「 うちはらふ 袖も露(つゆ)けき 常夏に あらし吹(ふ)きそふ 秋も來(き)にけり(― 君が訪わねば二人寝る床
に積もっている塵を払いのける私の袖も、涙の露に濡れがちな常夏・私の所に嵐・本妻からのひどい仕打ち が吹き加わる上
に常夏を吹き枯らす秋、御身の飽きも来てしまったのである)」 頭中将の付き合っていた女の詠歌。
「 ささがにの ふるまひしるき 夕暮(ゆふぐれ)に ひるますぐせと 言(い)ふがあやなき(― 蜘蛛の振る舞いが
顕著な、私の訪問が明瞭な、夕暮であるのに昼間を過ごしてから、蒜・ひる の香りが消えてしまってから、来いとは
筋目が通らないことであるよ)」 藤式部丞の歌
「 逢うことの 夜をし隔(へだ)てぬ 中ならば ひるまも何(なに)か まばゆからまし(― 逢う事が夜を隔てずに毎夜
親しんでいる仲ならば、昼間、ひるの匂いのある間、であっても何で恥ずかしいことがありましょうか、恥ずかしくはないで
ありましょうがなあ)」 女の歌
「 つれなきを 恨(うら)みもはてぬ しののめに とりあへぬまで 驚(おどろ)かすらん(― 空蝉の無常、冷淡な
態度を恨んでしまわぬ内に夜明けになったために、鶏は、私が取るものも取り切らぬまでに落ち着かせずに、慌ただしく
私に何故に目を覚まさせるのであろうか)」 光る源氏の歌
「 身のうさを 嘆くにあかで あくる夜は とり重(かさ)ねてぞ 音(ね)も泣(な)かれける(― わが身のつらさを
十分に嘆かないで明ける夜は、身の嘆きの上に、夜の明けた嘆きも取り重ねて、声まであげて泣かずにはいられないので
ありまする)」 空蝉の歌
「 見し夢を あふ夜ありやと 嘆(なげ)くまに 目さへあはでぞ 頃(ころ)もへにける(― 現実にまた逢う
夜があるのかと、私はかつて前夜見た夢のはかなかった別れを嘆いて居る間に、現実に逢わないばかりか物思いで目まで
合わずに眠れずに月日が経過してしまっているのであった)」 光源氏の歌
「 帚木(ははきぎ)の 心を知(し)らで 園原(そのはら)の 道(みち)にあやなく まどひぬるかな(― 私は
御身の本心、情がありそうに見えて実のない人・ホウキ草 を知らないで御身を求める道にわけもなく迷ってしまった)」
光源氏の歌
「 空蝉(いつせみ)の 身をかへてける 木の下(もと)に 猶人がらの なつかしきかな(― セミが出てしまって
殻だけが残っている木の下に、私はまだやっぱりこの殻が懐かしいので御座いますよ)」 光源氏の歌
「 空蝉の 羽(は)におく露の 木(こ)がくれて しのびしのびに 濡(ぬ)るる袖かな(― セミの羽に置く露が
木に隠れて見えないように、私も源氏の君からは隠れてその御情けの露を受けて、人知れず涙で濡れる私の袖なのです)」
空蝉の歌 ―― 「伊勢集」中の和歌を用いている。
「 心あてに それかとぞ見(み)る 白露(しらつゆ)の ひかりそへたる 夕顔の花(― 当て推量で源氏の君かと
どうも私は見ます。白露が光沢を添えている夕顔の花の如き、夕方の顔の美しい方を)」 源氏と契った女の歌
「 寄(よ)りてこそ それかとも見め たそがれに ほのぼの見つる 花の夕顔(ゆふがお)(― そばに近寄ってこそ
その人か誰かと分かるだろう、然るに近寄りもしないで夕暮れどきにほのかに見た夕方の顔を、誰だとは分かるまい)」
光源氏の歌
「 咲(さ)く花に 移(うつ)るてふ名(な)は 包めども 折(を)らで過(す)ぎうき けさの朝顔(― 咲く花に
色が移る、褪せると言う言葉は慎むべきであるけれども、美しさに私の心が移って、折らなくて通り過ぎるのは辛い
今朝の桔梗の花であるよ)」 源氏の歌
「 朝霧(あさぎり)の 晴(は)れ間(ま)も待(ま)たぬ けしきにて 花に心を とめぬとぞ見る(― 朝霧の晴れ間
を待たないでお帰りになる源氏様の御様子では、御息所に御心をお留めなさらないお方だと、私は見ます)」 中将の歌
「 優婆塞(うばそく)が 行(おこな)ふ道(みち)を しるべにて 來(こ)ん世(よ)も深(ふか)き 契りたがふな
(― あの在俗のままで仏道修行をしている優婆塞がお勤めしている来世を頼む道を、私達の道案内として来世にも御身は
二人の深い約束を違えなさるな)」 源氏の歌
