浮舟の情報を確認するために薫は横川の僧都を自身で訪問したー。

 

 

 「坂本に下山致すことは、今日と明日は障りが御座いまする。月が過ぎて後、来月の頃に拙僧から使を出しまして御連絡

 

致しましょう」と僧都は御返事申し上げなさった。

 

 薫は非常に気掛かりで待ち遠しく思うけれども、「それでもやはり直ぐに会いたいのだ」と出し抜けに気を揉んで、自然に

 

イライラと焦り苦しんでいる様子を表面に出すのも体裁が悪いので、「左様であるならば、来月になってから」と京に帰ったの

 

だ。

 

 横川には浮舟の弟の小君を御供に加えて連れて行ったのだ。浮舟の外の兄弟達よりも小君が容貌も美しくているのだが、

 

薫は小君を横に呼び寄せて、「この者は浮舟の身寄りの者であるので、まあまあ浮舟への使にやりましょう。貴僧の御文を

 

頂戴いただければ有難いのです。私を誰々と名前を書かなくとも、彼女を尋ねている縁ある者とだけでも浮舟にはお知らせ

 

ください」と薫が申し上げると、僧都は、「拙僧は、この案内で必ず破戒無慙の罪障を何としても作ってしまうでありましょう。

 

その人に関する事情は詳細に申し上げてしまいました。でありまするから、今は御身御自身で小野に立ち寄られて、もし当然に

 

果たさなければならない用事が御座いますならば、それをたとい果たされるのに何の非難が寄せられましょうや」と仰る。

 

薫は打ち笑って見せて、「貴僧が破戒無慙の罪障を得られると仰しゃられたのは、私に取って非常に恥ずかしい事で御座い

 

まする。私は俗の姿で今まで過ごして参ったのが大層怪しい事なのでありまする。私は幼少時から出家を志す気持が深く

 

御座いました。所が母親の女三宮が心細くて頼りなげである私の身一つを拠り所に思われていらっしゃる御様子が、避け

 

がたい親子の情愛の絆・ほだし と強く感じまして俗事にかかずりあっております間に、自然に位なども高くなり、

 

自分の処置も思うには任せずに出家を思いながらも月日は経過いたし、又、今上の女ニの宮の婿となって避けられないことも

 

数ばかりが沢山になってしまい、逃れられぬ事情に関して如何にも公務でも私事でも出家の素志を実現できないのです。

 

逃れ兼ねる事情に関するものでなくては、仏の戒めなされる方面の事を少しでももしも聞き及ぶならば、その事はどうか

 

して破らないように努め謹慎して、心の中は聖僧にも劣りませぬようにしたいものと考えておりまする。少しでも仏の戒を

 

破るまいと思っているのに、非常に些細な事であっても重い罪を得るようなことは、どうして考えようか、考えたりは

 

しまい。重い罪障を作るような事は今更あるはずがないことです。疑いなどは起こすまい。私はただ可哀想な浮舟の母親

 

のことを考えて、その心の憂いを晴らし、浮舟出家の真相などを貴僧からお聞き致し、それを伝えて彼女を嬉しがらせ

 

安心させたいと思っているだけなのです」などと、主として昔から深く心に秘めてきた出家の志を中心に僧都に語った

 

のでした。僧都も「その道心を承れば、成程、あの人の道心を乱すこともあるまい」と頷いて、「御身のその素志は非常に

 

尊いことでありまする」などと御返事をなさっている間に、日も暮れたので今下山すれば小野の里での中宿りも妹尼の

 

草庵が好都合であるが、「雲を掴むように、何の連絡もなしに訪問するのは、よくないであろう」と思い、帰り支度を

 

する際に、浮舟の弟の小君に僧都が目を留めて御褒めなされた。

 

 「この童に託して御文をとりあえずはその人に私の訪問を示唆させましょう」と薫が言うと、僧都は文を書いて小君に

 

渡したのだ。そして、「時々は君も山に参って遊びなさいよ。こう申しのも、何の理由もなく言うのではないのです」と

 

僧都は優しく小君に仰るのだ。この子は僧都の言葉の意味も解さないけれども、僧都から文をいただいて薫の御供に

 

従った。

 

 下って西坂本に来ると、「前駆の人々は少し離れ別れて、目立たないように忍びの形にしてもらいたい」と薫は仰った。

 

 小野では深く茂った青葉の山に向かって、気が紛れることもなく鑓水に飛び違う蛍だけを、昔を偲ぶよすがにして眺めて

 

おられると、軒端からずっと遠くまで自然に見遣られる谷が、前駆の人々が格別に心を配って非常に沢山灯した松明の

 

灯りを見物しようと言うので、尼達も浮舟と共に端の方に出て来た。

 

