「 はれぬ夜(よ)の 月待(ま)つ里(さと)を おもひやれ 同(おな)じ心に ながめせずとも(― 心もとなく

 

月・源氏様を待っている雨・心の晴れない夜の里・私を思いやって、お察しなされてください。私と同じ気持に御身は

 

晴れ晴れせぬ恋しい物思いをなさらなくとも)」   末摘む花の歌

 

 

 「 朝(あさ)日さす 軒のたるひは 解けながら などかつららの むすぼほるらむ(― 朝日のさす軒の、垂れている

 

氷は解けており、御身は既に私と契を結んでおりながら、どうして、軒ならぬ地面の氷・心は結ばれているのであるか。

 

もう打ち解けてもよいのではないか)」    源氏の歌

 

 

 「 ふけにける 頭(かしら)の雪を 見る人も 劣(おと)らずぬらす あさのそでかな(― 年をとってしまっている

 

門番の翁の、頭を憐れんで眺めると、眺める私までが雪に濡れた翁の袖に劣らず、涙で濡らす朝の袖であるよ)」   源氏の歌

 

 

 「 から衣 君がこころの つらければ 袂(たもと)はかくぞ そぼちつつのみ(― 私の袂はこんなに始終濡れてばかり

 

いる)」   末摘む花の歌

 

 

 「 なつかしき 色ともなしに なににこの 末摘む花を 袖にふれけん(― 懐かしい愛すべき色・女とは言う

 

のでもないのに、私はどういう理由で花・鼻の先の赤い、この紅花・末摘む花を手に入れたのであろうか)」   源氏の歌

 

 

 「 くれなゐの ひとはな衣 うすくとも ひたすらくたす 名(な)をし立(た)てずば(― 紅の色で一回だけ

 

染めた美しい衣・源氏の御志はたとい薄くても、ただ末摘む花の上に捨てられてしまったと言う悪い評判をお立て

 

くださらないならば、嬉しいと思います)」   命婦の歌

 

 

 「 あはぬ夜(よ)を へだつる中の 衣手(ころもで)に 重(かさ)ねていとど 見もし見よとや(― 逢わなくて

 

幾夜も過ごす私と御身と、二人の中の衣手・袖に、更に送ってくだされた衣を重ねて、一層ひどく御身・末摘む花自ら

 

隔てを見もし、私にも隔てて見よとのお考えなのですか)」   源氏の歌

 

 

 「 くれなゐの 花ぞあやなく うとまるる 梅(むめ)のたち枝(え)は なつかしけれど(― 紅の花・鼻は

 

わけもなく自然に嫌になる。紅梅の立ち枝は懐かしいものなのであるよ)」   源氏の歌

 

 

 「 物思ふに 立(た)ち舞(ま)ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知(し)りきや(― 私は御身・藤壺

 

を思う煩悶のゆえに舞うことが出来そうもないこの身で、袖を振って舞った。その意味が御身にはお解りであったか

 

否か。是が非でも、分かって頂きたいのです…)」   源氏の歌

 

 

 「 唐(から)人の 袖ふることは 遠(とほ)けれど 起(た)ちゐにつけて あはれとは見き(― 唐人が、袖を

 

振って舞った古い故事は、御身が袖を振って舞われた理由は私はよく存じませぬが、御身の舞踊については立ち居の

 

一挙一動につけ、どれもこれも私はしみじみ感興深く拝見いたしました。並大抵には考えませぬ)」   藤壺の歌  

 

 

 「 いかさまに 昔(むかし)むすべる 契りにて この世にかかる 中のへだてぞ(― どのように昔の世・前世で

 

結んだ因縁で、この現世ではこんなに二人の間に隔てがあるのだろうか。私にはこのような隔てがどうにもわけが

 

わからないのだ)」    源氏の歌

 

 

 「 見ても思ふ 見(み)ぬはた いかに嘆(なげ)くらん この世(よ)の人の 惑(まど)ふてふやみ(― 若宮を

 

見ていても藤壺様は物を思い悩み、又、見ない源氏の君はどんなにか見たいと思い悩むであろうか、この物を思い又

 

嘆くのが、子故に惑うという世の親心のやみであろうか、お気の毒に、おふたりは心の悩みが弛む事のない御事である

 

なあ)」   命婦の歌

 

 

 「 袖ぬるる 露のゆかりと 思ふにも なほうとまれぬ やまとなでしこ(― 大和撫子、御身・源氏の君が愛する

 

若宮を、御身の袖が濡れる涙の種だと思うにつけても、私はやはり自然に嫌な気がしてしまうのであった、大和撫子が…)」

 

   藤壺の歌

 

 

 「 君し來(こ)ば たなれの駒(こま)に 刈(か)り飼(か)はん さかり過ぎたる 下葉なりとも(― 源氏様が

 

訪ねてきて下されば、扱いなれた駒として草を刈って大いに歓待致しましょう。盛りの過ぎた私ではあっても)」

 

 源の内侍の歌

 

 

 「 立ちぬるる 人しもあらじ あづまやに うたてもかかる 雨(あま)そそぎかな(― 私を訪ねてきて東屋の

 

軒の雨だれに濡れる人、そんな人もあるはずがないと思う東屋において、嫌に私の袖にこうまでも注ぎかかる雨だれ

 

であるよ。訪ねてくるひとがいないので、私は東屋で泣き濡れている)」   源の内侍の歌

 

