ロシアの文豪トルストイには世界的に有名な名作「戦争と平和」と「アンナ・カレニーナ」がありますが、かつて「復

 

活」を始めとして「イワンの馬鹿」などに至るまで勿論翻訳で読んだのですが、最初は英訳で読んだものでした。次はド

 

ストエフスキーですが、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」の名作を筆頭に「未成年」、「永遠の夫」、「悪霊」、

 

「白痴」など彼の著作の殆ど全部を評論家の小林秀雄の解説に刺激を受けながら熱中して読んだものでした。ドラマのプ

 

ロデューサーになってからも事あるごとにドストエフスキーの作品を映像化したいなどと親しい局プロに持ちかけて失笑

 

を買ったのを昨日の事のように覚えております。

 

 聖徳太子の件で触れるのを忘れたのですが、天皇中心に政治を進めるために制定した「十七条の憲法」は役人の心構え

 

を示したもので、「冠位十二階」は役人の位を十二に分けたもので、生まれにかかわらずに能力があれば出世する評価

 

制度だった。世襲制、門閥政治という悪しき慣習を改めて、能力次第でどこまでも出世が可能な新制度を確立したのが厩戸

 

の皇子の理想実現の第一歩だった。後世に多大な影響を及ぼしている点でも素晴らしいの一語に尽きる。

 

 政治の世界ばかりではない、文学の世界でもそれは同じで、貴族の出身であろうと平民出であろうと物を言うのは能力

 

だけである。

 

 弘法大師・空海について少し触れておきましょうか。名は体を表すと言いますが、空と海とを同時に併せ持つスケールの

 

大きさは他の追従を許しません。私は一時期毛筆習字に熱中したことがあります。酔っ払っていても夜中でも、精神の

 

スポーツと称して墨を磨る時間も惜しいので墨汁を硯に流し込んで臨書したのですが、空海の書は男性的で気宇壮大であり

 

実に心が豊かになる。最澄の書は空海に比べて女性的に見えますが、生半可な書道の腕前では書き熟す事などは及びも

 

つきません。空海の書も何度臨書しても撥ね付けられてしまうと言うか、人間性が全く違うのですから、なぞると言うか

 

無心に相手の懐に飛び込むような感じで真似るのですが、結果は何度トライしても似て非なるものにならざるを得ない。

 

それで私の方は精神のスポーツとしての目的は達せられるのですから、構わないわけですが、仰ぎ見るような偉大なる人物の

 

謦咳に接し得たことは望外の幸せでありました。書は人なりとはその当時に実感した真実です。良寛の書は大体が細身ですが

 

鋼鉄のような強靭さを秘めてしかも一見稚拙にみえますが、私などには臨書してもその核心に迫ることなど覚束無い厳しさを

 

感じさせて、弾き飛ばされてしまう。厳しい生き方からしか良寛さんの書の秘めた強靭さは生まれないのですね。空海の書が

 

質実剛健そのもの、健康な青年の肉体を想起させるのですが、良寛の書の線は老人の如くに見えながら、ヨガで削ぎ落とされた

 

肉体の如くに無駄がなく、付け入る隙が全くない。「天上 大風」と書かれた遺墨は宇宙を悠然と闊歩する自由人の姿を

 

彷彿とさせ、子供達と日が暮れるまで手鞠をついて遊ぶ好々爺の一面を如実に垣間見せている。ここで又、書は人なりの

 

言葉を思わざるを得ない。人には様々な生き方が可能であり、書はその反映として心ある者にその人の生き方を在りの侭に

 

示してくれるのですが、現在では毛筆どころか手書きでサインすることも殆どなくなってしまい、墨跡などは単なる文化遺産

 

的な意味合いしか持たなくなってしまった。残念であっても、時代と共に移り変わる文化の変容の一つとして諦めざるを得ないで

 

ありましょうね。

 

 一休宗純は室町時代の禅宗の奇僧である。 「 おもひねの うきねのとこに うきしづむ なみだならでは なぐさみもなし

 

 」 一休禅師が楊貴妃に比した森女の和歌であります。仏教では女性を特別に蔑視しないし、性愛を毛嫌いもしていない。

 

「理趣経」では性愛は妙的の位、詰まりは仏の境地ともしている。

 

 門松は 冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし  ―― これは一休宗純の和歌であるらしい。物事には

 

裏と表がある。若年の頃は成長と呼び、老境に入っては老化と同じ現象でも違った見方をする。メメント・モリ、死を忘れるな

 

と言う表現がありますが、一休は正月の町を杖の上に髑髏を乗せて歩いたとか、とかく奇矯な言動で知られていますが、物事に

 

囚われるならば徹底して執着する。その挙句に、向こう側に突き抜けてしまえば、一種の悟りが訪れる。禅の開祖達磨大師は面壁

 

十年だったでしょうか、悔悟に至ったとか。

 

 通常は女性の存在を仏道修行の妨げとなるとして、異性を遠ざけて修行に励むのですが、ブッダがそうだった様に女性はかなら

 

ずしも悟りの敵ではない。一休は若い頃から色町に出入りしていたが、六十歳を過ぎてから盲目の旅芸人の女性と夫婦関係を結び

 

それを「狂雲集」という詩集に赤裸々に文字化している。実に人間味溢れる行動ではありませんか。

 

 鎌倉時代の僧侶に明恵上人がいますが、仏陀を最愛の女性の如くに敬愛して止まなかった。一生不犯の人と言われる程に清潔な

 

