出家した浮舟に懸想している中将から消息文が届いた。珍しく浮舟はそれに返事をしたのだ―。

 

 

 「手習いなので見苦しい故に、せめて少将尼が書き写して奉るのが宜しいでしょう」と言うのだが、「却って書写など

 

したならば書き損なったりいたすでありましょうよ」と、少将尼は言ってそのままで出したのでしたよ。

 

 これを受け取った中将は返事が珍しくて嬉しいのではあるが、相手が尼になってしまった今では表現のしようもないほどに

 

悲しくなるのだった。

 

 初瀬参詣から帰った一行は浮舟の出家を知って驚き騒ぐ事は限りもないほどなのでした。妹尼君は仰る、「私のような

 

出家の身の上では、御身に対して出家を奬めるのがよいであろうとは思っていたのでありますが、将来の長くある若い御身である

 

のに尼となってどの様にお過ごしなさるおつもりなのでしょうか。私はこの世に生きてあるのが今日や明日かも知れないと

 

思いますので、どうやって後の心配をしないで御身をお世話申しあげようかと様々に心配致して、初瀬の御仏にもお祈り致して

 

参ったのです」と。悲嘆のあまりに転がり倒れるたりして悲痛な感じで仰るのに対して、浮舟は真実の母親が私が死んだあとも

 

亡骸さえない状態であるのを、悲しく思い惑いなさる有様を推量すると、真っ先に大層悲しくてならないのでした。

 

 いつものごとくに妹尼君に返事もしないで背中を見せている様子さえ、非常に若くて可愛げであるから、妹尼は「相談もなく

 

出家するとは、全くどうも頼りなくて御ありなさる御気質で御座いまする」と仰り、泣きながらも尼用の御衣などを急いで

 

準備なさるのだ。法衣の鈍色などは妹尼が手馴れていることでありますから、御自分で小袿(こうちぎ)や袈裟を仕立て

 

られた。尼の草庵に居る女房達も浮舟にこのような色の着物を縫ったり着せたりするにつけても、「御身の小野の里への

 

在住は全く考えることができないほどに、思いがけずに嬉しいこととして、この山里の光であると私共は明け暮れ嬉しく

 

思って見てまいりましたものを」、「本当に残念な事で御座いまする」ともったいながりながら、横川の僧都を恨んで

 

非難するのでしたよ。

 

 一品(ぽん)の宮様のご病気は実際に、あの弟子が言ったとおりに間違いなく効験も顕著であって、病勢が勢いを弱らせ

 

なさったので、僧都の名声は一段と高まり、非常に尊いものとして尊崇されたのでした。「御病勢が元に返ってしまう

 

ことも恐ろしい」と言うので、御祈祷を日延べして行うことになり、僧都は急には横川に帰ることが出来ないで内裏に

 

留まっていると、明石中宮が雨などが降っていてしめやかな夜であったが、僧都をお召になられた。一品の宮のご祈祷の

 

為に夜伽に伺候させたのである。幾日も宿直に伺候していて大層疲労した女房達が各自の局などに休憩で下がっていたり

 

して、中宮の御前には女房の数も少なくて、お側近くで起きている女房が少ない折に、娘の一品の宮と同じ御帳に明石中宮も

 

ご一緒なされて、「昔から私が頼りと致して居る中でも、今回は益々、後世もこのようにお救いなされて下さるでしょうと、

 

僧都に対する頼もしさの期待が高まりましたよ」と仰せなさいます。 「拙僧は世の中に長く生きておれない状態に仏など

 

も教え下さる中でも、今年・来年は生きながらえる事が難しいように感じておりますので、御仏を紛れる事なく念じて

 

勤行致そうと思い、比叡の山深くに籠っておりますが、今回はお召によりて参上仕りました」と僧都が言上致した。そして

 

女一宮に憑り付いている御物の怪が執念深くて、色々に名乗るのが恐ろしいなどと語ったついでに、「拙僧は先ごろ、非常に

 

稀有の体験を致しました。今年の三月に非常に老齢の母親の願が御座いまして初瀬に参詣致した折に、帰途の中宿りで宇治院

 

と言う場所に行って宿泊致しました。この院のように人が住まないで年月が経過した広大な所は狐や木霊などの悪性の物

 

共が必然的に通い住んで重い病人である母親の為には悪い事などをしでかすであろうと、考えていたところ、やはり案じた

 

如くに怪しい事が御座いました」などと僧都は話し、浮舟を発見した経緯について語り申し上げたのでした。

 