 

 「 人づまは あなわづらはし あづまやの まやのあまりも 馴れじとぞ思ふ(― 御身の如くに通う男が他にも

 

いる人妻は、色々の問題が起こるために、ああ面倒であるよ。されば、あまり親しく馴れ馴れしくしたくない。そう思って

 

いる)」   源氏の歌

 

 

 「 つつむめる 名やもり出(い)でん ひき交(か)はし かくほころぶる 中の衣(ころも)に(― 御身の包み

 

隠しておられると見える浮名が、世間に漏れ出るでしょうか、お互いに引っ張り合ってこんなに綻びている中の衣の

 

綻びの為に)」    頭中将の歌

 

 

 「 かくれなき 物と知(し)る知る 夏衣 きたるをうすき 心とぞ見(み)る(― 君・頭中将の浮名だって

 

隠れなく露見するものと君は知りながら、私を脅かしに来たのは、どうも浅はかな考えだと思う)」   源氏の歌

 

 

 

 「 あらだちし 浪に心は さわがねど 寄(よ)せけん磯(いそ)を いかがうらみぬ(― 荒だって乱暴を働いた

 

頭中将・浪に私の心は格別驚き恐れて動揺はしないけれど、彼を引き寄せる原因を作ったであろう磯・内侍を、どうして

 

うらまないであろうか、恨むのである)」   源氏の歌

 

 

 「 なか絶(た)えば かごとや負ふと あやふさに はなだの帯(おび)は とりてだに見(み)ず(― 私に帯を

 

取られたために、君・頭中将と内侍との仲が絶えるとすれば、私はそれにかこつけられて君から恨み言を背負い込むかと

 

危なさに、君の縹の帯は手をつけずに返す)」    源氏の歌

 

 

 「 君にかく ひきとられぬる 帯(おび)なれば かくて絶(た)えぬる 中とかこたん(― 御身にこのように引き

 

取られてしまった帯・内侍であるから、こういう引き取られた状態で私は内侍とは切れてしまった仲だと言って、御身を

 

恨みましょう。御身は私の恨みを言い訳にしてお逃れなさりますまい)」    頭中将の歌

 

 

 「 盡きもせぬ 心の闇(ゆみ)に くるるかな 雲井(ゐ)に 人を見るにつけても(― 私はいつになっても尽きる

 

ことをしない恋の心惑いに、理非の分別もできずに迷っておりますよ。雲の居る遠い彼方に私の恋しい人を見るにつけても)」

 

   源氏の歌

 

 

 「 大かたに 花のすがたを 見(み)ましかば 露も心の おかれましやは(― 何の関係もなく世間一般の事として

 

源氏の君・花の美しい姿をもし私が見たのであれば、少しでも気兼ねをするであろうか。しないであろう。しかし実際には

 

源氏の美しい姿を大方の事として私には見られないので、自然に人に気兼ねする、気が置かれるのである)」   藤壺の歌

 

 

 「 深き夜(よ)の あはれを知(し)るも 入(い)る月の おぼろげならぬ 契りとぞ思(おも)ふ(― 御身が夜更けの

 

情趣を私同様に愛(め)でて歩きなされるのも、私にお逢いなさる並大抵ではない前世の縁と、私は思いまする)」

 

源氏の歌

 

 

 「 うき身世に やがて消(き)えなば 尋(たづ)ねても 草の原をば 問はじとや思ふ(― 私が名乗らない場合は私が

 

憂き身の状態のままやがて消えてなくなってしまっても、名が分からないのだからと言って、御身は私を探してきて

 

草の生い茂っている野原の墓場を問う意志はないつもりですか。問うても良さそうに思いますが)」   朧月夜の女の歌

 

 

 「 いづれぞと 露の宿(やど)りを わかむまに 小笹(こざさ)が原に 風もこそ吹(ふ)け(― どちらのお方かと

 

私が御身・朧月夜に住居を識別しようと思う間に、世間に評判が立って言い騒がれ、ふたりの間が隔てられて、逢えなく

 

なってしまうかと恐れる)」    源氏の歌

 

 

 「 世に知(し)らぬ 心地(ち)こそすれ 有明(あけ)の 月のゆくへを 空にまがへて(― 私はどうもまだこの世で

 

経験をしたことがない程の悲しみ惑う気持がする。懐かしい有明の月を空に見失って)」    源氏の歌

 

 

 「 我が宿の 花しなべての色ならば 何(なに)かはさらに 君を待(ま)たまし(― 我が家の藤の花、それは

 

普通一般の色であるならば、どうしてかまあ、どうして改めて御身をお招きいたしましょうか、致しませぬ。是非とも

 

おいで戴きたい)」    右大臣の歌

 

 

 「 あづさ弓 いるさの山に まよふかな ほのみし月の 影や見(み)ゆると(― 私は、月の入る、いるさの山・この

 

妻戸の口で迷っています、かつてほのかに見た月影・女君がまたも見られるかと思って)」   源氏の歌

 

 

 「 心いる かたならませば 弓はりの 月なき空に まよはましやは(― もし私が深く御身の気にいっている者

 

であるとすれば、月が隠れていても御身は尋ね迷うでしょうか。迷うはずは御座いません。思わぬからこそ寄り付く

 

便りもない方角にお迷いなさるのでありましょう)」   女の歌