 「どなたがいらっしゃるのでありましょうか。前駆の方が非常に多くみられますね。妹尼君が昼間に僧都の所に乾燥海草を

 

お届けなされた御返事には、薫の大将様が京からいらっしゃって御饗応の行事が急遽なされたと御座いましたよ」、「大将

 

様とは如何なるお方でございましょうや」、「今上の女ニの宮の婿殿でいらっしゃいます」などと言い合っている様子も

 

非常に辺鄙な田舎じみている。

 

 浮舟は心中で思う、「本当に薫様であろうか。時々、宇治においでの際にこの様な山路を分け入ってくる際に、薫様が

 

いらっしゃるのだと顕著に知れた随身の声も混じっているようだ。その時以来月日が経過するに従って当然に忘れる筈の

 

宇治での昔のことを、今でもこうして覚えているのは出家してしまった今では何の役に立とうか、何の役にも立たない」と。

 

急に心が塞いでしまうので阿弥陀仏を念ずることで心を紛らわそうとするのだが、物も言わないで常よりも静かにしている。

 

横川に通う人だけにとって此処小野は便利の良い場所なのであった。

 

 彼の殿・薫は「この子、小君を途中から尼の草庵に使いに出そう」と考えていたのですが供人達の人目が多いので不都合

 

であり、京都の屋敷に一旦帰られてから翌日になって、小野へ使として派遣したのだった。常に近侍させて薫が親しみを

 

感じている家来の中で、身分の重々しくない者二三人を小君の送り人として、常に宇治に派遣していた随身を添えたのだ。

 

人が聞かないように小君を身近に呼び寄せて、「君は亡くなった姉上の顔を覚えているであろうか。今はこの世にいないもの

 

と思っていたのだが、確かに存命していたのだ。親しくない他人にはその存命のことを聞かせまいと思っている。そうで

 

あるから小野に行って尋ねてくれ。母親にはまだ明確にはならないので、言ってはならない。なまなか告げたりすると驚き

 

騒いで知ってはならない人までが、知ってしまうであろう。親が驚き騒ぐかも知れない御愁傷の気の毒さによってこそ、

 

私はこんなにも苦労しているのだよ」と、まだ小君が小野に行かないうちから口止めするのを、小君は幼い心ではあっても、

 

「兄弟姉妹は私には大勢いるのだが、この浮舟殿の御容貌に似た者などは誰もいない。と心に深く思い刻んでいるが失踪して

 

しまわれたと聞いて非常に悲しかった」と小君は思い続けていたのだが、薫の殿様がこのように仰るのでとても嬉しくて

 

思わず涙が落ちてしまう。それを恥ずかしいと感じて小君は、「はい、はい」と泣いているのを誤魔化すために荒々しく

 

返事を返したのだ。

 

 小野の草庵には翌日の早朝に僧都から、「昨夜、薫の殿様から御使として小君が参ったであろうか。姫君の事情を昨日

 

薫様から承ったので、拙僧は授戒を早まってしまったと詰まらなく、又受戒なされるのはよい功徳なのであるが、却って

 

拙僧は気後れ致し、気が咎めておりますると、姫君・浮舟殿にお伝えして下されよ。自分自身で姫君に申し上げたい事も

 

多くあるのだが、今日や明日を過ごしてから小野に参ろうと存じておりまする」と、手紙には認められている。

 

 僧都の文に書かれている小君は来ないし、その文面が領解しかねるので、妹尼は「これはどうしたことか、意味が分から

 

ない」と驚いて浮舟の所へ手紙を持って来て、浮舟に見せたところ、浮舟は顔を赤らめて「私に関して世上に噂でも流れて

 

いるのであろうか知らん」と苦しく、そしてまた「物隠しをしている」と妹尼君から恨まれることを想い続けると、どうにも

 

返答のしようもなくてじっと座っている。「どうか隠さずに身の上の事を聞かせてくださいな。私を憂鬱にさせて思い隔て

 

なさることですねえ」と妹尼は浮舟を大層恨むのだ。

 

 僧都の文面の事情を知らないのでにわかの事に驚き騒ぐ程まで、妹尼が色々と思い続けている折に、「比叡の山から

 

僧都の消息文を持って、如何にも参った者でありまする」と言って案内を乞う者があった。今日の早朝に山から使者が来た

 

のに又も使者が来たのかと不審であるけれっども、「今度のこそが、確実な事情が分かる消息なのであろう」と思い「こちら

 

へ入らせなさい」と取次に言わせたところ、その取次に従って付いて来たのは大層綺麗であり、落ち着いてしとやかな

 

童であって、何とも申されないような美しい衣装を着た者が歩いて来る。