎加志弖(きかして)と同じ言葉であるが、古にはこのよう

 

に重ねて言う時には、すこし詞を換えた。下にさよばひと言い、よばひと言うのも同じだ。

 

 聞食(きこしめす)きかしめす、通わして言うようなものだ。

 

 又、人が我に言うと言う事をも、伎許須(きこす)と言う。それは次の沼河比賣(ぬかはひめ)の歌に見える。

 

 上の六句、彼継體の巻の御歌には、播屢比能(はるひの)、哿須我能倶邇々(かすがのくにに)、倶婆糸偏の施謎鳴(くはしめを)、阿口

 

に利等枳々底(ありとききて)、與盧志謎鳴(よろしめを)、阿口に利等枳々底(ありとききて)とある。

 

 佐用婆比爾(さよばひに)、佐(さ)は眞(ま)に通う辞である。

 

 用婆比(よばひ)は万葉に結婚と書いている。

 

 霊異記には、人偏に亢人偏に麗は與波不(よばふ)ともある。言の意は呼(よば)ふから出たのであろう。今の世の語で、婦(よめ)を

 

よぶというのがこれだ。

 

竹取物語に、よみの夜にも、ここかしこより垣間見(かいまみ)もどひあへり、さる時よりなむ、よばひとは言いけると述べている

 

のは殊更に興に作って言うのだ。

 

 万葉十三に、夜延爲(よばひする)と着ているの正字ではない。

 

 さて又、大和物語に、故式部卿の宮を桂の宮がせちによばひ賜ひけれど、おはし坐さざりけりとあるのは、女の方からよばふと

 

言っているのだ。

 

 阿理多々斯(ありたたし)は、在り立たしである。これは即次に、和何多々勢禮婆(わがたたせれば)と有る事である。加用波勢(か

 

よはせ)より前に有るので、己命の家から發(たち)出たまふを言うかとも思われるが、そうではない。

 

 万葉一に、埴安乃堤上爾在立之(はにやすのつつみのうえにありたたし)、十三に、嶋之埼邪伎安利立有花橘乎(しまのさきざきあ

 

りたてるはなたちばなを)などがある。

 

 阿理加用婆勢(ありかよはせ)は在通(ありかよはせ)である。

 

 二つの阿理(あり)は、万葉に有通(ありがよふ)(巻々に多い。その中に、蟻通・ありがよひ と書いている所があるので、蟻の事

 

を言うとする説はひが事である)、有待(ありまつ)(七巻十巻)有双爲(ありなみする)有々(ありあり)て、などと言う有(あり)であり、

 

然而在(さてあり)然而不被在(さてあらず)、云々而在(しかしかしてある)などと、常に言う言であるが、在云々(ありしかしか)と上

 

に置くことは後の世にはないことなので、耳遠く聞こえるようだ。

 

 さて、この句は、上に許曾(こそ)と言う辭(てにをは)もなく、又仰(おほせ)る言でもないのに下を勢(せ)と第四音が絶(き)れるの

 

は古の長歌の中にある一つの格である。

 

 勢(せ)の下に婆の字が脱(おち)けたのかと、師が言われたのは間違いである。

 

 万葉二に、天傳入日刺奴禮(あまづたふいりひさしぬれ)云々、又引放箭繁計久大雪乃亂而來禮(ひきはなつやのしげけくおほゆき

 

のみだれてくれ」云々、三に、久堅乃天所知奴禮(ひさかたのあめしらすぬれ)云々、五に、周具斯野利都禮(すぐしやりつれ)、こ

 

れらは皆そうである。

 

 いづれも上から言い続けて来た言を暫く絶って、事が轉(うつ)る際(きわ)に有る事で、皆同じである。

 

 披き見て考え合わすべきだ。

 

 万葉五に、好去好來の歌に、唐能遠境爾都加播佐禮麻加利伊麻勢(もろこしのとほきさかひにつかはされまかりいませ)云々、こ

 

の勢(せ)も同じ格である。