薫の大将の使で浮舟の弟の小君が小野の草庵に訪ねて来たー。

 

 

 廉内から敷物の藁の円座を差し出したところ、小君はそこに坐って、「このように隔心して、御簾の外に私がよそよそしく

 

まあ扱われるとは横川の僧都は仰っしゃいませんでした」と言うと、妹尼君が応対に出て、返答などをなさる。文を手に取って

 

お読みなされると「入道なされた姫君に奉る、山より」と認められている。そして僧都の名前が書かれている。「これは

 

私への文ではあるまい」等と言って浮舟が抵抗する事のできるものではない。

 

 彼女は非常に自然に決まりが悪く感じるので、益々奥の方に身を引き入れて誰にも顔を合わそうとしない。「いつも御身は

 

朗らかな晴れ晴れしさがなくていらっしゃる御性質でありますが、そのような態度では私は大層嫌であり、面白くありませんよ」

 

と言ってから僧都からの手紙を読んでみると、「今朝、拙僧の所に薫の大将様が見えられて、御身の現状をお尋ねなられたので

 

宇治院での出会いから始めて、詳細に申し述べました。殿の情愛が深かったのにそれに背いて御身は見苦しい山里で尼達と

 

よくも生活なされたことでありますよ。薫様の愛情に背いての尼生活は出家の功徳どころか却って仏の責めをも当然に加えられる

 

ことでありまする。拙僧は事実を承って驚愕致してしまいました。今となってはどういたしましょうか、どうにもなりません、

 

このように薫様にも知られたからには以前の御夫婦の縁を御間違いなされずに還俗なされ、薫様の御身に対する愛着の罪障を

 

晴らし除きなされて、そうしてただ一日だけ出家した功徳でも無量無辺なものでありますから、還俗なされて元の御夫婦の仲を

 

回復なされたとしても許されるものですから、やはり功徳をお頼みなされよと、拙僧は思う次第なのです。詳細な事は

 

拙僧自身が小野に参って申し上げるでありましょう。この小君が何かと申し上げる事も御座いましょう」と書かれている。

 

 僧都の文には当然間違うはずもなく、浮舟が薫の大将の想う人である趣を明らかに書き表しなされているけでども、この

 

文を浮舟以外の人が読んでも事情がよくわからないのだ。「この使の童は誰なのであろうか。私はやはり心配でありまする。

 

今でさえ、このように私に心の隔てを置いているのですから」と妹尼君から責め立てられて、浮舟は少し外の方へ向きを

 

変えて見遣ると、使の童子は「今はこの世の最後である」とこの世を思い切った夕暮れにも「非常に恋しい」と感じた

 

弟の小君である。同じ一つの家で見た時には大層意地が悪く、子供のくせに憎らしく威張っていて憎かったのであるが、

 

母親が大層可愛がり宇治にも連れてきたりしていたので、小君が少し成人するにつれて自分と小君がかつて互いに思い合って

 

過ごしていた子供の頃の気持を思い出すにつけても、浮舟には夢の中の事のように思われるのだ。

 

 「何よりも先ず母の様子を訊きたいと思い、外の人の身の上に関しては自然に何らかの情報を段々と聞くけれども、

 

母親の御過ごしなさる様子は微かにでもよう聞くことができないでいるよ」と、浮舟はなまなか見なければ何でもない

 

けれども小君を見るにつけて非常に悲しくなって、涙もポロポロと両目から落ちる。

 

 小君は非常に綺麗な服装をしていて、浮舟に幾らか似ている感じがするので、「御姉弟の関係なのであろうか、御身は

 

彼に質問したい事柄もあるでありましょうよ。御簾の中に童子を入れましょうか」と妹尼君が尋ねると、「何で入れましょう

 

か、入れる必要はありません。現在では小君はこの世に生きてあるとは思ってはいないのです。私が見苦しい尼の姿で

 

彼に見られるのも恥ずかしい思いでありまする」と浮舟は考えたので少し躊躇ってから、「仰せの通りに成程、私が

 

何か御身に対して隠し隔てがあるように御思いであるように存じておりますが、それが苦しいので私はどうも何も

 

申し上げることが出来ないのでありまする。呆れ果てるのであった宇治院での私の様子を、この世でも稀にみる奇っ怪な

 

事であると御身はご覧なされてしまっておられるのですからねえ。その事で、それ以来私は正気もなくなり、魂などという

 

物も以前の物とは別種のものとなってしまっておりまする。私は自分の過去のことについて一向に思い出すことが出来ないで

 

いましたが、紀の守とか仰るお方が世間での噂話などとなさった中に、自分が体験した宇治でのことなのであろうかと

 

微かに思い出されることがありました。紀伊の守の世間話の後に、あれやこれやと色々と昔のことを思い出したり致して

 

おりましたが、更にはっきりとは思い出せずに居りまするが、母親の事では、どうにかして私を人並みに縁付けたいものと

 

御考えでいらっしゃいましたが、母上は健在でいらっしゃいますのかと、それだけが気掛かりで御座いました。母の事を

 

考える時だけ悲しくなる折々がありましたが、今日見ればこの童子の顔は小さい時に見た気がいたすにつけて、懐かしさが

 

こみ上げてきて忍びがたいのですが、今更に弟の小君にもこの世に生きながらえていると知られないで済ましてしまいたい、

 

とばかり私は考えるのです。大切な母上がもし御健在でいらっしゃいますならば、母上にだけは対面致したくは存じますが

 

横川の僧都様が仰る薫の大将様には断じてこの世に生きているとは知られたくは御座いません。私の事は具合よく工作して

 

