薫、二十八歳の夏。浮舟、二十三歳、源氏は存命ならば、七十五歳。 薫が横川の僧都を訪問して、浮舟の消息を尋ねた事と、

 

浮舟の弟・小君に文を託して、小野の草庵に浮舟を訪問させた事である。

 

 

 薫は山においでになって中堂でいつもなさいますように経や仏などを供養なさいます。翌日には横川に行かれた際には

 

彼のような身分の高い人の訪問を驚き恐縮申しなされる。

 

 薫はここ数年来は御祈祷などに関して僧都に御相談なされるのであったが、特別に昵懇であるというようなことはなくて、

 

今回、女一宮の御悩みに加持祈祷をする為に参内された折に、「特別に勝れた功験を発揮なされる」と見てからはこの上もなく

 

尊びなされ以前よりも更に深い関係を築きなされたので、僧都は、「御身分の重々しくていらっしゃる殿が、このようにわざわざ

 

山の中までいらっしゃったことでありまする」と大騒ぎなされて持て扱いなされる。

 

 薫が御物語などをしんみりとしておいででありますから、僧都はお湯漬け、湯の中に飯または固粥などを入れて漬物などで

 

食するものを提供申した。薫の供人などがいなくなって少し周囲が静かになったところで、「小野の里周辺には貴僧の御知り

 

なされる宿などはございますでしょうか」と薫が尋ねますと、「はい、御座います。しかし、そこは大層様子の異なった場所

 

でございまする。拙僧の母親である朽ち尼が住まい致す所で御座います。京にはしっかりとした住まいも御座いません故に、

 

このように拙僧が比叡の山に篭もりまする間は、夜中や早朝であったとしても訪問できるようにして置きたいと考えまして、小野

 

の里においているので御座いまする」などと僧都はお答えいたした。薫は言う、

 

 「小野の周辺には、ほんの最近までは夕霧左大臣が通われた一条御息所や落葉の宮などを始め、人が大勢住んでおられたので

 

したが、現在ではそのような方々も少なくなりました」などと俗事を申し述べられてから、もう少し僧都の近くに寄って、

 

「申し上げれば、非常に浮ついた事と感じますし、又、お尋ね申し上げるに際しては、どうなのであった事柄であろうか、と

 

貴僧が納得が行かず、不審に感じれれるかもしれませんので、あれこれと憚れれるのでは御座いまするが、試みにお尋ね

 

致しまする。小野の山里には私の知っている女性が隠れて住んでいると聞き及んでおりまする。その隠れて住んでいるような

 

事実を確認した上で、その者がどのような事情でそのように隠れているのかを貴僧にお漏らしも致しましょう。そんな風に

 

考えている間に、その者が貴僧の御弟子になられて授戒なども御授けになられた由を、聞き及んでおりますが、それは事実

 

なのでございましょうや。彼女はまだ年齢も若くて、母親なども存命中でありますので、その事を恨みに私に訴える者達

 

もいるのでございまする」などと申し上げた。

 

 僧都は、「薫の殿様の思い人であったので、あの人はただの女性とは見えなかったが、やはり高貴なお人なのであり

 

ましたよ。この殿様がここまで仰るのは、かってあった女性であるから軽々しくは御思いではなかったのでありましょう。

 

と思い、人に戒を授けるのが当然である法師に身とは申せ、自分は思慮分別もなく即座に浮舟殿の姿を尼姿に変えてしま

 

った事でありますよ」と胸が潰れてしまうような思いがして、返事を申し上げようとしても申しようが自然に思案せられる。

 

「その人が確かに小野にあることを薫の殿様は御聞きなされての上での今回の訪問であろうから、拙僧が隠すべき事でも

 

ないであろう。生半可に拙僧が薫様に隠そうと致しても不都合でありましょう」と僧都はしばらく考え、考えた結果で、

 

「その人とはどの様な事情がござるのでありましょうや。拙僧がこの数カ月間にわたり不思議に思っておりまする女人に

 

関することでありましょう」と思い、「小野に住まい致しておりまする尼達が初瀬に願懸けを致して参詣した帰り道で、

 

宇治の院と申す所で宿泊致しておりました際に、母親尼の疲労からくる病気が起こりまして、大層患ったのでした。山にも

 

知らせが参ったので拙僧が宇治に参上いたしましたが、宇治に到着いたしますとたちまちに奇っ怪な出来事が発生いた

 

しました」と囁いた後で、「親が死にそうになっていたのを捨て置いて、その変化の物を退治しようと苦心いたしました。

 

この変化の者も拙僧の母親同様に亡くなりなされ者のようでありまして、息だけは微かにしてはおりましても虫の息で

 

あります。拙僧は遺骸を棺に収めて葬儀の準備が完了するまで安置する魂殿に置かれた人が息を吹き返す例をふと思い出

 

しまして、そうした事例のひとつなのであろうかと珍しいと思いまして、弟子たちの中でも加持に験のある者達を呼び

 

集めまして交代で加持祈祷をさせたのでした。拙僧は惜しいと思うような年齢ではございませんが、母親の旅先での

 

大病を極楽往生のための阿弥陀仏の念仏をまあ気が散らないように一心不乱に致そうと、御仏を念じて心に思っておりました

 

