明石中宮の御八講が終わった後で薫の大将は偶然に女一宮を見かけたのだー。

 

 

 女一宮の御前にいる女房達は紅白粉の化粧などは土でも塗ったようにどうも感じるのを、思いを静めて薫が見ると練らない

 

ゴワゴワとした生絹の単衣に薄紫色の裳を着ている人が団扇を使っているのを、他の女房よりも嗜みがあるようであるよ、

 

と薫は感じた。小宰相が「涼しくしようとして、なまなか小さく割ろうとするから、何とはなしに扱いに骨が折れて

 

苦しそうである。氷を割らずにそのままでごらんなさいよ」と笑った目つきが愛嬌がある。

 

 この声を聞いた薫は「この人は私が思慕している相手であるよ」と知った。女房達は小宰相に注意されても強情に氷を

 

割って、かけらを手ごとに持った。中には頭に置いてみたり、胸に押し当てたりなど不体裁に扱う女房もいるのだ。

 

 小宰相は紙に氷を包んで女一宮様にも差し上げたのですが、彼女は非常に美しい手を女房の方に差し出して、雫を

 

拭ったのでした。「嫌である。私は持っていたくない、雫が嫌である」と女一宮が仰る御声が微かに薫の耳に達した。

 

女一宮を見たいと思っていた薫には嬉しい限りである。

 

 「まだ女一宮が非常に幼くて、自分もまだ幼時で何の訳も分からずに見申し上げた際に、立派な幼児の御様子であるなあ

 

と感心した記憶がある。その後はせめてこの目出度い御様子だけでも聞かなかったのであるが、どの様な神や仏が彼女を

 

見る機会を与えてくださったのであろうか。大君や中君の合奏を覗き見した折のように私に安からず気を揉ませようと言うので

 

あろうか」と薫は心を動揺させて女一宮を見守りながら立っていると、反対側の対の屋の北面に局をしている下臈の女房

 

が薫が今覗き見をしている切馬道の方の女一宮の御部屋の襖を急の用事で開け放していたのを、一旦は自分の局に降りたので

 

あるが思い出して、「開け放したままでは、誰かが見るであろうか」と思い出したので、慌てて入って来たのである。

 

彼女は帰る際に薫の直衣姿を発見して、「あれは誰であろうか」心騒ぎがされて、自分の姿を見られるのも構わずに西の

 

渡殿の簀の子・濡れ縁から慌ててやって来るので、薫は即座にその場を立ち去って「誰とも知られないようにしよう。

 

覗き見は好色なように見られるであろうから」と思って隠れたのだ。

 

 この下臈の女房は、「大変な事であるなあ」、御几帳も内部が顕にしてしまっていた。直衣姿であるのは左大臣の御子息

 

のどなたかであろう。六条院に不案内な人であれば此処まで来られる筈もないし。何かの噂がたったならば、「誰が障子

 

を明けはしていたのだ」と、必ず責任追求の件が出てくるであろう。「装束は単衣も袴も練らない生絹であった」から

 

女房も衣擦れの音を耳にはしていないであろうと、この下臈女房は困惑しているのだった。

 

 薫の大将の方は「次第に道心も深く、聖の心に近づいていたのに、大君のせいでちょっと道を踏み間違えてしまい、

 

様々に恋心に物を想う者になってしまった。大君逝去の昔に、世を捨てて僧籍に入っていたのならば、今では深い山奥に

 

住み慣れていて、こんな風には心を乱したりはしていないであろうよ」などと思い続けると、心は落ち着かないのであった。

 

「どうして私は長い年月にわたって女一宮はこの目で見たいものだと念願したのであろうかしらん。見てしまって今は

 

却って苦しくて、目撃した甲斐もないというものであるよ」と薫は想う。

 

 翌朝に薫は早起きをなされ正夫人の女二宮の御容貌が非常に美しいのを、「女一宮はこの人よりも美しいであろうか、

 

そうでもあるまい」と思いながら見て、「女一宮は一向に二宮よりも勝ってはいないであろうよ。昨日見た女一宮は

 

こちらの気持が浅々と感じられるほどに上品で、つやつやと美しく輝き、言葉で表現できないくらいに魅力的な御様子で

 

あったなあ。それは敢えてそう思うからか、又は覗き見という折であったから、そう見えたのか」と思われて、女二宮に

 

向かって、「とても暑いね。いま着用の物よりも薄いものを御身も着用なされよ。女性はいつもと違った着なれない

 

物を身につけた場合に、いかにもその場合場合に応じて見よいものであるよ」仰ってから、「あちらの母親、女三宮の所

 

に参って女房の大貳(だいに)に、薄物の単衣(ひとえ)の御衣を縫ってから持ってくるように伝えなさいな」と女房に

 

お命じなされた。

 

 女二宮の御前に伺候していた女房は、「正夫人が御容貌が美しさの絶頂でおありなさるのを、薫様が御褒めなさる事で

 

ありまするなあ」と内心で可笑しいと感じている。

 

 薫は平素、念誦などをなさるご自分の御部屋に戻られてから、再び昼頃に女二宮の許に御渡りなされた。すると命じて

 

おいた御衣が御几帳に掛けてある。薫は言う、「どうしてこれを夫人にお着せもうさないのであるか。人々が多く来て見る

 

時に透き通った物を着るのは、自然無作法に思われる。けれども今は、多くの人が見ないから、きっと差し支えないで

 

ありましょうに」と。そして御自身で御着せなされたのでしたよ。御袴も昨日女一宮が着用されていたのと同じ紅のもの

 

である。女二宮の御髪の多さは末を整えられた美しくしさなどは、一宮に劣ってはいないけれども、特色は各自色々に

 

違うのであるが女一宮のそれに及ぶべくもないのでした。

 

 薫は氷を取り寄せて女房達に割らせなさる。そして氷を一つ持って女一宮に差し上げたりなさる、ご自分の心の有り様も

 

面白く思う。「絵に描いて、そうして恋しい人の姿を心の慰めに見る人は、ないことはなくて、居るであろう。絵姿にも

 

増してこの目の前にいる女ニの宮は自分の心を慰めるのには最適のおかたであるよ」と薫は思うのでが、「昨日、このように

 

して女一宮と相対して心ゆくまで見ることができたのであれば、どんなによかったであろうか」と心中で思うので、以外にも

 

嘆きをかこつのであった。

 

 「一品の宮には御身は御文を奉っているのであろうか」と薫が訊ねると、「かつて内裏に住んでいた時に、今上が同様の

 

事を仰ったので、消息文を出したことがありましたが、その後は久しい間御無沙汰を致しておりまする」と女二宮は

 

御返事なされたのだ。「御身が平人に降嫁なされたので、女一宮から文を頂けないとすれば、私も心が鬱屈してしまう。

 

今、明石中宮の御前にて御身が姉上を御恨み申し上げていらっしゃると、ご挨拶致そうよ」と薫が仰った。

 

 「どうして私が姉上を御恨み申しましょうか。そのようなことは御座いません」と女二宮が申し上げると、「御身が

 

降嫁して身分が下がって平人になってしまったからと言って、女一宮が御身を軽蔑なさるようであるよ、と私は思うので、

 

御身は女一宮を文で驚かし申し上げないのであると、明石中宮に申し上げましょうよ」と薫は仰った。