「 さきの世の 契り知(し)らるる 身のうさに 行(ゆ)く末(すゑ)かねて 頼(たの)みがたさよ(― 前世の因縁
即ち、宿縁が自然に分かっている、現世での私の身の辛さはでは将来を前以て頼みに思うのは、でき難い事で御座いまするよ)」
夕顔の歌
「 いにしへも かくやは人の まどひけん 我がまだしらぬ しののめの道(― 昔も私の如くこんなにまあ、人が
恋の道にまごついて惑って歩いたであろうか。私はまだこれまでにこんなに辛い道は知らなくて、今度初めて経験する
夜明けのほの暗い道であるよ。まことに恋路は辛い) 源氏の歌
「 山の端(は)の 心(こころ)も知らで 行(ゆ)く月に うはの空にて かげや絶(た)へなん(― 山の端・源氏
の本心も知らなくて誘われるままについて行く私・月は、途中の大空できっと捨てられて消えてしまうでありましょう)
女の歌
「 夕(ゆふ)露に ひもとく花は 玉ぼこの たよりに見えし えにこそありけれ(― 夕方の露に潤されて莟の開く
花の顔は、ただいま私の顔をお見せするのは、通りがかりに如何にも私の顔を御身に見られた因縁からであるのであった)」
源氏の歌
「 ひかりありと 見(み)し夕顔(ゆうがほ)の うは露は たそがれどきの そら目なりけり(― かつて私が
夕顔の花の上露に光があると見ましたのは、以前に御身のお顔が美しいと見ましたのは、ほの暗い夕方に見た私の見損ない
でございましたよ) 女の歌
「 見(み)し人の けぶりを雲と 眺(なが)むれば 夕の空も むつましきかな(― かつて契を結んだ人、夕顔
は火葬によって煙となってしまった。その煙を現在雲と変わっているのだと眺めると、夕方の空までも親しく懐かしいよ)」
源氏の歌
「 問(と)はぬをも などかと問はで 程ふるに いかばかりかは 思ひみだるる(― 人目を遠慮して私がお見舞いも
申し上げぬのを、何故見舞わぬか、とお尋ねがなくて時日が経過いたします故に、私はどれほどかまあ淋しくも恋しくも
思い乱れていることで御座いましょう)」 空蝉の歌
「 空蝉(うつせみ)の 世(よ)はうきものと 知りにしを また言(こと)の葉に かかる命よ(― 御身に逃げられた
一件以来、浮き世は生きていくのに苦しく辛いものと、かつて知ったけれども今又、御身の言葉に寄りかかって生きていく
命であるよ)」 源氏の歌
「 ほのかにも 軒端(ば)の荻を 結(むす)ばずば 露のかごとを なににかけまし(― はっきりしない程度にでも
御身と契を結ばないならば、御身が男を通わすと知っても、何を理由に恨みを言おうか、言いがかりはないのであるよ)」
源氏の歌
「 ほのめかす 風につけても 下荻の なかばは霜(しも)に むすぼほれつつ(― お逢いしたのは夏、今はもう冬、
そんな時に御身がちょっと仰せられる風の便りにつけても、思わせぶりとは知りながら下葉の荻の如き私は半分は嬉しい
けれども、他の半分は、そのために物思いにしおれているので御座います)」 軒端の荻の歌
「 泣く泣くも 今日(けふ)はわが結(ゆ)ふ 下紐(したひも)を いづれの世(よ)にか とけて見るべき(― 泣き
ながら夕顔の成仏を願って今日、供養の日に私が結ぶ約束を叶えて、どの世になったら私は夕顔と打ち解けて逢う事が出来る
であろうか」」 源氏の歌
「 逢うまでの かたみばかりと 見(み)しほどに ひたすら袖の 朽(く)ちにけるかな(― 御身・空蝉にまた
逢うまで形見とのみ思ってこの小袿を大切にして見ていた間に、御身のつれなさに、また逢う事が出来ずに、私の恋の
涙でただもう袖は朽ちてしまったのであるよ)」 源氏の歌
「 蝉(せみ)の羽(は)も 裁(た)ち變(か)へてける 夏衣(ころも) かへすを見ても ねは泣かれけり(― 蝉の羽
のような薄物の袖も、御身の心も、ひたすら朽ちてしまったとて、御身が裁ちきって作り替えなされた夏衣を見るだけでも
私は泣かずにはおられませぬ)」 空蝉の歌
「 過(す)ぎにしも 今日(けふ)別(わか)るるも 二道(みち)に 行(ゆ)くかた知らぬ 秋の暮(くれ)かな(―
夕顔も空蝉も共に自分から離れて、冥土と伊予との二つの道に行方も知らずに行く秋の夕暮であるよ)」 源氏の歌