妹尼が初瀬に参詣して出かけている留守に、中将が訪問してきたが浮舟は相変わらず冷淡な態度を取った―。

 

 

 「夜中頃であろうか」と浮舟が思っていると、老いた母尼が咳をし続けて起きたのでした。火の灯りで浮舟が見ると

 

頭の格好は非常に白くて黒いものを被って、浮舟が側に寝ていたのを不思議がってイタチとか何とか言う物がそんな事を

 

するように額に手を当てて見詰めて、「変である、この人は誰であろうか」と母尼は最初から怪しい物と決め込んだいるような

 

様子でしつっこい声で浮舟の方を見詰めているのは、まさに「たった今、私を食い殺してしまうのであろうか」と浮舟が

 

思うほどに不気味である。「かつて私が身を投げようとした際に鬼が宇治院にさらっていったような時は、意識を失っていた

 

のであったから、却って意識がある時よりも気が楽である。けれども今の母尼の恐ろしさは私はどの様にしたらよいのか、

 

と思案するのは、大変な悲惨さで私は蘇生して普通の人の状態に回復したので、今またかつてあった色々な情けなく辛い

 

事柄を思い出して心が乱れている上に、言い寄ってくる中将を面倒であるとも、母尼を恐ろしいとも思い、思い乱れることで

 

ありまするよ。もしも私が死ぬならば今の母尼よりも恐ろしげな物の中に、紛れ込んでしまうのでありましょうか」と先が

 

心配される。

 

 こうして、眠れないままに浮舟は昔からの事を普段よりも頻繁に思い出すのだ。すると気持が憂鬱になり、父親と申した

 

八宮の御顔も見申さず、都から遠い東国であるのを何度も行き帰りして年月を過ごし、京では偶然にご縁を捜し求めて

 

近づき「嬉しくも、頼もしい」と私が親しみ寄った姉妹の中君様も意外な偶発事で縁も途切れ、その後は私を相当に価値が

 

ある者と思い定めてくださった薫の大将殿によって、次第に身の憂さもきっと慰めることが出来ると考えていた際に、

 

呆れるほどに身をもち損なってしまった我が身を考えていくと、匂宮様を少しでも「慕わしい」と思い申したような心が

 

いかにも怪しからないものでありましたよ。この匂宮様と関係を持ったことで、私はどうも流浪してしまったのでありました

 

よ。そう、専ら考えると橘の小島の緑が変わらないのを例にして匂宮様が、私への変わらぬ愛をかつて誓われたのに対して

 

私はどうして彼を「お懐かしい」などと御慕い申したのでありましょうか。こう考えてくると、浮舟は匂宮がこの上もなく

 

嫌になってしまった気がするのだ。けれども、薫の大将様は最初から情愛は薄かったけれども物静かに私に接して下さり

 

この折、あの折、などと次々に思い出すと懐かしさはこの上もないのだ。私は小野の山里にこうして健在でおりまする、と

 

彼の人が御聞きなされたならば、自分の恥ずかしさは他の人に勝っているのでしたよ。恥ずかしいけれど、然しながら

 

浮舟は思うのだ、この世に生きながらえて再び薫様の御容姿をよそながらであっても見ることが出来ようか、出来るならば

 

お目にかかりたいものだ、と恋しく思う。そう思うのはやはり私の心が悪いからなのでありましょう。そんな風には思わない

 

ように致そう、と自分の心一つを直そうとしているのだ。

 

 ようやくの事で鶏が時をつげるのを聞いて、浮舟は非常に嬉しいと思う。もしも母親の御声を聞いたとしたならば鶏の

 

声にもまして嬉しいであろう、などと一夜を考え明かして眠れなかった心地は大層悪い。浮舟の供をして部屋に戻るべき

 

童女のともきはなかなか来ないので、そのままで横になっていると、怪しげな鼾をかいていた老尼達は早くに起き出して

 

御粥などのごとごととした食事などをうまそうに取り立てて褒め、「姫君も早く来て、召し上がれ」などと母尼が浮舟に

 

近寄ってきて言うのだが、母尼が給仕するような食事も浮舟は気に入らずに今までに経験したことがない気がするので、

 

「気分がどうも苦しくてなりません」となにげなく答えて断るのを、母尼達が無理に勧めるのも大層不躾である。

 

  その日に、横川から身分の低い法師達が大勢来て、「横川の僧都が今日、山から降りられ予定です」と言う、少将尼

 

が、「どのような理由で、急に下山なさるのでしょうか」と質問した。「今上の一品の宮が御物の怪に御悩みなされて

 

山の座主に御修法を司って頂いたのですが、やはり横川の僧都に来ていただかなくては叶わないことと、昨日の再度の

 

御召しが御座いました」、「夕霧左大臣殿の子息である四位の少将が昨夜の夜更けに比叡に御上り来られて、明石中宮様の

 

御文を持参なされたので、僧都は山をお降りなさるのです」などと下法師は非常に華やかに得意げに言うのだった。

 

 それを聞いて浮舟は、「恥ずかしくはあっても僧都にお会いして、自分を尼にしてくださいとお願い申そう。反対する

 

小賢しい妹尼もいらっしゃらないので、良い機会でありまする」と思うので、起き出して、「私は気分が悪くて居りました

 

