今月7日、PL学園硬式野球部OB会「総会」が、今年から「懇親会」と名を変えて開催された.jpg

 

 

 

 

NEWSポストセブン 1月8日

 

 

PL教団 異例の教祖不在が3年続くなかOB会長の桑田真澄氏が野球部復活を直談判

配信 2024年1月8日

NEWSポストセブン

 

 毎年、1月初旬の土曜日に行われてきたPL学園硬式野球部OB会の「総会」が、今年から「懇親会」と名を変え、1月7日に開催された。

 2018年11月より会長を務めてきた桑田真澄氏(現・巨人2軍監督)は冒頭の挨拶で、前日にPL教団の幹部(中田信和理事長)と接見したことを報告し、2016年7月以降、活動を休止している硬式野球部の復活についてこう話した。

「理事長先生からは『教団としても、また学園としても、復活を願っている。水面下でいろんな計画をしています。その計画が実行できるのは4代目の教祖が現れてから』というお話をいただきました。今後もPL教団のみなさんと情報交換を継続しながら、見守っていきたいと思っています」


 桑田会長の言葉を聞きながら、思わず力が抜けてしまったのは「4代教祖が現れてから」という部分だ。

 2020年12月に3代教祖・御木貴日止氏が63歳の若さで亡くなって以降、PL教団は4代教祖を立てることなく、教祖不在という宗教団体としては異常にも思える状況が続いていた。もともとは3代教祖の夫人である美智代氏が4代に就任すると目されていたが、あくまで「教主代行」という立場で実権を握り続けている。

 PL教団の“世継ぎ”について、元教団教師が解説する。

「本来ならば教主(おしえおや=教祖)様が存命中に後継指名をすることが教団の条文で決められており、指名がないままお亡くなりになった場合は、教団の理事会で次期教祖が決定できると定められています。

 3代教祖は後継指名をすることなく亡くなったので、本来ならば未亡人となった美智代さんが4代教祖になるのが筋でしょうが、教会の統廃合を進め、(PL教団の教勢拡大に尽力した)2代教祖・御木徳近氏(1985年没)の遺産という遺産を取り壊して信者から愛想を尽かされていることを自覚する彼女は、自分が教祖になったらさらに信者が減ることがわかっているのです。

 だからといって、ご子息や他の人を教祖にするおつもりもないようです」

 

 

新教祖が現れないと、生徒も増えない


 現人神のような教祖が現れる・現れないの問題ではなく、結局、4代教祖のなり手がおらず、後継指名もできないというのが現在のPL教団なのだ。教祖(リーダー)不在という状況によりひずみも生まれている。


「信者さんが亡くなっても、PL式の葬儀を認めず、仏教でいう戒名となる諡(おくりな)も信者に付与していない。葬儀は宗教団体で大きな柱となる大事な行事です。それを禁じているのだからもはや宗教団体の体をなしていません。

 近年、未亡人は聖地内の森林を伐採し、谷を産業廃棄物となる残土で埋めてお金にしている。こうした環境の変化によって生態系にも変化があったのか、ここ数年、大阪府富田林市の聖地内では猪が大量に発生するようになりました。

 現在の教団はこの野生の猪を捕まえて、食肉として販売している。商魂逞しいとは思いますが、これも信者数の激減によって教団が経済的に困窮していることの裏返しではないでしょうか」(前出・元教団教師)

 PL学園野球部の廃部問題を発端とし、2014年からPL教団および学園の取材を続けてきた私は桑田会長に訊ねた。今後、4代教祖となる人物は本当に現れるのか、と。すると会長は苦笑しながら、こう話した。

「現れると思いますよ。過去にも2度ほど、教祖不在の時期があったと聞いています。すべては4代目の教祖様が決まってから動き出す。4代目が決まらないうちはこちらから動くことはできない。今は耐える時期だと思います。そして、4代目が決まり、復部が決まったら、OB会としても前のめりに動こうと思っています」

 しかし、いくら野球部が復活を果たしたとしても、学園に生徒がいないのが現状だ。昨年度の入試では国公立コースの外部募集がとうとう「ゼロ」になり、理文専修コースも0.08倍という目も当てられない競争倍率であった。現在の学園生徒は熱心な信者の2世や3世しかいない。桑田氏が続ける。


「生徒数が増えない限り、難しい状況は続きますよね。現在の学園は教祖から御守り(=神霊・みたま)を拝受した人しか受験できない。ということは、新しい教祖様が現れない限り、学園を受験する生徒も増えないんですよね」

 結局、学園生徒数の減少も、教祖不在の影響が大きいのである。

「懇親会」と名称が変更となった今年は、片岡篤史氏(中日一軍ヘッドコーチ、元阪神ほか)や宮本慎也氏(元東京ヤクルト)ら元プロ野球選手も顔を見せていたものの、元監督の中村順司氏らの姿はなく、参加者は63人と例年より少なかった。

 2016年に野球部が事実上の廃部となって8年近い時間が過ぎ、学園の生徒数も、教団の信者数も風前の灯火となっているPLの窮状を表すかのようだった。

■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)