 「行き倒れていた女を見つけるとは、本当に珍しい事件でありますなあ」と仰り、側近くに伺候する女房達が皆寝込んで

 

いたのを恐ろしく感じられて、中宮は起こすように命じられたのでした。薫の大将が懸想していた宰相の君も眠らずに僧都の

 

この話を聞いていたのでした。しかし、目を覚まされなされた女房達は聞いていなかったのです。

 

 僧都は恐怖を御感じになられた明石中宮の気配を察して、「思慮のない話を申し上げてしまったことである」と思い、

 

詳細にはそれ以上の事は言いさしたままで終えたのだ。

 

 「その時の女人は、今回、お召しによって参上致すついでに、拙僧の妹尼が小野の里に住んでおりますので、途中で立ち

 

寄りましたところ、泣きながらも出家致したいと懇ろに懇願致したの、拙僧が剃髪致しました。妹尼は故衛門の督の妻

 

でありましたが現在は尼になって、その女人を死亡致した娘の代わりにと非常に喜んで面倒を見ておりまするが、その女人

 

が尼になってしまったので拙僧を大層恨んでおります。実際、その女人は容貌が麗しくて上品であり、その様な人が勤行の

 

せいでやつれてしまうのは如何にもお気の毒そうで御座いまする」と、お喋りな僧都でありますので、語り続けたので、

 

小宰相の君が僧都に、「どうして、そのように恐ろしい場所に物の怪がその佳人を連れて行ったのでしょうか。たとい

 

素性不明であったとしても、今では何者であるかは判明いたしたでありましょう」と問いかけたのだ。

 

 「知りませぬ。しかし、妹尼に素性を語っているでありましょう。本当に身分の高い人であれば、どうして世間に知れ

 

ないことが御座いましょう。片田舎の人の娘であったとしても、その様な女人はいるでありましょう。田舎娘であったとして

 

も龍の中から仏が誕生なさらないならば、如何にも見にくい者も御座ろうよ。しかし、竜女成仏と言って、竜の中からも

 

仏は誕生なさるのですよ。その女人は平人であったとしても、前世で罪障が軽い者であったのでしょうよ」などと、僧都は

 

明石中宮に語りなされたのだ。

 

 それで明石中宮は宇治の周辺で姿を消してしまった人のことを思い出しなされたのでした。中宮の御前に伺候している

 

宰相の君も浮舟の姉、中君からの伝聞で「怪しくも浮舟は姿を消してしまった」とはかつて聞き置いた所であったから、

 

僧都の話で「もしかしたら、その女人は浮舟殿ではあるまいか」とは思ったのであるが、決め付けることはできないこと

 

であり、又、僧都も「その女人も自分がこの世に生きてあるとは人に知られたくない、と言い、仇敵のような悪い人を

 

持っているような言い方をしている。身の上を大層隠しているので、いずれにしても事態が怪しい様相でありますから

 

明石中宮様に言上致した次第です」と僧都はいい加減中途半端に話を濁したので、小宰相の君も人には語らずにいる。

 

 明石中宮は、「いかにも、浮舟でもあろうか。薫の大将に存命の由を伝えようか」と、近侍する小宰相に仰るのだが

 

薫の大将にも浮舟のどちらにとっても、当然隠さねばならない事を「当然に浮舟殿であろう」と中宮はお知りなさらない

 

のに向かい合うのも御自分で恥ずかしいと思われる薫に打ち明けて仰るのも、遠慮なさらなければならないと思われて

 

そのままになってしまった。

 

 女一宮は御病気がすっかり御回復なされたので、僧都も山に戻られたのでした。その途中で妹尼の草案に立ち寄った

 

所、妹尼は非常に兄僧都を恨みに思われて、「なまなか若い身であって、こんな尼の御様子で末まで行い澄ませなければ

 

かえってきっと罪障を得るに相違ありませんよ。然るに私に相談もしないで、浮舟が尼になってしまったことを何としても

 

私は恨めしく思っておりまする。兄様は非常に怪しい行いをなさったのですよ」などと言って責めるけれども甲斐もない。

 

僧都は言う、「今は専一に仏道修行を行いなされよ。老人も、若者も、明日も知れない定めのない不安定な人生であり

 

まする。宇治でこの世を儚いものと体得したのも道理である御身でありまする」と。これを聞いて大層恥ずかしいと思う

 

浮舟だった。「尼の御法服を新しく仕立てなされよ」と仰って、綾・薄物・絹などの布地を浮舟に贈呈なされたのでした。