が、僧都が山を降りられた機会に、忌む事・戒を受けたいと存じますので、そのように御伝え下さい」と母尼に相談な

 

さいますと、母尼はボケてはいるものの打ち頷いて承諾した。

 

 いつもの部屋に浮舟は参って、平素は妹尼だけが彼女の髪を梳るのであるが、彼女が不在の今は別の人に手を触れさせる

 

のは自然に嫌と思われるので、それはそれとして浮舟は自分自身の手で梳るのはした事がないので、ただ少しだけ解き

 

下ろして親にこうした髪の状態をもう一度見て頂くことができないのを、人にさせらるのではなくて、自分自身の意志で

 

あって悲しいのである。

 

 非常に患ったためであろうか、髪の毛がやせ細った気がするけれども、見た目では少しも衰えてはいない。非常に毛髪

 

量が多くて、二メートル近く伸びた髪の末などは大層可愛げなのであった。毛の筋なども細くて艶があるのだ。「このように

 

尼になってしまえと言って母親は私を大切にお育てなされたのであろうか。そうではあるまいに…」と浮舟は思い余って

 

独り言を言うのだった。

 

 夕方になってから、僧都は此処小野の里にいらっしゃった。僧都の座席は南表に塵などをよく払い清めて、丸い坊主頭の

 

法師達が周囲を行き違って騒いでいるのも普段と違っていて、浮舟は恐ろしいような気持がする。

 

 母尼のお部屋の方に僧都は参られて、「最近のご機嫌はいかがでございまする」などと僧都は言う。「東の部屋に住んで

 

いる妹尼は初瀬の参詣で外出しているとか、かつて前に居られた御人は今もやはり居られるのでしょうか」などと僧都は

 

母尼にお尋ねになった。母尼は答えた、「仰せのとおりですよ。その人は参詣をしないで此処にとどまっています。気分が

 

悪いとどうも申されて、忌む事を御身から受けたいと希望しているのですよ」と。

 

 僧都は立って来て、浮舟方にお越しなされて、「こちらに、おいででしょうかな」と言って几帳の所に僧都が御坐りなさ

 

れると、浮舟は慎ましく思われるけれども意を決して、僧都の方に膝行し、近づき、返答した。

 

 「思いがけない事で、宇治においてお会いし始めましたが、拙僧は御身とは前世からの宿縁があって、御身の為に延命

 

息災の祈祷なども懇ろに致しましたが、けれども法師はその用事ということがなくては女人に御文を出したり、受け取ったり

 

は致なさないものでありまするから、どうも自然に疎遠な状態になってしまいました。大層見苦しい状態で世を背き

 

出家なされた尼達の所に御身はどうして居られるのでしょうか」と僧都は仰った。それに対して浮舟は、「この世には居ない

 

で投身自殺致そうと思いましたが、私は不思議にも今でも命を長らえておりまする。私はそれを嫌であると嫌っているので

 

ありますが、祈祷など色々と私の為にとなさって下さいます御身の御親切を忝ないと思い知らずにはいられませんが、それでも

 

やはり御厚志は分かりまするが、遂にはこの世に留まってはいられない気持が致しておりまする。どうぞ、私を尼にして

 

下さいませ。この世にあっても普通に人妻になり長らえる命とも思えません」と言う。

 

 僧都は、「御身はまだ行先が遠くて御若くてあられるのに、どうしてそのようにひたすらその様な御考えを持たれておられる

 

のでありましょうか。なまじっか若くして出家などして、末まで行い澄ませないのは出家などしないよりも却って罪障を

 

作ることでありますよ。出家を思い立って菩提の心を起こすのは道心も深いと思われますが、やがて年月が経過すると

 

女性の身と言うものはとかくにどうも罪障も深く、宜しからぬものでありまする」と諭す。すると浮舟は、

 

 「私は幼少の頃から物思いばかりしなければならない不運な境遇なので、母親などもこの子を尼にして面倒をみようかなあ

 

などと思い、又、私にもそう申して居りました。幼い時代にも増して私が多少とも物事を分別判断出来るようになってからも

 

普通の女性のようではなくて、尼になって後世安楽にと思う心が深かったので、私の死期が段々と近くなるので御座いま

 

しょうか、気持がひどく弱くばかりなりまして困っておりまする。どうか私を尼にして下さいませ」と、泣き泣き訴えるの

 

でした。僧都は思う、「このように美しい容貌と容姿であるのに、この女人はどうして御自分の身を厭わしいとばかり

 

考え始めたのであろうか。拙僧が降ろした物の怪も、我いかにしてか死なむと昼夜言い続けていたのに便りを得て、と

 

言っていたのを考え合わせると、然るべき理由があるのでありましょう。拙僧があの当時に祈祷しなければ今日まで生きている

 

命であったろうか。物の怪が見込んでいたものであるから、出家させなければどうなるものか非常に恐ろしくもあり、又

 

危険でもあろう」と不思議と感じられて、「理由はどうであれ、御身が御決心なされて仰るのですから、仏三宝が褒めなさる

 

出家でありますから法師の身で反対申すべきことではありません。忌む授戒は非常に容易に出来ることですが、急用で山から

 

出て参ったので、今夜は女一宮様の所に出仕しなければならないのです。明日から、御修法が始まり七日後に終了致すので

 

その際に授戒を申し上げましょうよ」と僧都は言うのだ。