宇治の浮舟の許に薫の大将から消息文が届いた―。

 

 

 匂宮は昨日も浮舟からの返事がなかったので、「御身はどんな風にぐずぐずと御考えなされるのでありましょうか。御身が

 

風、薫に従って靡く、心が寄るようで如何にも気掛りです。以前よりも一段と心が落ち着かなくて、私はぼんやりと物を

 

思い込んでおりまする」などと、言葉数多く御書きなされていらっしゃる。

 

 かつて長雨の降った日に宇治に来て出合った御使共が今日もやって来た。薫の大将の使者の御随身が薫にも親しい

 

あの大内記兼式部小輔道定の家で時々見かける男なので、随身が尋ねた「貴公はどうしてどういうわけで此処に度々

 

やって来るのだろうか」と。御使は、「主人の用ではなくて、私個人として訪ねなければならない人の所に用事が

 

あって参上するのである」と答えた。

 

 「自分自身が懸想する女性に色めかしい文を直接に手渡しするのであるか。様子の変な貴公であるな。隠し立てするのは

 

何故か」と随身は重ねて言う。御使が、「実を言うとこの出雲權守時方殿の御文で、女房に御あげなされるものである」と言うと

 

随身は「言う事が前後始終違って変である」と思うのだが、ここで議論して詮じ詰めるのも当然に変であるからあまり

 

言わなくて、それぞれが京に帰ったのだ。

 

 薫の大将の使者の随身は才気ある者で、御供にいた童子を呼び寄せて、「左衛門大夫兼出雲權守時方の家に入るかどうか

 

そ知らぬ様子をして、あの男について行って見よ」と命じた所、「匂宮様の御殿に参って式部の少輔に文を取らせており

 

ました」と報告した。随身がそこまで自分の行く先を尋ね様ものとは推察の鈍い召使は考えず、又事情の内容、つまり

 

浮舟の薫や匂宮との関係を知らないので、随身に行く先を知られてしまったのは残念なことでありましたよ。

 

 随身は薫の殿の屋敷、三条宮に参上して、薫が外出する直前に女房を介して文をお渡し申し上げた。

 

 薫は直衣姿で、六条の院に明石中宮が里帰りで御帰りになられていらっしゃる頃であるから、御機嫌伺いに参上する

 

のでありましたよ。前駆の者なども大袈裟には今日は伴っていない。御文を手渡した女房に、「奇怪な事があったので、

 

真相を究明すべく今まで其処に居ったのです」と随身が告げているのを薫が耳にして、牛車の方に歩かれて「何事があったのだ」

 

と御問いになった。この取次ぎの女房が聞いているのも憚られるので、黙って恐縮している。薫の方もそれを察知して

 

そのままで外出なされた。

 

 「中宮様はいつになく悩ましげでいらっしゃいます」と言うので、宮達も全員が六条院に参上なされた。上達部達も

 

大勢が参集なされ騒がしいけれど中宮の容態が特別に悪い様子には見られない。あの大内記道定は太政官(日本の最高

 

行政機関の役人)であるから、遅れて参上した。公文書と一緒に浮舟からの手紙も匂宮にお渡しした。

 

 匂宮は台盤所にいらっしゃって道定を戸口に呼び寄せて、その手紙を受け取った。その様子を薫は明石中宮の御前から

 

下がって来て目の端に御覧なされて、「深くまあ、匂宮が思慕なさる女からの文であるように見える」と御興味を感じて

 

その場に立ち止まりなさる。その文を引き開けて匂宮は御覧なさる。「紅の薄様の紙にこまごまと書かれてある」と

 

薫には見える。手紙の方に熱中していて薫の方を急には向かない。夕霧左大臣も明石中宮の御前を立ち去って外の方に

 

出て御出でになられるので、薫は襖の所から外へ出られる際に、「左大臣がおいでなされるよ」と薫は咳ばらいをして

 

合図したのだ。匂宮が文を隠しなされた直後に、左大臣が御顔を出されたのだ。匂宮は驚きなされて直衣の紐を御差し

 

なされた。すると薫の殿も夕霧への儀礼で膝を突いてかしこまっておありなされ、「私は退出致します。明石中宮の例の

 

お悩み、御物の怪が長い間お起こりなされなかったのに、又再び起こりましたのは、恐ろしい事で御座いまする。比叡山の

 

山の座主を直ぐに祈祷の為に使をおくらせましょう」と言って、夕霧を見送り、忙し気に自分の控えの部屋へと退出

 

されたのでした。

 

 見舞の客達は夜がふけてから退席した。

 

 夕霧左大臣は匂宮を先に御立たせなさり、大勢の御子息や上達部、公達を引き連れなされて六条院内の御自分の御部屋の

 

方に御渡りなされた。

 

 薫は夕霧よりも遅れて六条院を後にした。「先ほど外出した際に、随身が様子ありげであったのは、変である」と

 

思われたので、前駆の者達が薫の前を引きさがり庭に下りて火をともす頃に、隋人を呼び寄せた。「先ほど申して居ったのは

 

どういう次第なのであるか」と御問いになられた。随身がお答えした、「今朝、あの宇治で出雲の權の守時方の朝臣にお仕え

 

致す男が紫色に見える薄様で、桜の枝に付けた書面を山荘の西面の端の開き戸の所に立ち寄って女房に渡しましたので

 

某がかようかようと質問致しましたところが、申すことの前後が始終違って嘘の様に申して居りましたので、「では何故

 

そのような虚言を言うのだ」と申した後で、供の童に後をつけさせたところが、「匂う兵部卿の宮の屋敷に参って式部の少輔

 

道定の朝臣にその返事を手渡したのでした」と報告したのです。

 

 薫の君は「怪しい事であるよ」と思われて、「その宇治から匂宮への返事は、どのようにして使者に渡したか」と御問い

 

なさると随身は、「それは見申してはおりません。私の居た方向とは違う場所で渡した模様です。しかし、下人の申しまする

 

のには赤い色紙で大層綺麗な物であったそうです」と奏上した。薫が御考え合わせなさると先刻匂宮が手にされていた文と

 

違う点はないのだ。供の童に色紙の色まで見させたのであろうと言う事に対して、随身は「非常に機転がきく」と思われた

 

のですが供の人達が側にいるので詳しくは誉め言葉を言われない。帰邸の道すがら、「匂宮はやはり大層恐ろしく気の

 

つかない物の隅々がないほどに神経を張り巡らしていらっしゃる。かつてどの様な機会に浮舟が宇治にいると御知りなされ

 

たのであろうか。又、どのようにして言い寄ったりしたのであろうか。遠い田舎じみた宇治の辺りでこのような好色めいた

 

方面で外から別の男が入り込んでくるなど、殊更にあり得ないこであるよ」と思い続けることこそは私が心幼いからであろうよ。

 

女に言い寄るにしても私の関係のないあたりにこそはしても、よりのよって浮舟に言い寄るなどと言う好色ごとをまあ

 

仰せなさるのであろうか。人もあろうに昔から隠し隔てもせずに秘密を打ち明けて親しくし、普通には考えられない程に

 

工作してかつては中君に案内し、宇治にお連れ申し上げた私に後暗く無法な事を御考えなさるべきであろうか。そんなものでは

 

あるまい」と思うと薫は大層不快である。