女一宮に懸想している薫は側近の女房たちを手懐けようと接近を図った―。
女房達の一部分は几帳があるのでその陰に姿を隠し、ある者は薫に背中を見せ、又は押し開けてある戸の所に誰が誰であるか
分からないように紛らわしながら外を眺めている。その頭髪の具合も興味があると薫は見渡しながら、弁の御許が使用していた
硯を手元に引き寄せて、
「 女郎花(をみなへし) みだるる野邊(のべ)に まじるとも 露のあだ名(な)を 我(われ)にかけめや(― 美しい
女房たちが大勢いる中で、私が一緒に混じっているとしても、私は真面目であるから、少しの浮名も君達は私に負わせる
であろうか、負わせないだろう) 真面目だからと安心しないで、不安がりなされよ」と書き、すぐ側の襖の所に後ろ向きに
なっていた女房にその歌を見せたところが、その女房は身動きもしないでゆったりと、しかしながら素早く、
「 花といへば 名(な)こそあだなれ 女郎花(をみなへし) なべての露に 亂(みだ)れやはする(― 単に花と申せば
その名はいかにも移り気であるが、今御詠みの女郎花たる私達はありふれた露などには乱れて、靡いたりするでしょうか、
いたしませんよ) 」と書いてある手跡はほんの一部ではあるが由緒があるようで、大体見やすいのであるが「この女房は
何者であろうか」と薫は見るのだ。今参上するのであった通路に薫がいるために邪魔されて、そのために立ち止まっていたので
あろうと見える。弁の御許は言う、「あまりに実直すぎて大層色気のない老人言葉は憎らしく聞こえまする」と。そして、
「 旅寝(たびね)して 猶心みよ 女郎花(をみなへし) さかりの色に うつりうつらず(― 御身は色気もなく仰言い
ましたが、此処に一夜旅寝してやっぱり試しなされよ、女郎花・女房達が盛りに咲いている色彩の美しさに御心が移るか
否かを) 旅寝された後で浮名を負うかどうかで判定致しましょう」と言ったので、薫は更に、
「 宿貸(か)さば 一(ひと)夜は寝なん 大方の 花に移(うつ)らぬ 心なりとも(― 宿を貸すならば一夜はきっと
寝よう、大抵の花・女には移らない私の心であるとしても) 」と詠みかけた。
弁の御許は、「どうして私共を見下してそのように仰ったのでしょうか。私は野辺に旅寝をするると人の言う一般的の
事の利巧ぶった言い方をいかにも咎め申すのです」と言った。薫がとりとめのないことを少しだけ言うのを、女房は残り
の言葉を聞きたいものだと懐かしく慕い申し上げる。
「通路を塞いでいる気のきかぬ者が通路を開けてしまいましょうよ。取り分けてまあ君にはあの匂宮のせいで御物
恥の理由がきっとあるはずの折節で、どうもあるように私は思うのですよ」と薫は言い残してその場を離れなされた。
「此処の女房達は全体が揃ってあの弁の御許のように不遠慮であろうなあ、と薫の大将様が思われるのであれば如何にも
情けないことでありまする」と心中で思う女房もいるのだった。
寝殿の東の勾欄に寄りかかって夕日の影が射す頃になるに連れて、花の咲いている明石中宮の御前の庭の草叢を
薫は眺めている。女一宮を思うので何とはなしに寂しくて物哀れである時に、「四季の中でもとりわけ寂しく悲しい思い
をするのは秋の空であるよ」と言う白氏文集の一節を大層静かに吟じて薫は座っている。
折柄、先刻おった女房の衣擦れの音がはっきりとした様子で寝殿の母屋の御襖を抜けて内側の方に入るようである。
たまたま匂宮がそこへ歩いていらっしゃり、「此処からあちらへ行くのは誰であるか」と女房に問うと、「女一宮様の
御側づきの女房の中将の君で御座いまする」と女房が返答した。薫は思う、「名をさしての返答はやはり不都合な事で
るよ。誰であるかと仮にもその女房を気にかける男の匂宮に名前を言うような不躾な態度である」と薫は匂宮にも
中将の君にも御気の毒であり、匂宮におかれては女房達全員に対してただもう馴れ親しんで自然にきっと御思いなさるに
つけても薫は残念な気持がする。親しく手を下して無理に御口説きなさる匂宮の御態度には女も当然に負けてしまうで
あろうよ。自分の好色についての匂宮との御縁につけても、ここの女房達からも目馴れられず、また思われないようにまあ
悔しく憎らしくねたくもある。何とかしてこの明石中宮方の女房にまあ、もしも珍しく美しい女房があるならば、そんな
女房をいつも見るとおりに匂宮が熱中して御愛しなされるような者を、自分が横から口説いて私が浮舟を愛した如くに
匂宮に「安心してはいられない」とでも不安がらせたいものだ。真実に思慮分別のある女は私の方にこそ靡くであろうよ。
けれどもなかなか難しいものであるよ女の心というものは、と思うにつけても對の屋の中君が匂宮の浮気なご様子を
親王には相応しくない大層不都合な好色な方面に進んでいくことについての、世間一般の思惑に関して私は心苦しく
思ってもやはり中君は私を振り捨ててしまいかねない者として理解しているようである。
中君のような思慮分別のある物の分かった女性はこの様な女房達の中にあるであろうか。立ち入って関係し、相手の
裏面まで深く体験しないから理解していないのだろう。最近は目が覚め勝ちで退屈であるから、私も少しは浮気も経験
しなければいけないなあ、と思うにつけても薫は好色なのは自分には似合わないと思う。
八講の際に女一宮を垣間見た例の西の渡り廊へ行く癖がついて、薫はわざわざ行ってみるのも自分の事ではあるが不審で
ある。姫宮、女一宮は夜分に明石中宮の所に御渡りなされたので、お付の女房達は美しい月を眺めると言うのでその渡殿で
くつろいで気軽に会話を交わしていた。折柄、筝の琴の音が非常に懐かしい爪音で掻き鳴らすのが情趣深く聞こえる。
女房達が気づかないうちに薫はそこへ接近して、「どうして、人に気を揉ませ、心を動かすふうに御弾きなさるのか。
弾く人を見たら更に心を動かされるであろうに」と仰ると、女房達は皆驚かずにはいなかったのですが、少し上げていた
簾を下げたりもしないで、中の一人が立ち上がって、「御身が今仰った遊仙窟の文章ではありませぬが、物腰風采の当然に
私に似ているはずの崔李圭のような兄は私にはございませぬ」と薫に答える声が女一宮の女房の中将御許なのであった。
「私こそはいかにも十娘ならぬ女一宮の母方の叔父であるよ」と、薫は何でもない故事を仰せなされて、「いつものように
明石中宮方のお部屋に女一宮様はいらっしゃるのでしょうか。どのような事をこの六条院での御里住みでなさっていらっ
しゃるのでしょうか」などと、薫は宮の不在を知って詰まらなく感じるのだ。