匂宮も薫もそれぞれに亡き浮舟を偲んで今でも悲嘆に暮れているー。

 

 

 明石中宮は叔父に当たる式部卿宮のための軽い御服喪中であるために、今でもこうして六条院に滞在中で御座いますが

 

匂宮の兄上が蜻蛉式部卿の宮におなりになられた。式部卿の宮という身分が重々しいので、常には明石中宮のもとには

 

いらっしゃらない。

 

 匂宮は退屈で物寂しい為に、女一宮を気を晴らす所としてお通いなさる。けれども美しい女房の顔もちらりと見るでけで

 

十分に御覧なさらないのは、残念なことでありまする。

 

 薫の大将殿が忍ぶのが非常に困難な一品宮、女一宮の女房の中にやっとのことで通うようになった小宰相の君という者は

 

容貌も勝れて上品であり、気のきく方の才人と思っているのでした。同じ弦楽器、琵琶や筝や琴などをかき鳴らす爪音や

 

撥音も他の女房より勝っていて、文を書いたり、物を言う声にも彼女は風情のある部分をいかにも添えているのだった。

 

 匂宮の方でも、長年にわたり小宰相を甚だしく勝れている者として御懸想なさるので、彼女と薫の間を言い破って自分の

 

者にしようと画策するですが、小宰相はどうして靡き易い女房のように珍しくもなくなびかないであろうよ。生真面目な

 

薫は彼女は少し他の者よりも特別であると、考えているのであった。

 

 小宰相は薫が浮舟故に悲嘆に明け暮れしている様を承知しているので、じっと我慢してはいられないので、

 

 「 あはれ知る 心は人に おくれねど 數(かず)ならぬ身に 消(き)えつつぞ經(ふ)る(― 浮舟故の御身の

 

傷心を私が理解している程度は誰にも劣らないが、物の数でもない詰まらない私の身なので、御身は浮舟だけを思い

 

私をお思いなさらないから、遠慮致して今までお悔やみも申しませんでしたが、人心もなくどうもずっと過ごしているので

 

ありまする)  浮舟を私の惜しくもない身に代えたならば、御身の悲嘆もないでありましょうに」と情趣の感じられる

 

紙に書いて見せた。そこはかとなく物哀れな夕暮を選んでしめやかに非常に考え深く推量して言い掛けたのも、心憎い

 

のだった。薫の大将の返歌は、

 

 「 常(つね)なしと ここら世(よ)を見る 憂(う)き身だに 人の知(し)るまで 嘆(なげ)きやはする(― 大君

 

や浮舟で世を無常と多く見知っている私の不運な身でも、他人が気づく程度まで嘆くであろうか、嘆いたりはしない。私は

 

浮舟のことをそれほど悲しんではいないのに、君が物の数ではない私、などと言うのは如何であろうか。私が浮舟の

 

せいで傷心していると見るのは間違っている)」と詠まれて、この詠歌の喜びで「かつてしみじみと悲しかった折も折で

 

あったから、非常に私は嬉しかった」と伝えに薫は小宰相の局に立ち寄ったのだ。

 

 薫の様子は非常に慎み深げであって、また重々しげで立派であり、平生は女房の局に立ち寄る事などはないのであったが、

 

身分も高貴であるのに、「大層、何とはなしに頼りない局であるよ」と言って、狭くて奥行のない部屋の引き戸の入り口に

 

薫が近寄ったところ、相手はむさくるしいので決まりが悪く思うのだが、それでも必要以上には卑下しないで、程よい

 

調子に会話を交わすのであった。「かつて世話した浮舟よりも小宰相は奥ゆかしい点が加わっているが、どうしてこの様な

 

宮仕えに出仕などしたのであろうか。宮仕えをするというのであれば、私も隠し妻として時折通っていく者として扱った

 

であろうに」と薫は思う。しかし、そのようなことを思っていることは、おくびにも出さない。

 

 蓮の花の盛りの頃に明石中宮は六条院の寝殿で御八講をなさる。この度の法華経八巻は五日に分けて、毎日、朝座と夕座

 

とに分けて一巻ずつ二回、読誦したのだ。父親の源氏・六条院の御為に、養母の紫上になどと供養の日を考え分けられて

 

その霊前に御経や仏などを供養なさって、この度の八講は大層盛大で尊貴な物となった。

 

 提婆品を読誦して薪の行道をする第五巻の日には非常な見物(もの)なので、あちらからこちらからと女房の縁故に

 

付き従って見物にやって来る人々が大勢あった。

 

 八講は五日目の朝座で終了となり、仮であった御堂の飾りを取り払い、模様を元の状態に戻して改めたので、道場として

 

寝殿の北の廂の間の障子を全部片付けたので、人々はみんなが寝殿に入って室内を整頓した後で、女一宮の姫宮がいらっ

 

しゃった。

 

 読経や説教などを聞きくたびれて女房たちは各自の局にいる。女一宮の御前がとても人が少なくなっていた夕暮れに、

 

薫の大将は八講の礼服の束帯を普段着の直衣にきがえて、今日参加した僧の中にどうしても話したい者があるので、

 

僧侶達の控え所である釣り殿の方に行ったところ、既に僧達は皆が退出してしまっていた。

 

 薫が釣り殿の池の方で涼んでいると、「この釣り殿の周辺は人が少ない故に、南面の池に接する方は例の小宰相が

 

仮設の部屋に几帳だけを立てて休息する仮の休息所にしていた。それで小宰相は此処にいるだろう。人の衣擦れの音

 

がするぞ」と、思われて、西の渡殿の方を振り向くと、中門の所の切馬道の方の部屋の襖が細く開いている隙間から、

 

静かに見やるといつも小宰相などがいた気配とはまるで違う、今は派手に設えて几帳などを交互に交差させて立て並べて

 

あるので、ずっと奥の方まで見通しがきく。

 

 それで室内は丸見えである。室内には氷を物の蓋に置いて割ると言うので、女房達が騒いでいるが、成人の女房が

 

三人ばかりが女童と一緒にいる。

 

 女房達は八講も終わったので女一宮の御前には他の女房もいないので、気楽に休息して、年配の女房達は唐衣を、

 

女童はかざみ(汗取り)も着ないでみんなが寛いでいる。それで薫は女一宮の御前であるとは考えないのであったが、

 

白い薄い絹の御衣・袿を着していらっしゃる人が、手には氷を持って、女房達が氷を割ろうというので騒いでいるのを

 

眺めながら微笑みなされている笑顔が、表現しようもなく美しい。

 

 非常に暑く我慢できない程の日なので、女一宮は沢山ある御髪を暑苦しいとお感じてなのでしょうか、薫の居る手前の

 

方に漂わせて引き寄せられた具合は、たとえようもない程にチャーミングである。「美しい女性を大勢見てきたが、

 

これ程の女性は目にしたことがなかった」と薫は思う。