人生を送ったと言われている。明恵は自分の寺の樹の股や庭石の上で座禅を組み心を通わせたと、大分以前に誰かの著作で読んだ

 

記憶があるのですが、鳥たちとも会話しただけでなく、島とも友人になり手紙を出したりしたらしい。自分の耳を切って釈迦牟尼

 

に捧げると言う常人には理解し難い行動も敢えてしている。「 阿留辺畿夜宇和 」あるべき様わ、という言葉を残しているが、

 

その時、その場、に於いて自分に最も相応しい生き方を自らに常に問いかけて、その答えを生きようとすべきだと、他者へではな

 

くて自分自らに問いかけて厳しく生きた。何処となく古代ギリシャの哲人ソクラテスを彷彿とさせて興味深い。

 

 「 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかや月 」月光の明るさを褒めたたえて詠んだ明恵の和歌

 

である。芭蕉の「松島や ああ松島や 松島や」と同巧異曲であろうか。

 

 貝原益軒に養生訓がある。養生とは健康や健康法を言うが、養生訓は実体験に基づき健康法を解説した書であるが、長寿を全う

 

するための身体の養生だけでなくて精神の養生も説いているところに特徴があり、一般向けの生活心得書であり、広く人々に

 

愛読されたようである。私などはこれと言った健康法を実践しているわけではないが、健康であって人に迷惑をかけずに生きられ

 

るならば何歳まででも生きたいとは思っている。健全な身体には健全な精神が宿る、と言いますね。ソクラテスも孔子も釈迦も

 

頑健な身体の持ち主であったようです。いくら高邁高貴な思想を説いたとしても、病弱であっては生を享受出来ず、誰にとっても

 

健康程大切な宝物はありません。幸いと私は健康長者でもあり、これと言った健康法を実践せずに自然に生活していて、贅沢など

 

は望まずに、今ではお酒の量もめっきり減り、食事の量も次第に減ってきており、お腹のあたりに贅肉が少しばかりついてはいま

 

すがまったく医者いらず、薬いらずで過ごせていますから両親に感謝しつつ、これからも少しでも世のため他人の為に

 

役立つことが出来ればこれに過ぎる幸せはないと心得て生活しています。

 

 二宮尊徳・金次郎の銅像が小学校の校庭の隅などに設置されていたのは私の年代、今年の八月に満で八十歳を迎えるのですが、

 

頃までで最近ではとんと見かけなくなってしまいました。薪を背負って歩きながら書物を読んでいる少年の像でありますが、勤勉

 

と勉学とが前途有為と期待される青少年にとっての模範となる人物像として賞揚された一時代の象徴のようなものなのですが、改

 

めて振り返ってみると、今日でも必要な、そして実生活に必要な徳目を再認識する為にも彼の、二宮金次郎の言葉に耳を傾けて

 

みようと思うのです。彼は経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると

 

説く。彼の教えを報徳の教えと言いますが、尊徳が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した豊かに生き

 

るための知恵である。その教えの中心的概念は大極である。彼はこの大極を円によって示している。この円を分ける事で、天地・

 

陰陽などの区別が生まれるが、全ての物が未分化な状態であり、一種の混沌状態を指す。大極は常にそこにあるものであるために

 

人間が何をしようが、常に大極と共にある。人間は我であるために、常に大極と何らかの関係を取らなければならない。そこから

 

大極に積極的に向かう姿勢である天道(天然自然の摂理、天理)と、大極に消極的に向かう人道の区別が生まれる。尊徳は天道に

 

のみ添って生きる心構えを道心と呼んだ。道心とは、天の理にそって、私欲を捨てて生きることである。人道とは、我欲に

 

囚われた心であり、欲するばかりで、作る事がない。心が人道に囚われた状態でいる限りは人は豊かにはなれない。道心にそった

 

生き方をして初めて人間は真の豊かさを実現できるのである。至誠=我の心を大極と積極的にかかわる状態に置くこと。勤労=至

 

誠の状態で日常生活の全ての選択を行っていくこと。分度(ぶんど)=これは吝嗇をすることではなくて、至誠から勤労した結果

 

で自然と使わざるを得ない物のみを使うことを意味する。推讓(すいじょう)=分度して残った余剰を他に譲ること。これは単な

 

る贈与なのではなくて、至誠・勤労・分度の結果として残ったものを譲って始めて推讓になるのだ。以上、実践としての報徳の教

 

えは道心を立てた結果、至誠・勤労・分度・推讓を行っていくことではじめて人は物質的にも精神的にも豊かに暮らすことが出来

 

る、とするのが根本の論理である。実践の中で如何に徳が徳によって報われていくかを見極める事こそが真髄なのだ。この、実践

 

の中で初めて理解できる言語化出来ないものこそが報徳の教えの中枢・根本であり、尊徳が「見えぬ経を読む」という言葉で示し

 

ているのは、正にこの事を指し、「単なる本読み」になってはいけないと戒めたのも、同様の事情によっている。因みに、彼の名

 

言を少し挙げておきましょう。樹木を植えて三十年経たなけらば材木にならない。人々にはそれぞれ長所が短所があるのは仕方が

 

ない。古語に、三年の蓄えがなければ、国にあらず、と言っている。キュウリを植えればキュウリと別のものが収穫出来ると思う

 

な。悪いことをした、ヤレ間違ったと気づいたとしても、改めなければ仕方がない。などなど。