浮舟の側近の女房であった侍従が匂宮の京都からの迎えに応じて、匂宮邸に向かった―。

 

 

 服喪中であるから侍従は黒い喪服などを着て、身なりを取り繕っている容貌なども非常に上品である。裳は現在は

 

侍従よりも目上の人が居ないために裳を用いる必要がないので、油断して薄墨色に色を染め変えていないので、紫の

 

薄色であるのを供人に持たせて宮邸に参上したのだ。

 

 「もしも浮舟様が存命しているのであれば、今私が京に向かっていく道を、如何にも匂宮様が浮舟殿に忍んで隠そう

 

と仰ったように、人目につかぬようにして京にお越しなされるのであろうになあ。私も心密かに宮様に思慕の情をいだいて

 

いたのですがねえ」と侍従は心中で思うにつけても、浮舟を思いしみじみと悲しいのだ。京への道すがら侍従は泣きながら

 

参上したのだ。

 

 これを見迎えた匂宮は期待した浮舟は来ないで女房の侍従だけが来たので、感慨無量なのだ。女君の中君にはあまり

 

具合いが悪いので、侍従の来訪を伝えなかった。

 

 匂宮は寝殿にいらっしゃって、牛車から渡殿に侍従を下ろさせなされた。そして浮舟生前の様子などを御質問なさるのだった。

 

侍従は言う、「日頃は浮舟殿は物思いにお耽りなされて御嘆きなされ、失踪なされた夜に御泣き遊ばされた御様子は不思議

 

と思われるほどに言葉数が少なく、どのような事にもぼおーとなされ、悲哀が甚だしい感じでいらっしゃいました。胸中に

 

思いなされていらっしゃることを私共にも仰る事も無くて、遠慮をばかりなさって御遺言などありませんでした。私共は

 

夢にも入水などという強硬手段に出ようなどとは思う事は出来ないでおりました」などと。浮舟の死の前後の事を詳細に

 

申し上げると、匂宮は聞く以前にまさって大層悲嘆も募り、「当然にそうなるような死病で死ぬのであれば仕方のない

 

事なのだが、どのような思いで宇治川への入水を思い立ったのであろうか」と匂宮が考えなさるのだが、「投身自殺を

 

見つけてそれを阻止できたのならばどんなにか嬉しかったであろうか」と思い、胸が湧きかえる思いがするのだが今となっては

 

甲斐もないのだった。

 

 侍従は言う、「御便りをかつて焼いて消失なされた時に、私共は何故その時に注目しなかったのであろうか」などと、

 

匂宮が一晩中御質問なさるのに侍従はお答えして夜を明かしたのだ。又、例の巻数の端に書き付け為された母君からの

 

御返事なども申し上げた。これまで何者とも存在を認めないでいた侍従であったが、親しく可愛く匂宮は思われるので、

 

「私の所にこのまま居ついてしまいなさいな。中君も君の御主人浮舟の姉であるから、君にとって無関係である筈がない、

 

縁があるのだ」と仰ると、「中君に宮仕え致しましても、私は物悲しいことばかりであると考えますので、宇治に

 

一度戻ってそのうちに中陰も終わりますので、再度参上いたしましょう」と侍従は御返事申し上げた。

 

 「別にまた来いよ」と宮は仰って、侍従でさえ別れが飽き足らないと思うのだ。早朝に侍従が帰ると、「浮舟の御

 

調度にしよう」と、御用意なされていた櫛の箱、衣の箱を侍従への贈り物となされた。浮舟の為に様々になされた事柄は

 

多いのであるが、多量に贈るのも大袈裟であろうから専ら侍従にお負わせた程度に留められた。

 

 侍従はこれと言った考えもなく二条院に参上したのであるが、このような贈り物などがあるのを「周囲の人々には何と

 

いうことなしに困る事であるよ」と思って、どのように説明しようかと躊躇する。

 

 宇治に帰ってから右近と二人で人には隠れてこっそりと見ると、閑暇にまかせて仔細に見ると細工は精巧で、形態や

 

意匠は当世流行風に目新しく作り、また集めた品々などを見ても浮舟の思い出に盛大に泣き喚くのだった。贈られた

 

装束なども大層美麗に仕立ててあって集められてあるので、「このような御喪中にこの様な派手なものを人の目から

 

どの様に隠したらよいであろうか」などとその処置に困るのだ。

 

 薫の大将殿も匂宮同様にやっぱり浮舟の水死が納得出来ないで、考えあぐねた末に宇治を訪問なされた。宇治への

 

道中で昔の事などを色々とかき集めて、「どのような契があって、大君達の父親王の許に来始めたのであろうか。

 

そして彼の末の子供である浮舟の身の上の事まで気に掛けて、そのゆかりの所為で私は物思いに耽る事であるよ。

 

非常に高貴であった八宮の所に私は仏を案内者として、後世だけを希求したのであったが、今の物思いは大君に懸想した

 

私の心汚い結末の失錯として仏が私を懲らすのでありましょう」と薫には想われる。

 

 右近を呼び寄せて、「かってあった浮舟死後前後の模様もい私は詳しくは聞いていない。時が経ってもやっぱり無くならず

 

呆れるほどに頼りないから、浮舟の忌中も残りの日が少なくなったから、忌を過ごしてから訪問しようと考えたのではあるが、

 

落ち着けきれずに参ってしまった。浮舟はどの様な病的な気分で急に自殺などしたのであろうか」と右近に質問なさると、

 

右近は、「弁の尼殿も浮舟殿の最後の頃の様子を見ていますので、薫様が彼女に御質問なされて明らめなさるでしょうから、

 

私などが中途半端に隠しだて致しても、御身には真相を御知りなさる事にはならないでしょう。浮舟殿と匂宮様との怪しい

 

秘密に関しては私は嘘も始終思案しながら言い慣れていました。しかし、この様な真面目な薫の大将様のご様子に直接

 

御対面致しましては、前もってこうも言おうか、ああも言おうかと準備致して居りました言葉も忘れてしまい、面倒な事で

 

ある」と内心で思うので、かってあった状態の浮舟入水のことなどを薫に申し上げて、呆れもし、思いもかけなさらない

 

意外な点であるから驚きの余りに薫は物も言えずにいる。

 

 「右近が言うようなことは決して本当ではあるまい。そう思うので、世間一般の人が思ったり言ったりして嫉妬することについ

 

てこの上もなく言葉数少なく、大様であった浮舟がどうしてそんな入水自殺などという恐ろしいことを思い立つであろうか。

 

断じてそんなことは思うまい。匂宮が隠している秘密を宮本人とこの女房達が言い繕って私に言うのであろうか」と薫は

 

益々心が乱れてしまう。しかも匂宮が悲嘆なされている様子は顕著であるのだから、まんざら嘘とばかりも思われないのだ。

 

この山荘の者達の態度も、浮舟を隠しているのに取り繕って話しているのであれば、それは自然に現れてくるであろうが

 

自分がわざわざ宇治に顔を出したのにたいして、身分の上下を問わずに私を見ては泣き騒いでいる。そう薫は聞いているので、

 

「御供として浮舟と一緒に姿を消した者はおるのか。やはり、ありのままを話してくれないか。浮舟が私のことを冷淡と

 

感じて背いたとは決して思えないのだ。何というか、言いようのないどのようなことが突然に起こって、入水などを行う

 

であろう。私には信じがたい事柄なのだよ」と仰った。