ゲーテに「親和力」と言う一種の不倫小説があります。言葉の意味は、各種の元素がある元素とは結合し易く、他の元素とは結
合しにくいと言うように、結合の時に見られる結合しやすさの傾向を言う。これは元素だけではなくて、人間の場合にも当てはま
る。
ヨハン・ヴォルガング・フォン・ゲーテは1832年の8月28日の生まれですが、私は1943年8月28日生まれで、文学
上の大偉人と誕生日が偶然に一緒だったことに暗示を受けて、高校生の時に単位と関係ないドイツ語を参考書を頼りに独習する成
り行きになった。中学時代の国語の教師が国内の文学者、石川啄木や与謝野晶子などの話をした際に、森 鴎外のことも熱心に語
られた。鴎外はご存知のように国費でドイツに留学する秀才でありました。彼の「舞姫」はこの不世出の天才が血の滲むような思
いで告白した告白文学の傑作でありますが、若き日にひどく感銘を受けました。
私はもう度々亡妻の悦子との出会いを運命的であり、偶然に偶然が重なって必然に結びついたと感動した事をブログで書いてき
ましたが、その始まりの偶然が若気の至りで数学を軽んじて一種の語学フェチに溺れ始めたきっかけが、ドイツ語との胸躍るよう
な出会いだったわけです。この偶然事がなかったら悦子には邂逅できていなかったとさえ、風が吹けば桶屋が儲かる式のバカバカ
しい連鎖を大真面目で信じたのでした。
私が今日現在のように幸福長者の自覚を満喫出来ているのも、悦子との夫婦としての生活をエンジョイした結果なのですから、
何もかもが悦子に負っている。そう今でも固く信じている。
鴎外の血の滲むような告白文学を述べましたが、漱石の一連の作品群は、「明暗」の未完によってピリオッドが打たれています
が、「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」、「三四郎」など表面的な明るさの内側に鬱屈したどす黒い感情のうねりが透けてみえ、
次第に血の滲むような内面の告白性が前面に出てきている。私の確信なのですが、幸せで満ち足りた人に「小説」などを書く必然
性はない道理なので、二十歳前後の私は芥川賞と直木賞とを同一作品で獲得するスケールの大きな作品を物したいとの野心に燃え
ていましたが、悦子との出会いがその動機を解消してしまっていた。今この文章を「小説」などと称しているのは決して大説では
ないからで、それだけのことにしか過ぎません。
私は十年以上にわたり物語文学の傑作「源氏物語」を現代語訳していますが、浅学非才を顧みずに「暴挙」に出ているのは、傑
作の傑作たる所以を原作に直接に触れることで、様々な文学者の原作の翻案などでは味わうことのできない本物の素晴らしさを、
是非とも今の若い人に鑑賞していただきたいとの、一心からの事です。動機はそうなのですが、現代語訳するとは原作を深く読む
ことを当然ながら意味していて、私自身が一番得をしている。動機などとは関係のないことなのですね。
主人公の光源氏は女性からも男性からも等しく愛される理想的な人物なのですが、幾多の女性遍歴を重ねても彼の孤独な魂に
本当の意味の慰安は訪れないので、彼ほど不幸せな人間も珍しいのです。理想的な人物がこの世での苦しみの極限を体験する。一
種のパラドックス、矛盾でありましょう。作者はその事の意味を深く掘り下げて、とことんまで追求してやまない。人間とは何者
か、理想とは一体何なのか、性愛は男を、或いは女を幸せにするのであろうか…。作者は私見では「紫式部」という個人ではあり
ません。世間から阻害された一種の世捨て人のグループが空間的にも、時間的にも重なり合って、ひとつの人物を磨き上げてい
く、その集積の結果が私達が鑑賞している原作を形成している。今日私達が考える小説とか、物語の概念とは異質な物を内包して
いるわけですね。日本の芸術には個性とか、独創性などよりは普遍性や共感的であることのほうが重要視されている。
喩えは奇異に感じるかもしれませんが、バイブル・聖書の如き重層性を備えていて、様々な視点からの解釈に耐え得る豊富な意
味内容を有しているのです。
私の源氏物語の鑑賞はもうしばらく続くのですが、私自身には小説を継続するエネルギーと言うか、心の働きが自然には動かな