それは人違いなのでありましたと言い繕って隠し通して下さいませ」と浮舟が懇願すると、妹尼君は、「それは残念ながら

 

非常に難しい仕事ですよ。兄僧都の心は聖ではありますが、あまり物事に隠し隔てを置かないお人であり、どうして心

 

の中に隠し事をして薫の大将に物を申し上げたでしょうか。ありのままに申し述べたに相違ないのです。私が構えても、後

 

に知られないことはありますまい。すっかり知られてしまうでしょう。良い加減に事実を隠して隠し通せるような軽々しい

 

御身分ではありませんでしょう、薫の殿様は」などと言い騒いで、「世にも珍しく」、「浮舟殿は強情であられまする」

 

などと尼達は皆が口を揃えて言うのだ。そして、母屋と廂の間の境に几帳を立てて小君を入れたのだった。

 

 この小君も浮舟が此処にいるとは聞いているのだが、何分幼い子供なので何気ない風に言い寄るのも憚られるので、

 

「別にまた所持致して居りまする手紙を、どのように姉君に差し上げたら宜しいのでしょうか。僧都の御教えは確実で

 

御座いまするが、このように存否が曖昧であるのは残念で御座いまする」と小君が伏し目で申し上げると、妹尼は

 

「そうかそうか、まあ、可愛いのう」等と言ってから、「薫の殿様からの御文を御読みなさるお方は此処にいらっしゃい

 

ますが、私の如き傍らで見ている者にはどの様なことなのであろう、と理解できない事柄があるのです。やはり、浮舟

 

殿に事情をお話なさいな。君は幼少ではあっても、薫の御殿様がこのように大切な御文の案内役に御頼みなされるには

 

それなりの根拠があるのでしょう」と言えば、小君は、「打ち解けずに私をよそよそしく御思いで、私を覚束無い状態で

 

姉が御扱いなされるのであれば、私としても何も申し上げることは御座いません。ただ、薫様がこの手紙を人を介さずに

 

直接に渡すようにとお命じなので、どうしても直接にお渡ししたいのです」と主張すると妹尼君は、「そなたの申すことは

 

全くもっともなことでありまする。まだ、やはりこの様な冷淡な状態ではおありなされるな。出家の身であって、しかも

 

この上もなく冷淡に過ぎる御心持で、どうも御座るよ」と言って浮舟を動かして几帳の近くまで押し寄せたところ、浮舟は

 

自分ながらも自分ではない心持になってしまい、呆然としている。その様子が他ならない姉その人であると思われたので

 

小君はその人物に寄って薫からの御文を奉ったのでした。

 

 「ご返事を早く頂戴して、殿様の元に帰りたいと思います」と小君は姉浮舟のよそよそしい態度を「心が全く滅入って

 

しまう」と思いながら帰京を急ぐ様子である。妹尼君は御文を引き開けて浮舟にお見せする。

 

 見ればかつての昔に変わらない薫の美しい筆跡である。紙に染み込ませた香りなども例によって世間にはないほどまでに

 

丁寧に染みこませている。物に直ぐ感動する者で出しゃばる例の妹尼や少将尼、左衛門などは「非常に有り難くて趣が

 

ある」と思うのでした。

 

 「今改めて申そうとしても申しようがなく様々に罪が重い御身の入水や出家などは、授戒なされた御師の僧都の顔に

 

免じて許し申して、私はただ現在では何とかしてせめてかつての行方不明になった夢のような昔話だけでもしたいものと、

 

私のことは御身は御思いなされないであろうとは知りつつも、自然に急がれる自分の気持が自分の気持ながらもどかしくて

 

非難したくなるのです。自分ですらそうであるのですから、まして他人がどう見てどう感じるかは気になるところでは

 

ありまする」と心に思うことを全部は書ききってしまわずに、

 

 「 法(のり)の師(し)と たづぬる道を しるべにて 思(おも)はぬ山に 踏(ふ)み惑(まど)ふかな(― 仏道の師と

 

して仏道を尋ねる山道なのに、私は僧都を案内人として案外な恋の山道に踏み迷ってまごまごしているなあ)  使の小君は

 

御身は見忘れてはいないでありましょう。私としては行方の分からない御身の形見として身近で見ている者です」などと

 

薫の文意は極めて懇切丁寧である。

 

 このように細々と詳しくお書きなされているのでは、これは人違いですと誤魔化す方法もないので、誤魔化さないにしても

 

昔の浮舟ではない変わり果てた尼姿の自分を、意外にも薫様に見つけられてしまったならば非常に恥ずかしいであろうし、

 

浮舟はこの時に際しても心が大きく動揺してしまって、一段と晴れ晴れしない心は表現のしようもないのだ。 

 

 浮舟は強情を押し通すものの然しながら昔のことを思うから泣き伏してしまったので、妹尼君達は「全く人並みではない

 

ご様子であるなあ」と嘆息して見患っている。しかし、「薫様にはどのように御返事なさるのですか」と妹尼から責め立て

 

られて、「気持が甚だ苦しいようになっておりますので、しばらく休憩してからご返事を書きましょう。昔の事は思い出

 

すのですが一向に記憶が戻らずに、御文に書かれてあるような事柄も不思議な事にはどういう事であったのかとばかり

 

思い、文意が定かには把握できません。幾らか心が落ち着いたあとで文意を理解することも私は出来るかも知れません。

 

今日はやはりこの御文は持って帰って下さいな。もしも人違いである場合には、受け取るのは大層具合が悪いでありましょう」

 

と言って、文を広げたままで妹尼に差し返したのだ。