一昨年、東京・池袋で乗用車が暴走。松永真菜さん(31)と娘の莉子ちゃん(3)の2人が死亡した他、9人が負傷した事故で、禁錮5年の実刑判決を受けた旧通産省工業技術院院長=飯塚幸三(90)被告が、『控訴しない意向』を固めたことが、関係者への取材で分かった。実刑判決が確定することとなった。 飯塚被告は今朝、犯罪加害者家族の支援を行っているNPOの理事長と面会し、『遺族に対して本当に申し訳ない』『裁判所の決定に従い、収監を受け入れ、罪を償いたい』と話したということです。

 

また、『安堵の気持ちもあるが、自身の過失を認めてほしかった』と、真菜さんの夫、拓也さん(35)は複雑な心境を吐露した。

 

よく故事成語として使われる『罪を憎んで人を憎まず』だが、余ほどの時間が経ち、心の葛藤が収まらぬ限り、常人の口からこの様な言葉が出てくる事はあるまい。

 

次の句は、大石内蔵助が主君の仇を見事に果たし、内匠頭の墓がある泉岳寺に赴き、仇討ちの報告を済ませた頃、時の幕府が赤穂浪士をテロリスト集団と認定し、切腹を申し付けるため、熊本藩下屋敷に連れて行かれ、斬首される前に詠まれたモノである。

 

あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし

 

武士の作法として切腹を受ける、多少の強がりもあるのかもしれないが、歴史的にも心に残る辞世の句である。

 

典拠:FNNプライムオンライン 池袋暴走事故 遺族『言ってほしかった一言が聞けなかった』

 

いやしくも元通産省工業技術院院長である飯塚被告も、自分が仕出かした事の重大さは千も承知であろう。

当然、遺族に対してお詫びしたい気持ちは山々であるが、国の先端技術を担ってきた自分には、どの様な状況下でも、『日本の優秀な工業技術製品であり、少子高齢化時代の車は、安全に停まるべきだ。。。』と、無念一杯であるのが今の詐らざる想いのことと推察致します。

 

ああ悲し 思いは晴れぬ 身は捨つる 世間の咎に 止まる術なし

(とても悲しい出来事である。このまま気が晴れずに死んでいくのか。世間の批判もよく分かり、今の車は人工知能を備えた確かな制動を備えるべきだ。。。) 

 

 

【週刊ナンダイ!?】編集長/にわか市政ジャーナリスト=福祉サンタ