が、その女性の有様を詳細には見ておりませんでした。その時の前後の事情を推量いたしますに、天狗とか木霊などと

 

言った類の物がその人を欺き騙して連れ出して来たのだと想像いたしました。その人を助けて京に帰った後も、三ヶ月あまりは

 

その人は殆ど死んだ者と同様の有様でした。然るに拙僧の妹は故衛門の守の北の方でありましたが、尼になっておりまして

 

が一人いた娘が死後に多くの年月を経過しておりましたが、悲しみに耐えず嘆いてばかりおりました。亡き娘と同じ

 

年齢と思える女性で、このように容貌が至極端麗であり美しい人を見出しましたので、初瀬観音が御授けなされたお人で

 

あると喜びまして、どうあってもこの人を死なせ申し上げたくはないと自然に途方に暮れて焦慮せられるので、泣き

 

ながら切ない気持でありますから必ず加持を頼むと申しますので、後になってからあの西坂本の小野に拙僧が自身で

 

出向きまして被甲護身法で元気恢復の加持を仕りましたので、その人は次第に生き返ったように元気を取り戻しなされた

 

のでありましたが、その女性がもうされるには、私は今でも私を取り込んでしまっていた物の怪が身から離れようとしない

 

ような気が致します、私はこの悪霊の様な物の妨げを逃れて出家して、後世の幸福を願いたく存じます、などと非常に

 

悲しげに仰るので、拙僧としては出家をお勧め致すのが役割であるとも思い、拒否しないでその人の希望通りに出家を

 

おさせ申し上げました。そのお方を御身が御世話致されておられたなどとは何の手刈りもなくて拙僧が知る筈も御座いませぬ。

 

ただ、世にも珍しいことでありますから世間話としてお話致した事がございまする。世間に聞こえては憚り申さねばならない

 

事柄などがありかも知れないなどと、母親や妹が色々と申しておりますので、拙僧はここ数カ月連絡を致さずに居りまする」

 

と申し上げる。

 

 「浮舟はこのようにして存命でありまする」と小宰相からほのかに聞いたのであるが、こんな横川に出掛けて来てまで

 

僧都に浮舟の所持を確認しにまいったのではあるが、頭かもう死んでしまっていると思い込んでいた浮舟なのだが、やはり

 

真実に浮舟は存命していたのであったと考えると、夢のような気持がして、事の意外に驚き人の目も気にする事ができなくて

 

涙が溢れそうになる。僧都の気の置けるような様子に「こんな様子まで僧都に見せてしまうのであろうか」と薫は思い返して

 

表面では何食わぬ顔を装うのだ。僧都は、「浮舟殿を薫の殿様がこれ程にまで深く思われていらっしゃったのに、拙僧は

 

俗世界にはいない人と同じ尼にしてしまったのだなあ」と過失を犯したような気がするので、「悪霊にその人がとり憑かれ

 

てしまったのもその様な前世からの約束があったのでございましょう。どのような過失が生じて、ここまで落ちぶれなされた

 

のでありましょうか」と御問いなされるので、薫は、「あまりパッとしない皇族の血統などと当然に言うべき筈の、王家

 

筋の者と言うべき人でありましょう。私としても、もともと以前に妻になどと殊更に愛したわけではござらぬ。何となしに

 

ちょっとした機会で初めて世話を致したわけでありますが、その人がここまで零落してしまう運命とは私は夢にも思わず

 

に居りましたよ。然るに、不思議に跡形もなく姿を消してしまったので、その身を宇治川に投げ入れてしまったのでは

 

ないかとの人々の推測についても疑いが多くて、確実なことは今までよう聞くことができなくて居りました。然るに、

 

罪障を軽くして出家して尼になって暮らしている由なので、「非常に宜しい」と安心して私自身は思うようになりました。

 

しかし母親が彼女を甚だしく恋焦がれておりますので、この様に聞き知りましたと言い伝えたいとは思うのですが、今まで

 

幾月もの間妹尼君が浮舟を隠しなされておられた御気持に違反するようで、物騒がしくありますでしょうよ。たといそうで

 

あっても親子の中の情愛は絶えることはなくて、母は悲しみに堪え切れずにその女性を訪問致すような成り行きになるかも

 

知れません」などと言った後で更に、「大層不都合な案内で迷惑であると、たとい思いなされるようであったとしても、

 

貴僧はどうか坂本まで御降り下さいませ。これほどまでに聞いておきながら良い加減に考えてこのままに思い捨てるようには

 

かつて考えてはいなかった事情の人でありますからねえ。今のことは勿論の事、昔の夢のようなる事柄を尼姿になった現在

 

でも語り合いたいと思うのです」と仰る御様子が非常にお気の毒であると僧都は感じたので、「その人は現世を捨てて

 

しまったのだ」と思っているのではあるけれっども、如何に毛髪や髭を剃って法師になった者であっても、愛着の絆の心は

 

失うものではない。まして女性の立場では薫様に会ったならばどういう気持になるであろうか。彼女にとっては俗人の姿を

 

変えてしまっても道心がゆらぎ、拙僧にとっては罪作りなことになりそうであるよ、と不都合にも高僧らしくもなく無闇に

 

心が乱れるのでありました。