いのです。従って、現在はユウジン・オニールの Ice Man Cometh の翻訳などを手始めに他者の著作で印象に残っている作品
などを手がかりにしてブログの制作を継続してしていく所存です。そうしている間に、私自身の内面で何かが動き出し、再び小説
めいた物にしたいと感じたなら不定期に「至福の人・或る魂の軌跡」として続ける考えでおりますが、どうなりますかは自分でも
分からずにおります。
十七条の憲法を制定された聖徳太子の言葉に、「和を以て貴しとなす」がありますが、和は輪・話・環にも通じています。
みんなが和やかに、輪・サークルとなって、仲良く一緒に話し合い和合する。政治の眼目でもありますが、一般の人々の平和なあ
り方の理想でもありますね。
西郷隆盛には「敬天愛人」との実に見事な揮毫が残されている。天を敬うからこそ地上の人々を自然に愛せる。真に尊敬するべ
きは天であり、自然に愛すべきなのは人々なり。
福沢諭吉の言葉として、「天は人の下に人を作らず、人の上にも人を作らず」と西洋流の人間の平等を謳い上げた標語が有名で
あります。
どれもこれも、私たちの心に素直に入って来て、今ではごく普通の常識と化してしまっているが、それぞれの時代としては画期
的な、それ故に目から鱗の如き新鮮さを以て迎えられた観念であり、理想でありました。
「日出処(ひいづるところ)の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや……」、これは推古15年(607年)、厩戸
皇子(うまやどのおうじ、後の聖徳太子)が隋の皇帝に送ったとされる有名な国書の一文です。客観的に見たら当時の大和の国・
日本は数百年以上、千年以上の堂々たる歴史を誇る中国に比べて辺境の東海の一隅に位置する蛮人の国と称しても良いような弱小
国であった。しかし、仏教の知識にも長けた太子は大国の隋に対して少しも卑屈にならず、また過大に己を誇示することもなく、
対等の立場で、しかも太陽が海から昇る所と自分の国を規定して、相手をその太陽が沈む所の国と形容して、自然に自己の優位性
を滲ませている文章の妙には舌を巻かざるを得ない。
聖徳太子の頭脳が極めて明晰であって世界的な水準にあったことは仏教に対する深く豊かな教養によっても証しされますが、同
時に十数人の人々からの訴えを聴き、素晴らしいそれぞれのケースに最も適した回答を与えられたとの伝承がありますが、将棋や
囲碁などにプロが初心者を相手に数十人を同時に指導することがあるようですが、私などにはそんな離れ業を想起させます。
荒海や 佐渡に横たふ 天の川 (松尾 芭蕉) ―― 荒海、佐渡、天の川 と冬の日本海には怒涛が逆巻く情景が彷彿とさ
れますが、宇宙的なスケール感で銀河が対比される。この一句だけで中国の詩人の李白や杜甫と比肩し得ると感じさせる。
寂しさに たへたる人の またもあれな 庵ならべむ 冬の山里 (西行法師) 寂しさに耐えるとはどんなに厳しく、激しい
生き方を要請されるのか、常人には想像もつかないのですが、西行は人一倍寂しさに堪えに耐えた歌人だったと言える。冬の山里
とさりげなく置いているが、天性の詩魂を有している稀有の歌人にして歌い上げることの出来た絶唱でありましょう。
うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき (小野 小町) ―― 恋しき人とは恋人であり、父
親であり、母親であるかも知れない。絶世の美人だったと伝えられる小町には確実な伝承がありません。美人でしたから懸想して
言い寄ってきた貴公子達も多かったでしょうが、私は自分に女の子が生まれたら「こまち」と命名しようと思った程に、この謎多
き佳人に関心を寄せていた時期があります。詠まれている恋しい人とは誰よりも父親であろうと想像するのですが、光源氏の女性
版とも考えての事です。すると第一番に思われるのは生みの親、とりわけ父親でありましょう。小町に男性遍歴があったとすれば
実の父親を探し求めての命懸けの旅であり、遍歴だったのではないかと私などは思うのです。